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第2話 グレインフォール区画





アンダーヴェイルの心臓が鉄と煤の音であるならば、その静脈をかたちづくるのは数えきれぬほどの街区だ。ジークが生まれ育ったのは、その中でも古びた工場群の跡地を改築して作られた“グレインフォール区画”だった。


かつて穀物の精製工場が林立し、蒸気を吹き上げていた時代の名残で、区画の天井にはいまだに巨大なホッパーや粉砕機の骨組みがぶら下がっている。だが今ではそれらも埃に覆われ、子供たちが勝手に縄をくくりつけてはブランコにして遊ぶのが常だった。


昼間の通りは、活気と喧噪が入り交じる。露店では干からびた豆と安酒、機械部品のガラクタが並び、客は値切るために大声を張り上げる。炊き出しの鍋から漂う香辛料の匂いに誘われ、痩せた犬や猫が路地をうろつく。時折、即席の楽団が現れては、空き缶や壊れた弦楽器を叩いて陽気なリズムを響かせる。子供たちはその音に合わせて踊り、やがて小銭をせがみに客の懐へ駆け寄る。


だが、賑やかなのは陽のあるうちだけだ。夜になれば区画はまるで別の顔を見せる。路地裏には酒と血の匂いが混じり、どこかで喧嘩が始まれば、誰も止めることなくただ遠巻きに眺めるだけ。酔い潰れた労働者が石畳の上で寝込み、娼婦たちが灯りを掲げて声をかける。薄暗い高架の下では、裏組織の取り引きがひそやかに行われ、そのすぐ横を子供が平然と駆け抜けていく。混沌と危うさこそが、この街区の夜をかたちづくっていた。



ジークの住まいは、廃工場の一角を区切った共同住居だった。壁にはひびが走り、雨が降れば天井から水滴がぽたぽたと落ちる。寝床は木箱に敷いた布切れで、枕代わりの袋には盗品の衣類が詰め込まれていた。

窓は無いが、壁の割れ目からは常に外のざわめきが忍び込む。隣の部屋の老人が夜通し咳をしているかと思えば、階下の若者が喧嘩を始める。決して静かにはならない。だがその喧噪はジークにとって子守唄のようなものだった。眠りながらも、人の気配に囲まれている安心感がそこにはあった。


朝になると、工場跡の広場に子供たちが集まり、廃材で作ったボールを蹴って遊ぶ。ジークも幼いころはその輪に混ざっていた。ボールが配管の隙間に入り込むと、器用な少年がスルリと潜り込んで取り出す。時にそれがジークの役目だった。小柄で身軽だった彼は、狭い場所を駆け抜けるのが得意で、仲間内からは「ネズミ」とからかわれながらも重宝されていた。


昼の飯は決して十分ではない。大鍋で煮込んだ豆と硬いパン、それに時折、誰かが盗んできた果実や干し肉が混じる。食卓を囲むのは家族ではなく、ただ居合わせた仲間たち。血のつながりはなくとも、空腹をしのぐために分け合うその習慣が、ジークに「生き延びるための連帯」を教えていった。



グレインフォール区画には独特の匂いがあった。焦げた粉の匂い、油の臭い、鉄錆のざらつき、そして時折漂う甘い果実酒の香り。それらが混ざり合い、訪れる者には息苦しさを覚えさせるが、ジークにとっては懐かしい“街の匂い”だった。


夕暮れどき、区画の屋根裏に登れば、煤けた鉄骨の隙間からかすかに空を望むことができた。青さはほとんど失われているが、それでもひとすじの光が差し込むだけで、彼は胸を高鳴らせた。仲間たちが地べたで賭け事をしている頃、ジークだけはよく一人で屋根に登り、その光を眺めていた。


「いつか、あの向こうへ行く」と。誰に聞かせるでもなく、ただ心の中で呟きながら。


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