もう一つの謎
――翌朝。
登校するとどこの学年、クラスも生徒たちの噂話でもちきりだった。ひそひそささやき合うその声が重なり合って、嫌といっても聞こえるほど耳に入ってくる。
『聞いたか?今度は隣の図書室が荒らされたって』
『え!音楽室、美術室、その次は、図書室?どうなってんだ一体』
『ふざけるには、なんかいきすぎじゃね?もう始まって2週間なりそうだぜ?』
『ね、犯人ってうちの学校の生徒なんだよね』
『えーヤダ!怖ーい』
「どこもかしこも、この噂ばっかりだな」
騒ぎ立てる生徒たちの声を聴きながら、沈んだ表情で隣を歩く葉月に語りかけてみる。
「うん……みんなだってさすがに怖いんだよ、もうずっとだもの」
「そう、だな……って葉月お前いつから知って……」
「前、お手洗いからちょっと早く戻った時……二人の話聞いちゃった……ごめんね」
少しバツの悪そうな顔をするが、それほど怖がってはいない様子。さすがは、特殊捜査員だけあってちょっとやそっとのことでは怖がらないようで、少し安心した。
「そ、そうか。いや、でもならいい。どのみち話さなければならなかったし」
「ねぇ 柚紀くん。これってほんとにただのイタズラなのかな……」
「さぁ どうだかな。でも、イタズラだと決定するにはまだまだ証拠も動機も少なすぎる」
「うん そうだね……」
どうにもできない現状に、葉月が明らかに落胆する。
≪イタズラだと決定するにはまだまだ証拠も動機も少なすぎる≫
そう――……そして、イタズラじゃないと否定するにもまだ早すぎる。
結局あのあと一番最初の犯行現場である音楽室も見に行ってみた。本来なら警察を介入させれば犯人逮捕は早く進みそうなものの、この高校は治安がいいことを売りにしているため、より深刻な被害が起きない限りはどうやらまだこの騒ぎを口外することを避けたがっているらしく、現場は荒らされた当時とほぼ変わってなさそうだった。防音のしっかりしている音楽室は幸い被害が大きくないものの、教室のカギは破壊され、丈夫な強化ガラスにさえも強いヒビが入っていた。近々窓ガラス修復の業者が来るまでの間、生徒は立ち入り禁止となっているため、こっそりと忍び込むのは容易だった。
無造作に倒れた椅子や、ひっかかれたような傷が壁や楽器のところどころに散見される。そこでふと、天板の閉じられたグランドピアノの隙間からなにか飛び出しているのが見えた。天板を持ち上げ飛び出しているなにかを手に取ると、それは理科室と同じように新聞の切り抜きだった。しかし、記事の内容は『月ヶ丘三丁目で火災』という見出しと共に、とある一軒家の民家から寝タバコによる火災を伝える記事だった。共に掲載された写真には赤い炎が一軒の民家全体を覆っており、立ち込める煙と懸命な消防活動を行う様子がとらえられていた。理科室の時と違って、音楽室を思わせるような要素はどこにも見当たらず、関連性を微塵も感じられない。
(一体なんなんだ……?)
――――キンコーンカーンコーン。
巡らせ始めたばかりの思考を邪魔するかのように、聞きなれたチャイムがそれを遮って担任の先生がHRにやってくる。
「はいはいみんな席についてー」
小里先生の言葉に、あわててそれぞれの席に着く生徒たち。
全員が席に着くのを見届けた先生が一呼吸おいて、冷静に口を開く。
「えー……みなさん生徒間で『怪奇現象』だの『事件』だのと根も葉もない噂が飛び交っているようですが、断じてそのようなものではありません。単なる生徒のイタズラと思われますので、犯人は余計な言い訳をせずに出てくるように。では私たちは教室の片づけや緊急会議がありますので一限目は自習とします。以上、HRを終わります」
(イタズラ、ねぇ……)
忙しそうに、出席簿を小脇に抱えて教室を出ていく先生を見送って、謎めいた現状に、おもわずため息がこぼれる。
そのとき。
「なぁーあー!柚紀ー!」
突然、頬杖をついていた机が誰かの声とともに手をついた衝撃で揺れて、あてた手から頬がずれ落ちる。
こんなろくでもないことするのは、俺の思い当たる限りではひとりしか該当しない。
崩れた態勢から、顔を上げそいつをにらむ。
「で、何の用?歩」
「柚紀はどう思う?この事件」
「どうって?」
「だーから!ただのイタズラだと思ってる?事件だと思ってる?」
聞き返すばかりの俺に歩がじれったそうに、尋ね返す。
「どっちも。ただイタズラにしてはやりすぎてる気はするな」
「だろ?やっぱおかしくない?これ絶対事件だと思うんだけど」
やっぱりそう思うか!、といわんばかりにさらに力を込めて事件と主張する歩。
言われてみれば事件のような気もしてくるが、余計な先入観は組織としての捜査に限らず、無意識のうちに物事の判断を絞りこんでしまう。
ここはまだどちらだとも確信しないのが、賢明な判断といえるだろう。
「でもまだ人的な被害が起きたわけじゃないし、盗みってわけでもない。」
「でもさでもさっ!先生たちなんか隠してる気がしない?最近生徒が立ち入れないとこだって増えたし」
「そりゃこんなの起きてりゃ警戒もすんだろ。それもその犯人が生徒内にいるのならなおさら、な。」
「うぅ……でもさー!なぁーんか――……」
「はいはい。分かった分かった。それじゃ、この話はお終い。さよーなら」
何度も言いよどむ歩に、強制的に話を打ち切って机に顔を伏せ見もせずに手を振る。
すると、ようやくあきらめたか大きなため息がひとつ聞こえ、そっと顔をあげてみると歩が自分の席へと立ち去っていくのが目に入る。
(やっと行ったか……ったく、こういうとこだけ妙に頑固つーか……)
衝撃で歪んだままだった机を正しく元に戻して、急に襲ってきた眠気に、また机に顔を伏せて、目を閉じる。
(そういえば昨日、この噂の調査のせいであんま眠れなかったしなぁ……)
そう考えているうちにも、意識が自然と眠りに落ちていく。
(とりあえずあとで図書室も回ってみる……か……)
一時限目は結局そのままずっと眠ってしまい、その後休み時間に何度か校内をぐるりと歩き回ってみたもののほとんどずっと捺たちも一緒にいることが多く、なんだかんだと時は過ぎ――……放課後。
休み時間にも何度か覗こうと思ったがまだ片づけ中らしく鍵がかかっており入ることができなかった。しかし、今はひと段落して手伝いに来ていた先生方も解散したらしく開けっ放しの図書室の扉が目に留まった。
「あ、片付け終わったのかな?って、ゆず!?」
『生徒は立ち入り禁止』とデカデカと張り紙されている扉を堂々と無視して図書室へ踏み込む俺に葉月がつい大声をあげそうになったので、慌てて葉月の口を手で塞いでそっと耳元で小声でささやく。
「しー。葉月、静かにしててね」
葉月は驚きながらも無言でこくこくと頷き、ばつの悪そうな顔をしながらもそっと俺の後に続いた。
忍び込んだ図書室は片付けのせいもあってか、思ったほどひどい被害ではなさそうだ。窓ガラスが割れた様子もなく、掲示物も特に被害はなさそうだ。
ただ本棚から落とされたらしい本だろうか。ところどころ抜け落ちた本棚の隙間と、拾い集められただろう本がカウンター傍のテーブルに高く積まれていた。普段ならカウンター担当の先生は紛失がないか、破損がないかのチェックに忙しそうななか、高く積まれた本でカウンター越しのこちら側の様子には気づいていない様子だ。
例の新聞の切り抜きが落ちていないかを確認して回るがなかなか見当たらない。もしかしたら先ほどの片付けで見つけた先生か誰かが持ち去ってしまったのかもしれないとも思い始めた頃、綺麗に飾り立てられた掲示物の中にとある新聞記事の切り抜きがピンでとめられているのを見つけた。
バレないうちにそっとピンを外して記事を回収し、図書室を後にして廊下を歩く中で、いまだに状況が読めていない葉月がおずおずと俺の後ろから問いかける。
「あのぅー……ゆず、いったい急に図書室なんてどうしたって――……」
「……なるほど、これはどうやら俺たちへの熱烈なラブコールのようだよ」
「え?」
葉月が言い終わらないうちに答えが先走る。
「これで奴らの正体がつかめる……!」
「ええっ!?どういうこと……?」
「簡単な話さ。彼らは荒らす度に必ずヒントを残していた。例えば今回ならこれね」
そういって俺はつい先ほど見つけたばかりの新聞の切り抜きを広げて見せた。
その切り抜きは『劇団○○、新作公演決定』とタイトルとともに、眩い黄色のスポットライトに照らされている男女の役者がドラマティックなワンシーンのカット写真とともに掲載されている。
「あ、これって、前にゆずが言ってた毎回落ちてる謎の切り抜き……」
「そ」
「でも意味分からないんだよね、3つとも関連性はないし、音楽室での記事は火事の発生場所が『場所』を示してるのかとも思ったけど記事の通り火事が起きているから更地になっていたし……」
「ま、単体で文字だけに囚われてるとそうだろうね」
「文字?」
「うん、文字情報以外からも得られることはある。例えば、火事で連想するキーワードってなにがあるとおもう?」
「えぇ?うーん……火だから『あつい』『赤』『やけど』『ねつ』とか……?」
「そうだね。じゃあ次これは?」
そう言って葉月に見せたのは、前回歩から転送してもらった犯行現場の写真を拡大した記事の写真。
「うーん……理科……科学……『げんそきごう』とか『じっけんどうぐ』とか?」
「写真もよく見てみなよ」
「銅塩……青い炎……あっ」
「……気づいた?全部色彩の要素が入ってるんだよね」
「ほんとだ……!火事の『赤』、銅塩の炎の『青』、そして今回はスポットライトの『黄』ってことだね!」
「そ。まあ、他にも色んな色の連想はできるけど、少なくとも掲載された写真の中でそれぞれ1番多くを占める色はこれらだ」
「なるほど…………!」
「で、この3つの共通点なんか思い浮かばない?」
「うーん…………あっ三原色!」
「そ!わざわざ次の犯行場所を教えてくれるなんて、まるで会いにこいって言われてるよね。……行くよ、葉月!」
そう言って俺は葉月の手を引いて美術室へと向かった。
長い渡り廊下を渡って薄暗い離れの美術室へとたどり着くと周囲も異変がないことを確認してから俺はそっと中を覗き込む。
しかし、しばらく見ていても物音ひとつせず、人の気配も感じられない。
(……もしや外れた……?)
だんだんと不安になってきて、俺は葉月と顔を見合わせて覚悟を決めると恐る恐る扉を開けた。
ペンキなどの画材の匂いが鼻をつくが、やはり見渡してみても人はいないようだ。
「間違ってたのかな?……て、あれ?なにか書いてある」
俺の背中から恐る恐る顔をのぞかせた葉月が何かに気づいてつぶやいた。
視線の先を追ってみると、黒板になにやら印字された文字が貼り付けられている。
「なんだこれ?『すべては影が導く』?」
黒板なので当然チョークもすぐそこにあるというのに、わざわざ印刷した文字を貼り付けているあたり、これがN.Tからのメッセージだとすると、俺の推理は間違いではなかったらしい。しかし、そうなると今回の意図する場所はどこなのだろうか。
改めて辺りを見回してみたが、今回は今までのようにヒントの紙が落ちているわけでも無さそうだ。
(今回は今までとは違うってこと……?かげ……陰……影……いん……)
「つってももう校内は一通り回ったしな、一体どこに……」
「わっみてみてゆず!影法師~♪」
「ハイハイ……ってそれだ!!」
この学校で1番大きな影ができるとしたら校舎そのもの、もしくは校庭に伸びる大型照明とスピーカーの鉄柱だろう。ちょうどこの時間帯はその鉄柱の影が校舎方面へ長く伸びており、おそらくその影の差す場所が彼らの本当の居場所だろう。
(だとすると、もしかして……)
はやる気持ちを抑えられず、美術室を飛び出すと校庭へと足早に歩を進める。
もう少しでこの一連の犯人にたどり着ける。
そんな期待と、どんな凶悪な犯人なのかまだ掴めていない不安で、固く握ったこぶしの裏にじわりと汗が浮かんだその時だった。
「柚紀……っ!」
突然背中に聞こえてきた声に、走り出しかけていた足をなんとか踏みとどめて、怪訝に後ろを振り返る。
しかし、少し予想外なその人影に俺は苛立ちより言い知れぬ違和感とちょっとした驚きのほうが大きかった。
「なんだ、歩じゃん。意外だな、お前と放課後に会うなんて。野球はどうしたんだ?」
いつも部活に直行するため、俺たちが放課後に会うことはほとんどないし、実際、これまで一度もなかった。
それに夕陽の逆光で気付きにくかったが、歩はいつもの制服ではなく野球のユニフォーム姿であるため、部活が休みだったということは考えにくい。それだけに、少し驚いたのだ。そして、同時に違和感も増していく。
(なんだ…歩のやつ。やけに暗いような……?)
そこで気付く。逆光の夕陽に立つ歩の目元で何かが光る。
涙だった。
「おい……!どうしたんだよ!?」
異様な胸騒ぎ。何処か感じる違和感。こういう勘は、たいてい的中する。駆け寄った途端、突然その場に泣き崩れた。
「おい……!歩、いったいなにが――……」
「……ツ、捺が……」
「?」
「捺が……あいつらに連れ去られた……っ!」
「…………!」
俺の隣で、葉月も驚きを隠せないまま、さっと青ざめながら、泣きそうな目をこちらに向けた。
「ゆ、ゆず……」
(どうする……、どうするんだ柚紀。考えろ、考えろ……!)
先ほどの廊下から少し歩いたところにある第2工作室。老朽化のせいもあり今では空き教室となったその部屋にひとまず歩を連れていき、休ませる。
「どうしよう……柚紀……俺……おれ……」
古臭いにおいのする教室に、仰向けで寝かせた歩が涙声で溢した。
赤くなった目元を隠すように覆った腕の隙間から、幾つもの筋が頬を伝って流れていく。
俺は目を閉じ混乱する頭を抱えて自問を繰り返す。
(もう少しで奴らの正体を掴めると思ったのに……!)
悔しさにたまらず固く握った右手を開き、手の中にある紙切れを見つめる。先程の四角い紙切れだ。これが奴らの正体を暴くはずだった手掛かり。
(これでたぶん次に奴らの現れる場所はわかる。でも……)
このことを少しでも奴らに勘づかれたりすれば、そのとき奴らの手元にいる捺がどうなるか分からない。
一か八かの賭け。勝算は―――……
(危険すぎるか……?)
焦りと緊張のせいか。
首筋にじわりと汗が伝うのを感じながら、俺は覚悟を決めた。
「葉月」
「は、はい」
「今日は……引き上げよう」
「え…」
「ちょ……っ待てよ柚紀!なんでだよ!」
予想していなかったのだろう。思わず飛び起きた歩が、眉間にめいっぱいのしわを寄せて反論する。
「なんでって……誘拐なら、先生や警察も動いてくれるだろ。大体、お前、ショックで体調崩してるし、安静にしてなくちゃいけないだろ?」
「なんともねぇよこれくらい!!」
「いいや、今日は安静にしてろ。無茶したって余計に――……」
いつものようになだめようとするが、今回はそうはいかなかった。
もともと争いを好まない歩。いつもならこの時点で大人しく引き下がるが、歩は俺の襟元を掴みあげて見たこともないほどの形相で叫んだ。
「ふざけんな!!!!黙って大人しく引き下がれっていうのかよ!?」
「そうだ!あとは警察に任せたらいいだろう!所詮俺らなんかじゃ……っ」
――……なにもできないんだよ。
そう続けかけた言葉を、飲みこんで自分の言葉が胸に突き刺さる。
所詮、無力な子どもでしかない。思いだけ強くて、なにもできやしない。
心のどこかではかすかに気付いていたことを、自分で自分に突き付けた様な気がして、体中の力が抜けていくのを感じた。
「…そうかよ。もういいよ、俺は勝手にする」
長い沈黙の後、襟元にかけられていた力が緩む。そして、歩はうつむいたまま静かにそう吐き捨てると、乱暴に扉を閉めてどこかへと行ってしまった。
「あ……ちょっと待っ……」
聞こえていたのかどうかはわからないが、歩は葉月の声にさえ振り向かなかった。
「ね……ねぇ……ゆず、ほんとに行かないの……?」
黙ったまま歩の出て行った扉を見つめ続ける俺に、葉月が今にも泣きそうな顔で言った。困ったことに、どうも俺は葉月のこういう顔には弱いらしい。まったく、こんな自分にため息がでる。
「はあぁ……わざわざ言わせるつもり?行かないわけないだろ?」
当然のようにそう返すと、葉月の涙目がパァッと輝いた。
「……っ!!それじゃあ……っ!!」
窓から見える景色の向こうには、もうすぐ星が輝き始めそうな夕焼けと夜空の混じるような2層の空。
葉月の手を引いて、俺はあの場所へと向かった。
「ほら行くよ。
――――…………もうすぐ奴らがくる。」