フクロウと自在空間
目星をつけた場所へ向かう途中、見覚えのあるユニフォームの背中を見つけた。
「歩!」
その名を呼ぶと、その人物は目元を袖で拭うと、驚いた顔をして振り返って言った。
「えっ…柚紀!?なんでここに…っ」
「お前こそ、捺探しに行くってどこ探せばいいかわかってるわけ?」
「そ、それは今から探すんだ…っ!」
「そんなの必要ない。やつらはたぶん――……」
屋上へと続く階段を駆け上がり、勢いよく乱暴に開かれた扉がバンッと大きな音を立てる。しかし、そこには誰もいない。
そのときだった。
「お、東雲みーっけ♪」」
紅い夕焼けが空に低く落ちていく屋上に、弾んだ声が広く響き渡る。
(声は……、後ろからか!)
歩や葉月が広い屋上を見渡して声の主を探すなか、上がってきたばかりの階段側をバッと振り返る。
すると、その上。屋上への出入り口のその上に、3つの人影とその足元に横たわった一人の少女。
彼ら3人が黒いフード付きのジャンパーを羽織っていることと、この向きからは夕日の逆光ということもあり3人の人影は顔がよく見えなかったがその足元の少女はすぐにわかった。
「捺……っ!」
「おっと、邪魔な王子様もついてきちゃったか」
「お前ら捺に何した!捺を返せ!」
「そう熱くなるなよ。心配しなくてたって殺してなんかいないって」
ここにいる誰よりも捺を探していた歩が、誰より先にその名を口にする。迷わずその後ろの3人組に怒りをぶつける歩に、右サイドの人物が歩に答える。声のトーンからしてどうやら右サイドは男のようだ。
「うるさい!早く返せ!」
「あのねー君、少しは状況考えなよ?君と俺たち、どっちが大事なもの握ってると思って――…」
最初こそふざけ返していた男だったが、短気なのか少し怪訝そうに返す。
すると、男のセリフを真ん中の高めの声が打ち切る。
「…いいわ。燐、返してあげて」
「え…、いいのか?真琴。それじゃ、人質にとった意味が―……」
「構わないわ。東雲に用があるんだもの」
しかし、まだ迷いがあるようで燐と呼ばれた男が躊躇する。その様子を見かねた真琴がため息をつきながら、繰り返し促す。
「……はやくなさい」
「はいはい、我らがオヒメサマ。…あいよっと!」
すると今度は迷うことなく、足元に横たわっていた少女を持ち上げて抱きかかえると、結構な高さがあるであろう屋上の入り口からストンと軽々しい爽快な音を立てて着地し、俺たちに少し近い地面に少女をゆっくりと下ろす。
「捺…っ!捺…!」
捺の名を呼び、心配し駆け寄りながら歩が不意をついて燐の頬めがけて、一殴りいれようと拳をふるった時だった。ほんの一瞬だった。左から拳を入れてくる歩の手首を左手でパシッと受け止め、それと同時に右手で懐から小さなナイフを取り出し歩の首筋に押し当てる。
「おっと…無駄な抵抗はしないほうが身のためだぜ?」
「く…っ」
「歩くん…っ!」
一切身動きの取れない姿勢と、相手の無駄のない動きに思わず声を漏らしてしまう歩。いつそのナイフが相手によって動かされてしまうかわからない危険な状況に思わず葉月が口元に手を当てる。
「さて本題と行こうか東雲」
歩に押し当てていたナイフを離し、突き飛ばした後背から攻撃を受けないために素早く仲間の元へ戻り、向き直る燐。
「やっと逢えたね♡さて、俺たちは誰でしょう?」
答えは知っているだろうといわんばかりの、わざとらしい問いかけ。
そう、答えは知っている。フードで顔を隠してはいるものの、俺の脳裏にはもうただひとつ、それしか浮かばなかった。
「お前らだろ。……N.T」
「N…T?柚紀くんなにそれ?」
俺が口にした答えに、葉月が説明を求める。
「調べたんだ、例の犯罪組織。事件ならいろんなとこで起こしてくれてたよ。
何処もここみたいなイタズラみたいなもんだったからあくまで噂程度だけどね」
「ひゅーっ♪ご名答。よくわかったねー」
精一杯皮肉を込めたことに気づいているのか、いないのか。燐が頭の後ろで腕を組んで、楽しげに口笛を吹く。
「は、嫌だな。俺がこれくらいもわからないと思われてたのか?なめてもらっちゃ困るな。アンタらだって知ってんだろ、俺らのこと」
そこで途切れた会話の途中に、強い風が俺たちの間を吹き抜け、3人のフードが風にはためきその素顔がさらされる。
口元の端を釣り上げて笑う子どもっぽさの残る、燐。
肩までのショートに勝気な笑みを浮かべる、真琴。
そして切れ長のまつ毛に筋の通った鼻の、もう一人の男。
「ああ、そうだな知ってるさ。そっちのアンタが柚紀でー…んで、隣のかわい子ちゃんが葉月ちゃんだろー?」
「遠慮しないで知ってること全部言ってくれてもいいんだぜ
……それ”以外”のことは?」
それ”以外”のこと。
俺らを探していたならば、たぶん知っているであろう学生である時の俺らしか知らない歩たちの知らないこと。予想通りに、その答えは返ってきた。
「もちろん知ってるさ……”フクロウ”」
燐はまるですべてを知っているかのような、余裕が見て取れる。
(やっぱりな……)
「フク…ロウ?おい、柚紀。一体何がどうなってんだ?フクロウって…、お前のこと…なのか?」
初めて聞く知らないことに答えを求める歩。
それに対し、名の知らない男が俺の代わりに口を開く。
「梟。地球上で最も聴力がよく、人間に聞こえる音は普通の人には聞こえないような微細な音までまで拾うことのできるそいつの二つ名だ」
「それでフクロウ…」
「ま、聞いての通りだ。歩、これ以上はお前の関わることじゃない。行け」
「で、でもこいつら、例の犯罪組織なんだろ!?捺もこんな目に合わせた奴らだし…それを知っててお前らだけ置いてなんていけるかよ!!」
「歩、いつだって目的を見失うなよ。お前の優先すべきことは、捺を安全なとこに連れて行くことだろ。捺を連れてさっさと行け」
「でも…っ!!」
「歩」
「――…っ!!…絶対、戻ってくるから待ってろ」
何度も言いよどむ歩。
しかし最後の真剣な俺の言葉に押され、ついに納得しない顔をしながらも歩が折れて『戻ってくる』と誓いを残し、捺を抱えて屋上から去っていく。
完全に見えなくなったその後ろ姿を見送って、消え去った背中に一言溢す。
「…ばーか。待ってろって言われて待ってるかよ。…葉月!」
「う、うん。『warp』!」
意識を切り替えるように、葉月に『いつもの指示』をだす。
『いつもの』だとちゃんと理解した葉月が手を重ねて意識を集中させ、しばらく地に向けた後トンッ…と軽くそのまま地面に手を押し付ける。
「美しき友情ってやつか」
「は、まさか。あんなやつが来たってどうにもならないし、足手まといなだけだからね。とりあえず…」
俺が燐とそんな無駄話をしている間に、次第に目に映る視界の景色が歪みだしバランス感覚も失いかける感覚に襲われる。
「な、景色が歪んで…?」
「なによ、これ…?」
俺自身はもう何度も体験しているが、やはりどうしてもすぐにはバランス感覚は慣れることができない。
パンという何かが弾けるような軽い音がして、やっとバランス感覚を取り戻し立てるようにころにはそこはもうすっかり確立された、もうひとつの異次元。
「……人払いってとこだな」
「これが噂の自在空間か……なるほど、次元を歪めて視覚を狂わせる。この領域内にいない外部の人間からは俺たちは見えなくなるわけだ」
「そうそう、よく知ってるじゃん。えーと…」
「…唯だ」
「唯、か。なかなかのもんだろ、葉月の自在空間は」
「へぇ…自在空間ねぇ…いいわね、なかなか楽しくなってきたじゃない」
真琴の口元から、不敵な笑みがこぼれた。