謎
そんな音楽室騒動から一週間後の朝。
「ふぁーあ、昨日も書類作業ばっか押しつけやがって……くそ櫻井め」
「もー櫻井”さん”でしょ、ゆず!それに、あたしたちは寮や生活費もお世話になってるんだからそれくらいしなくちゃダメだよ?」
教室に続く廊下を歩きながら、ため息とともに大きなあくびが俺の口からこぼれ落ちる。
「だってよー……」
「だってよも、何も言わないの!……おはよー!」
なんだかんだで丸め込まれて俺はしぶしぶと教室の扉を開ける葉月の後ろに続いて教室へ入る。
その途端にわかる。教室の変わった空気。
(なんだ…この異様な空気は…?まさかまた…?)
ふと教室の奥に目を向けると、なにやら浮かない顔をした歩と捺の姿が目に入った。
「歩!捺!一体、どうしたんだ?」
「柚紀、葉月ちゃん…!」
「なにかあったの?なっちゃん」
「……うん。 実はね……また現れたのよ、例の……」
心配そうに首をかしげる葉月に捺が苦々しげに話し始める。今回は、そのセリフだけで俺はすぐに直感する。
「噂のやつらか…」
遮って答える俺の問いに無言のまま捺がうなづいて、そう続ける。
「……実は、理科室が荒らされたらしいの」
「荒らされた?どんな風に?」
「うーん…特になんていうわけでもないんだけどね。音楽室と同じように窓ガラスが割られたり、教室がめちゃめちゃにされてるらしいの」
「なんだ……そんなことか」
「そんなことってなんだよ柚紀。これでも結構一大事だぞ?」
ふとこぼれた心の声に、歩が口をとがらせる。
(ヤバ……。これじゃ、『荒らされたぐらいなんだよ』って言ってるみたいに思われたな……)
そんな誤解を解くべく俺は、必死に説明をつけたす。
「悪い悪い、いやいや……みんな空気が重いからてっきり誰かが何かあったとかそういう感じかと思っちゃったからさ」
「あぁ、そういうことか。確かにイタズラにしてはみんな空気が重すぎるもんな。でも誰もひどい被害とかはなくてほんとよかったよな」
「だね。まっ、それだけだよ!あ、葉月、一緒にトイレいこー」
「うんっ。じゃあ柚ー…紀くん。行ってくるー」
「はいはい…いってらっしゃい」
ふたりの時のいつもの調子で『ゆず』と呼びかけてあわてて言い直すと、笑顔で手をふる葉月。
それに対して俺は、ちょっと苦笑いしつつも手をヒラヒラと振って返して見せる。
葉月と捺が教室を完全に出ていくのを見送った後、俺はまっすぐ前を向いたまま視線を変えずに隣で同じように壁にもたれかかる歩に問いかけてみる。
「……で、なんだよ。それにしては浮かない顔じゃんか」
「あれ、わかる?」
「分かるね、分かりやすすぎるね」
「まじ? 参ったな」
「んで、何をそう気にしてるんだ?」
「いや 別に大したことじゃないんだけど……さ」
「なんだよ、言ってみろよ」
「実は……さ、柚紀たちは帰宅部だから知らないと思うんだけどさ、教室荒らし以外にもいろんな噂が出ているんだよな」
「は?どういうこと?」
「あ、確かなわけじゃないけど……普段あまり見かけないフードを被った三人組をよく見かける気がするとか…男女で歩いていると誰かに付けられている感じがするとか……今までの他の学校は大体部室がひとつ荒らされたくらいでピッタリ終わっているし、なんでうちだけこんなに続くんだろってちょっと不気味だなってさ」
「なんでそれを早く言わない!!」
「ご、ごめ…だって、ただのイタズラならすぐ止むだろうし、捺や葉月ちゃん……怖がらせること……ないかなって思って……」
「…っ!」
珍しく素直にしおらしく謝る歩。
確かに、それは正論だ。俺だってできることなら葉月を怖がらせたくはない……いやまあ捜査員として知らなければいけないことだとは思うが。
その事情を知らない歩からすれば、わざわざ知らせる必要はないと思ったのだろう。それに、こいつがこういうヤツだって知っていたのに、今の今まで気づかなかった俺も俺だ。こいつを責める権利などない。
「……そういうことだったワケね、今朝の静けさは」
「ああ……ただ今まではただ転々と荒らしを楽しんでいるだけの愉快犯って感じだったのに、なんでうちだけこんなに執着されているんだろう……?」
んー、と軽く背伸びをして今度は後ろの窓枠に腕をくんで乗せるとそのなかに顔をうずめながら外の景色をぼんやりと眺める歩。
「なんでってそりゃ犯人が何か探してるとかじゃないのか?だから順番に――…」
そういった自分自身の言葉に、疑問を抱いて思い返す。
(順番…?順番っていえば規則性があるのが普通だよな……音楽室の次は理科室…?別に共通点なんかはー…)
「にしても意味わかんないよな、なんかなんの関係性もなさそうな新聞の切り抜きは落ちてたらしいけど」
「切り抜き……?」
「そう、理科室が荒らされた時偶然現場を見かけた隣のクラスの奴がさ、新聞の切り抜きが落ちてたんだって。でも、内容は『子どもわくわく実験教室』って地域で催された、子どもに科学のおもしろさを伝えるイベントについての記事だって。……ほら、これこれ」
そういって歩はこっそり持ち込んでいたスマホで一つの画像を見せてくれた。どうやら例の友人が現場の写真を撮っていたらしく、理科室のガラスが二枚ほど割られており、教室内部側にその破片が散らばっている様子が映っていた。木製のイスもいくつか倒れてはいるものの、危険な薬物などは厳重な鍵が掛けられていたこともあってか他に被害はなさそうだ。そして、歩の言う通り小さいながら確かにドア付近に新聞記事の切り抜きらしきものが落ちている。ピンチアウト操作をして拡大してみてもせいぜい文字は見出し程度しか見えないが、青い銅塩の炎に喜んでいる子どもたちの写真が一枚だけ掲載されていた。
なぜ子どもの実験教室なのかはわからないが、記事の内容と犯行現場の関連性を考えれば割と妥当だろう。
(だとするともしかして前回の音楽室にも何か同じような切り抜きが落ちていたのだろうか……あとで探してみよう)
「……ずき? おい だいじょぶか?」
様々な思考を並行に巡らせる中、意識の中歩の声が聞こえて、俺は現実に引き戻される。
「わ、悪い。ちょっとボーっとしてた」
「んなの、見りゃわかるって」
「だな!そりゃそーだ」
そういって、互いに笑いあう。
「あ。おーい!柚紀くんー、歩ー!一限目の現社、視聴覚室に移動だってさー!!」
トイレを終え葉月を連れて戻ってきた捺が、俺たちを見つけて手を振りながらそう教えてくれる。それに歩が軽く振りかえして、それぞれの授業の教科書やらノートやらを取り出しながら会話を続ける。
「ま、あくまでも嫌な予感ってやつですからねー、勘の域だし。とりあえず捺に余計な怖さとか感じてほしくないんだ。それに…」
「…………?」
突然言葉が途切れたことを不思議に思い、探っている引き出しから顔を上げて少し離れた左側を見てみると、歩が想いに耽るようにつぶやく。
「あいつにはなんつーか…笑っててほしいし…」
すごく、優しい表情。
(なんだ…。なんだかんだでこいつも捺のこと好きなんじゃん)
ただ、どうやら本人は自分のその感情すらどういうものかわかっていないのだろう。
(お二人さんとも、不器用なこった……あ、そーだ♪)
そう閃いて俺は、変にニマニマした顔を浮かべながらわざと歩に突っかかってみる。
「ふーん?それでそれでっ?」
「な、なんだよっっ!その顔っ!柚紀お前ね、からかってんだろっっ!」
「いんや、そんなことねーよ?」
照れながら怒る歩。しかし、それをまた俺はサラリと交わして見せる。
「うそつけっっ!!」
「柚紀?歩ー?早くー!」
「あいよー」
「あ、待てこら柚紀!今の、ぜーーーったい秘密だからなっ!」
廊下から待ちくたびれた捺の声が聞こえて、俺は歩から逃げるためにわざとそれに対して答える。
歩より先に教室から出たため、歩が最後に教室から出てきて葉月と捺、そして俺、その後ろでちょっとふてくされたように歩はなにやらひとりぶつぶつと呟く。
(さて 『ぜったい秘密』か。どうしようかな♪)
俺はひとりそんなこと思いながら、次の捺たちの後ろを歩くのだった。
――コンコン。
夕食や風呂を済ませ、のんびりした俺たちの部屋にノックの音が鳴り響く。
(なんだ?櫻井のやつ、また書類仕事押し付けに来たのか?)
読みかけの本を閉じ、玄関にパタパタと駆けていく葉月。扉を開けると、そこにはたれ目が優しそうな印象のメガネの男性が立っていた。
「柚紀、葉月。ちょっといいかな?」
「あ 藍田さん、お仕事お疲れ様です」
「あぁ、葉月たちもこの間の潜入捜査ご苦労だったね。お。なんだ、柚紀もいるじゃないか」
葉月に藍田さんと呼ばれて、出迎えられた男が葉月の隙間から覗いた部屋の奥にいた俺を見つけて、ひらひらと手を振る。
藍田さん――…フルネーム、藍田圭吾。
こうして一見人当たりの良い性格だが、これでも一応西鈴警視庁の警視総監と呼ばれるトップに立つ人だ。
「ちわ。お忙しそうな藍田さんが俺たちのとこって――……なに用ですか?」
「つ、冷たいなぁ。帰りに時間があったからお土産をおすそわけがてら寄ってみただけだよ。ほら」
ため息交じりに問いかける俺に苦笑いを浮かべながら藍田さんが腕に下げた紙袋から、四角い箱を取り出す。上の面だけがクリアになっていて、中からおいしそうなチョコレートケーキが顔をのぞかせる。
「わぁっショコラケーキっ♪やったぁ!ありがとーございますっ藍田さん」
「はしゃぎすぎだよ、葉月」
嬉しそうに箱を高々と突き上げて回す葉月に俺がそう注意すると、俺の後ろでくすくすと藍田さんが笑いながら俺に呼びかける。
「また君はそんなに堅そうな顔して。もっと楽しそうに笑ってごらんよ。君だってまだ子供なんだ。ね?」
「でもな……組織ってのはそんな甘いもんじゃーー」
「こーら」
「ん…」
それでも言いよどむ俺に、藍田さんが小さい子をしかりつけるような言い方で頬を軽くつねる。
なんだかんだ、藍田さんには感謝している。今もこうして葉月と一緒にいられることも、ここで暮らせていることも、普通に学校に行かせてもらっていることも、すべて藍田さんが計らってくれたおかげだ。それでもなお、俺の憎まれ口すらも優しく受け止めてくれる藍田さんには頭が上がらない。
「さて、そういや君たち、今もまた何かの潜入捜査中かい?」
「いや、今は特に任務も受けてないですしね。とりあえず情報収集中、ってとこですよ」
「ははぁ、なるほど。まぁ君たちにはそういうのが適任だからね」
「それってバカにしてたりします?」
ショコラケーキにすっかり気をとられて答えない葉月の代わりにふざけ半分でそんなことをいってみる。
「え!?そんなつもりは……いや、でもほんと、助かってるよ。若い世代のほうが、情報っていうものは回りやすいものだからね」
「そうですね……俺たちだからこそできることをさせてもらおうと思います」
ポロンポロン。
一時間周期で時間を知らせるの鐘の音に、ふと掛け時計を見上げると時計はもう21時半をさしていた。
「おやいけない、思ったより長居してしまったな。こんなに立ち話をするつもりはなかったんだがあまりに楽しすぎてつい……、家族みたいにね。それじゃおやすみ」
「おやすみなさい。お疲れした」
「お、お疲れ様です。おやすみなさい」
やっと藍田さんが来てたことを思い出した葉月が、俺の後にそう付け加えて二人で藍田さんの背中を見送るとドアを閉じてその扉に背を預けるようにしてもたれかかる。
(家族……、か。)
訳あって家族と呼べる血縁が葉月しかいない俺にとって、あまり実感のわかないながらも藍田さんの言葉に少しだけ俺は、笑みがこぼれたのだった。