第十話「もう一度だけ、光を」
村での生活は、穏やかに流れていた。
リゼルは毎朝、畑仕事を手伝い、午後は村の子供たちに読み書きを教え、夜はエマとお茶を飲む。
「幸せだな」
ある晩、リゼルは星空を見上げながら呟いた。
「本当に、幸せだ」
何も特別なことはない。でも、それがいい。
*
しかし、ある日のこと。
「リゼル! 大変!」
エマが血相を変えて駆け込んできた。
「どうしたの?」
「隣村で、病気が! 子供たちが次々と倒れてるの!」
「病気……?」
「原因不明で、高熱が出て……このままじゃ……!」
リゼルの顔が強張った。
「医者は?」
「いないの、あの村には。一番近い町の医者を呼んだけど、到着まで三日かかるって」
「三日……」
それでは間に合わないかもしれない。
「リゼル……」
エマは言いにくそうに言った。
「あんたに頼むのは、本当に申し訳ないんだけど……」
「分かってる」
リゼルは立ち上がった。
「行くわ」
「でも……」
「大丈夫。今の私は違うから」
リゼルは微笑んだ。
「これは、義務じゃない。私がやりたいからやるの」
*
隣村に着くと、村長が出迎えてくれた。
「リゼルさん! 来てくれたんですか!」
「はい。子供たちは?」
「こちらです」
案内された小屋には、十人ほどの子供が寝かされていた。
みな高熱で苦しそうにしている。
「ひどい……」
リゼルは一人一人の額に手を当てた。
「これは……風邪じゃない。何か別の……」
その時、一人の老婆が近づいてきた。
「あんた、見る目があるね」
「あなたは……?」
「この村の薬草師さ。私もこんな病気、初めて見た」
老婆は深刻な顔で言った。
「多分、川の水が汚染されてる。最近、上流で鉱山の開発が始まってね」
「水が……」
「ああ。浄化の祝福があれば一発なんだけどねぇ」
老婆は溜め息をついた。
「でも、もう聖女様はいないからねぇ」
*
リゼルは考え込んだ。
確かに、浄化の奇跡を使えば水は綺麗になる。子供たちも治せる。
でも──。
「それは、根本的な解決にならない」
「え?」
「上流の鉱山が原因なら、そこを何とかしないと。また同じことが起きる」
リゼルは村長に言った。
「村長さん、鉱山の開発者と話をつけてもらえますか?」
「し、しかし……相手は王都の大商人で……」
「大丈夫。私が行きます」
「あなたが?」
「はい。でも、その前に子供たちを治さないと」
*
リゼルは子供たちの前に跪いた。
「みんな、少し我慢してね」
両手を広げる。
淡い光が溢れ出した。
『神よ、この子たちに力を』
祈りが響く。
『彼らの未来を、守りたまえ』
光が子供たちを包む。
熱が下がり始めた。
「あ……楽に……」
「痛くない……」
子供たちの顔色が良くなっていく。
「やった……!」
村人たちが歓声を上げた。
でも、リゼルは立ち上がった。
「これで終わりじゃありません。根本的な問題を解決します」
「え……?」
「鉱山へ、案内してください」
*
上流の鉱山には、大勢の労働者が働いていた。
「すみません、責任者の方は?」
リゼルが声をかけると、太った中年男性が現れた。
「何の用だ? 仕事の邪魔をするな」
「あなたの鉱山のせいで、下流の村の水が汚染されています」
「知ったことか。我々は王都の許可を得て開発している」
「でも、子供たちが病気に!」
「それは村の問題だろう。我々には関係ない」
男は冷たく言い放った。
リゼルは拳を握りしめた。
「分かりました。なら、王都に訴えます」
「好きにしろ。どうせ相手にされんさ」
*
リゼルは王都へ向かった。
大聖堂でミナと再会する。
「リゼル! どうしたの?」
「ミナ、お願いがあるの」
リゼルは事情を説明した。
「鉱山の開発許可を取り消してほしいの。このままじゃ、もっと多くの人が病気になる」
「でも、それは王の権限で……」
「なら、王に会わせて」
「リゼル……」
「お願い、ミナ」
リゼルの真剣な眼差しに、ミナは頷いた。
「分かった。手配する」
*
謁見の間で、リゼルは王と対峙した。
「元聖女、リゼル・アルティナか」
王は威厳ある声で言った。
「用件を述べよ」
「上流の鉱山開発を止めてください。下流の村々の水が汚染され、人々が苦しんでいます」
「鉱山開発は国の経済に必要だ。多少の犠牲は仕方ない」
「犠牲!?」
リゼルの声が響いた。
「子供たちが病気になってるんです! それが犠牲で済まされることですか!?」
「無礼な!」
側近が叫ぶ。
でも、リゼルは引かなかった。
「国を支えるのは経済だけじゃありません。人々の命こそが、国の基盤です」
「……」
「鉱山開発を止めて、浄化設備を作ってください。それなら、経済も環境も両立できます」
王は黙って聞いていた。
「コストはかかるが……不可能ではないな」
「はい」
「分かった。検討しよう」
「本当ですか!?」
「ああ。だが、君も協力してくれ」
「もちろんです!」
*
数日後、鉱山に浄化設備が設置されることが決まった。
コストは王都と商人が折半する。
「やった……!」
リゼルは喜びの涙を流した。
「奇跡じゃなくて、話し合いで解決できた……!」
「そうね」
ミナが微笑んだ。
「これも、あなたの奇跡よ」
「え?」
「人の心を動かす。それも、立派な奇跡だわ」
*
村に戻ると、子供たちが元気に遊んでいた。
「リゼルさん、ありがとうございました!」
村長が深く頭を下げる。
「いえ、みんなで解決したことです」
「それにしても、まさか王様を動かすなんて」
「話せば分かる。それを信じただけです」
*
その夜、リゼルは村の丘に座っていた。
「神様、見てましたか?」
星空に向かって呟く。
「私、奇跡を使わずに問題を解決しました」
風が優しく吹く。
「これも、奇跡なんですよね」
『そうだよ、リゼル』
神の声が聞こえた気がした。
『君は、本当の奇跡の意味を理解した』
「ありがとうございます」
リゼルは微笑んだ。
(第十話・終)