葉月の決意
帰りの電車の中。
私は一人、混乱と解けた緊張のせいで、脳内はショート寸前だった。
(び、びっくりしたぁ…本当にN.Tの真琴ちゃんだとは…)
最初に出会ったあの日。
一瞬だけ似ているなとは、確かに思った。
でも、そんな思いは苦しそうなあの子の顔をみたら、すぐに消えた。
目の前に困っている人がいて、それを助けることの何が悪だろうか。
(って、そんなことより!)
断片的で、詳しいことはわからない。
それでも、彼女が“そういう目に遭った”のだろうという考えだけは、どうしても拭えなかった。
だとしたら心配なのは、事情を知らない男性しかいない状況で発作が起きた場合のことだ。
柚紀がN.Tに関心を持っていること、恐らく接触があるだろうことは薄々感じる。
少なくとも、あの柚紀が傾倒しているならば、みんな根っから悪い子たちではないはず。
とはいえ、アジトでまたあのような発作を起こしたらと思うと心配だ。
あの様子だと、二人にも言えていないだろう。
当然、追われている身で、気軽に医療機関にもかかるとも思えない。
しかし、私も社用スマホしか持っていないので、お互いの立場上、当然連絡先を交換するわけにもいかない。
(うーん、何かいい方法………)
ふと、とある方法が脳裏に浮かんだ。
これならきっと――あの子を助けられるはずだ。
◇ ◇ ◇
後日。
かつて柚紀に教えてもらった情報を頼りに、私は"なにかあったときにいる場所"に立っていた。
私の推測が間違っていなければ、柚紀が教えてくれたここはきっと「N.Tのアジト」だ。
深く、深呼吸。
理由は勝手に話すべきことではない。でも、対処法は言わなければ真琴が壊れてしまう。
いつもなら真琴に会っている時間だが、今回は用事があると言っていたのでアジトに真琴はいないはず。
言うなら、このタイミングしかない。
意を決して3回、ノックをする。
扉の向こう、人の気配はするものの、しばらく息をひそめるかのような長い沈黙が続いた。
(やっぱりダメかな…)
そう思って踵を返そうとした時、ようやく扉がゆっくりと開かれた。
一番手前には睨みをきかせた燐、その奥に唯。そして、……やはり予想通り、柚紀がいた。
「東雲葉月。なぜここが?」
「え、と…ゆずに聞いて」
柚紀とも、クラスメイトの歩くんとも違う。男の子の本気で鋭い視線につい怖気づきながらも、恐る恐る答えた。
「柚紀、お前…」
その回答を聞いて、燐から怪しむ視線を送られた柚紀は慌てて否定した。
「いや違う、誤解だ。確かに勝手に緊急場所として教えたのは悪かったが、葉月は警察に情報を売ったりしない」
「ふーん。じゃ、それなりの事情があったってこと?」
苦虫を噛み潰したような顔で、燐の視線はまた私を鋭く刺す。
(私が怖がってちゃ、だめだ…)
胸元で握った手を固く握りしめ、なんとか言葉を絞り出した。
「……あの。少し、お話があります」
三人の視線が向く。
乾く唇をかみ、勇気を振り絞って頭を下げる。
「真琴ちゃんが、どうにもならないくらいパニックになったときだけでいいので……私に連絡してもらえませんか?」
「は……? なんでだよ!大体、真琴とどういう関係だ」
燐が一番に声を荒げた。
「えと、いろいろあってお友達に…」
「じゃあ最近あいつが出掛けてたのは……ってことは、あの雨の日の件もお前のせいだな」
「ちが…」
「燐。落ち着けって」
「柚紀は黙ってろ」
柚紀が伸ばした手さえ、燐は強くはたきのけた。
「俺だって真琴の力になれる!
……柚紀はまあ、わかる。でもお前のことは、まだ信用してない」
柚紀の静止にすら熱が引かない迫力に、思わず怯んだが、それでも頭を下げる。
「ちがうんです……燐くんが悪いとか、頼りにならないとか、そういうことじゃなくて……っ」
燐がさらに食ってかかろうとした時──。
「……わかった」
場の空気を切るように、静かに唯が言った。
「おい唯!? なんでだよ!真琴になにするかわかんねぇだろ!」
燐は振り返り詰め寄るが、唯は静かに目を伏せた。
けれど、その横顔は静かで、どこか痛みに似たものがあった。
「バカ。まだ気づかないのか、お前」
「は?」
「だめなんだよ、“俺たち”じゃ」
「どういう意味――…」
燐の口が止まる。
唯もそれ以上、言葉を継がなかった。
けれど十分だった。
『 ──男性が、駄目なんだ 』
その事実だけが、真琴の傷の輪郭をはっきりと浮かび上がらせた。
唯は私に向き直って、少し頭を下げた。
「…悪いが、真琴のことは頼む」
「…はい。絶対、真琴ちゃんの味方です」
無事に熱意が伝わった安堵に、胸の奥がわずかに緩んだ。
そんな唯の後ろで、燐は唇を噛む。
柚紀がそっと燐の肩に、手を乗せる。
「燐、真琴のためだよ」
「……わかったよ」
固い歯ぎしりとともに響く燐の声は、震えていた。
それは怒りではなく、自分の無力さを噛みしめる痛みに見えた。




