Day1|はじまりのN
「01。起床の時間です」
一睡もできないまま迎えた朝。
寝不足もあり思考が鈍り切った俺に、藍田さんは淡々と手錠をはめて部屋から引っ張り出した。
「ひとまず今日は『測定』を行います。概ね、君の様子を見ている限り能力は開花し始めていると思いますが、一応データとしても確認しておきたいので。では、ついてきてください」
一方的に話し終えて歩き始める藍田さんのあとを追いながら、俺はその背中に投げかけた。
「ひとつ、いいですか」
声は落ち着いていた。
藍田さんは、ただ静かに視線を向ける。
「先日、成功例はファイルに載せないと言いましたよね」
「ええ」
「でも、燐の件は載っていました」
想定外の沈黙――そして、あっさりと。
「そうですね」
それだけで、背筋に冷たいものが走った。
「そもそも派生プロジェクトの起源は、あの子ですから」
暗がりの廊下のなか、藍田さんは手元の電子機器を操作する。
機器が淡く発光し、空中に半透明の電子画面が展開された。
古いフォルダに触れると、複数のウィンドウが静かに広がり、内部のデータが瞬時に映し出される。
粗い映像、乱れた記録。
それは、幼い頃の燐のデータだった。
「Nシリーズの始まりは、計画ではありませんでした。
単なる偶然。
幼少期の事件を目撃し、情緒が不安定になった――それだけです」
画面には、心拍と脳波の推移が表示される。
「普通は潰れて終わる。
ですが燐くんは、“生き延びる”ためなら与えられたものを何でも取り込もうとした」
指で、右肩上がりのグラフをなぞる。
「この状態の脳は、外部から与えられる刺激を“生存に必要な信号”として誤認しやすい。
その状態を、私は利用できるかもしれないと考えました」
淡々とした声だった。
「もちろん、これはただの仮説です。
失敗すれば事故として処理できる。
成功すれば、再現可能な派生能力が手に入る」
どちらに転んでも、燐の救いにはなりえなかった。
静かな事実に痛む心の内を誤魔化すように、握りしめた拳には固く力が入っていた。
「だから、燐以降の成功例は記録を残さなくなった」
「ええ」
藍田さんは頷いた。
「成功例が“存在する”と知れば上はすぐに量産しようとするでしょう。しかし、能力の発現は非常に繊細な精神管理が必要です。
彼らの干渉はむしろ邪魔にしかなりえません」
別の画面を開く。
そこには、燐の後に起きた2つの事件のデータが淡く表示されている。
わざと詳細を隠すように、数字が塗りつぶされていた。
「だから、成功例は"まだ"出しません。私が求めるのは完璧な能力の完成と、そのための資金援助。それだけです」
鋭い眼光とメガネのレンズに映るのは、そこに在るデータしか見ていなかった。
思わず、息を固く飲み込む。
「じゃあ、燐の事件は本当に偶然……」
「はい、その通りです」
あまりにも自然に、その言葉を置いた。
「ただ、もう1つの事象についてはね、誤解しないでほしいですね。」
「なんのことですか?」
心のあたりのない一件に眉を寄せると、藍田さんは一瞬だけ驚いたような顔をしたがすぐに冷静さを取り戻した。
「……いえ、なんでもありません」
「じゃあ、唯は……」
「あの家は、必要な条件が揃っていたので、私は少しだけ“環境を整えた”だけです」
わずかな笑み。
そこに罪悪感の匂いなど欠片もない、本当にただの作業の一環という顔だ。
「燐くんは偶然。
唯くんは、長期的なストレス環境下でのモデルケース。
——つまり、壊れるまで放置された場合の成果物です。
だからこそ、私は再現性を確かめたかった」
淡々と画面を指先でなぞりながら、藍田さんは思い出したようにこう補足した。
「ああ、ちなみに弟くんの件は――理論の否定証明です。
病弱体質では成立しない、という当たり前の結論を得るための」
思わず、声を失った。
唯の弟は失敗すると分かったうえで、病弱体質者ではこのプロジェクトの負荷に耐えられないという、その結果を提示するためだけに献上された。
その事実が、胸に重くのしかかる。
藍田さんはふっと、わずかに柔い目をする。
「だから、君が"01"なんです。
君の能力が完全に開花すれば、確実に事件解決力は増幅する。君の大好きな"正義"が貫ける」
名前ではなく、番号。
その言葉だけが、鮮明に胸に深く刺さる。
「……安心してください。君のその崇高な意志は、私が必ず実現させてあげますから」
耳元に囁かれたその声は、やけにいつまでも鼓膜の奥に絡まっていた。
一呼吸、大きく息を吐いた後冷静に口を開いた。
「さて、もうそろそろいいですか。私も暇ではありません。話した情報分のデータはしっかり提供して頂きますからね」
いつの間にやら辿り着いた広い空間には、物々しいチェアがひとつ。
混線しそうなほど張り巡らされた配線は、すべてすぐそばの管理機器とモニターに集約されていた。
力の抜けた身体は、藍田さんに軽く肩を押されただけで、いとも簡単に崩れる。
チェアへ倒れこんだ身体を、固く冷たい座面がぴたりと受け止める。
クッションはほとんど機能していなかった。
こちらの様子など構う素振りもなく、藍田はただ黙々と測定器を取り付けていく。
こうして気の遠くなるような長い時間、散々様々な測定をされたのちに、ようやく居住区に戻された頃には、動く気力もすっかりなくなっていた。
もつれた足でなんとかベッドに辿り着くと、優しい寝具の肌触りに疲労感を預けて、目を閉じる。
思えば。
N.Tとの件で歩と仲違いをしたときの件も、俺はもっと真面目に聞いておくべきだった。
パズルや謎解きなんて一番苦手なあいつが、俺を出し抜くために唯や真琴の残した暗号に細工をするなんて出来るはずがない。
仲直りの後日に話していた「優しげなメガネの人に教えてもらった」というのは、藍田さんだったのかもしれない。
そんなところにまで干渉していたのかと思うと、恐怖で息が詰まった。
◇ ◇ ◇
静まり返った施設内で、藍田が一人PCを操作する音が響く。
画面に映しだされるのは、本日採取した検体01の能力開花進捗度と不足要素のグラフだ。
改めてデータで確認しても開花が進んでいるのは間違いなさそうだ。ただ、まだ7割程度といったところだろうか。
不足要素としては、何よりも圧倒的に、まだ能力を使った経験が少ないことだろう。
(ひとまず明日はウォーミングアップがてら、2回ほど能力を使わせてみようか)
明日の方針が決まったところで、藍田はまた珈琲を傾けた。




