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TRUE♰LIE  作者: れむ
20/26

揺らぎ始める影

翌朝の休日。

今日は学校は休みだけど、私たちは当番で午後は勤務に出ることになっていた。

遅めの昼の食卓はいつもならゆずの声と食器の触れ合う音で静かに賑わう。

けれど今日の空気は、なぜかひんやりと冷たかった。


「ゆず、ごはんできてるよー」


声をかけると、ゆずはゆっくりと席につく。

けれど、返事はいつもより遅く、どこか遠くを見ている。


「……ああ」


その曖昧な返事に胸がざわつく。

昨夜ずぶ濡れで帰ってきたときから、おかしいとは思っていたけど——

ここまでとは思っていなかった。


ゆずは、黙ってパンを口に運んだ。

味わっている様子はない。

ただ、動作だけを繰り返しているようだった。


「ねぇ、ゆず」


思わず声が漏れる。


「昨日……何かあったの?」


ゆずは一瞬だけ動きを止めた。


けれど、次の瞬間にはまた無理やり作ったような笑顔を向けてきた。


「いや、なんでもないよ。大丈夫」


——大丈夫、というときほど大丈夫じゃないのを私は知っている。


けれど、それ以上踏み込めなかった。


「……そっか」


そのひとことの重さが、やけに苦しく響いた。


昼食後、出勤準備をするゆずの背中は、いつもより少しだけ丸まって見えた。

触れれば壊れてしまいそうな、そんな影が寄り添っていた。



          ◇ ◇ ◇



朝から勤務している櫻井は午前の書類整理を終え、午後には柚紀を呼び出すために執務室の扉を開けた。


その瞬間、向こうから歩いてきた柚紀と鉢合わせになる。


「おはようございます、櫻井さん」


昨夜あれほど濡れて帰ってきたとは思えないほど、柚紀はいつものきっちりした姿だった。

髪も整えてあるし、制服にも乱れはない。


……ただし。


その“仕上がりの良さ”が逆に不自然だった。共に執務室に入室して改めて、正面から向かい合う。


「昨日はすみませんでした。疲れてたみたいで、ぼーっとしてしまって」


軽い調子で言うが、声に温度はほとんどない。


しかしすぐに、いつも通りの流れるような業務報告へ切り替わる。


「改めて報告なんですが、的場さんへは確かに例の書類を渡してきました。

仕上がりは一週間後になるそうですが、問題ないでしょうか?」


隙がなかった。


完全に“普段どおり”を作っている。


櫻井はその違和感を胸の奥に押し込みつつ、短く返す。


「……ああ。納期の件は問題ない」


東雲は小さく頷き、壁時計を見た。


「ならよかったです。あ、そろそろ夕方パトロールの時間ですね。行ってきます」


──ほんのわずかに、早い。


“逃げ道を作っている”としか思えないタイミングだった。


「柚紀」


呼び止める。


わずかに柚紀の肩が揺れたが、こちらを振り返って微笑む。


「はい。なにか?」


その笑顔は、完璧だ。


完璧すぎて、逆に危うい。


「……いや。気をつけて行け」


「もちろんです」


柚紀は軽く会釈をして歩き出した。


完全に“普段どおり”の足取りで。


──けれど。


その背中に見えた影は、普段の彼には決してなかった色をしていた。


迷い。

痛み。

そして、揺らぎ。


櫻井はただ、その影を見つめるしかなかった。


(……やはり何も言わないか)


言わないなら、無理に聞き出すべきじゃない。

だが、目の前の柚紀は明らかに“独りで抱えている”。


(当分気にかけておかなきゃな)


深く吐き出したため息は大気中に溶けたが、このわだかまりはまだつっかえたまま。



          ◇ ◇ ◇


胸がざわつく。


昨日から、ずっとだ。


書類を見ても、頭に入らない。

人の言葉が、活字が、遠くの方でぼんやりと響いているみたいだ。


(燐の……話が……)


忘れようとしても、脳裏にこびりついて離れない。


“正義は万能じゃねぇ。

 あいつらの都合が良けりゃ、人ひとりの人生なんて簡単に潰れる”


耳の奥がじんと痛む。


——なんで、あんなことが許されるんだ。

——あれが“法”なんて、本当に正義なのか。


午後の巡回は、夜星高校とは遠いエリアを見回っていた。

 

今日のメインは、平日休日も問わず不良グループがたまり場にしている高校近くのショッピングモール。

 

治安の悪い廃工場エリアと、塾や習い事教室が充実する繁華街エリアのちょうど境に位置するこのモールでは不良が絡むトラブルや犯罪が絶えない。

 

特に本屋は以前から万引きが頻発しており、万引きによる損害と家賃の値上がりも相まって、もう店を畳む覚悟を決めざるを得ない瀬戸際にまで来ているそうだ。

 

俺は本屋のある一階、葉月はコスメや雑貨など女性客が中心になりそうな二階をそれぞれ手分けして見回ることにした。

 

一通り店内を見回って最後の書店を出る際、ゆるく制服を着崩した少年たちとすれ違う。

 

(あれ、あの顔どこかで…)

 

なんせ今日の俺は全く頭が働かない。どこかで見た気がするが、思い出せないままじっと彼らの行動を見つめていた。

 

すると一人が人目のある廊下側に背を向けて立ち、その隙にその背に隠れたもう一人がそっとマンガの単行本を制服の下に忍ばせていくではないか。

 

(思い出した…あいつら万引きの常習犯…!)

 

複数冊を服の下に忍ばせたあと、まるで無邪気な子どものように出口へ走り去ろうとする二人の腕を俺は慌てて強くつかんだ。



          ◇ ◇ ◇



「はい…はい…先日の情報連携にあった万引き常習犯の現認です。場所は…」


逃げられないよう角に座らせ、立ちふさがる形で少年たちを囲いながらも、俺はスマホで少年課に連絡を入れた。

 

葉月にも降りてくるよう一言入れたので、もうじき来るだろう。

 

俺が安堵感に胸をなでおろす中、少年たちは笑いながら言う。


「ちぇっあと少しだったのにぃ」


「だからお前は甘いっていってんだよ。ちゃんと周りをよく見てさー」


捕らえた少年たちはまるで緊張感の欠片もない。

 

協力プレイでクリアできなかったゲームを、終わった直後に「お前のせいだ」となすりつけあうような日常に溶けた風景のよう。


「今少年課の人を呼んでいるから。もう逃げられないぞ、観念して罪を認めるんだな」


万引きは立派な"窃盗罪"という犯罪だが、少年たちの表情には微塵もその意識がない。


「たかが万引きだぜ?どうせ罪になんかならないでしょ。前もそうだったし」


「そーそー。バレたときだけ『ごめんなちゃーい』って涙流せばいいんだろ。

どうせ俺たちは未成年だ。別に逃げたりしねーよ。正々堂々、"法が"俺たちを守ってくれるんだから」


「お前らっ……反省して——」


言いかけて、言葉が詰まった。


(法が守っている……加害者を…)


胸の奥に、重く冷たい石が落ちた感覚。


あの日見た燐の表情が蘇る。


”全部……なかったことにされた”


息が苦しい。


視界がぐらぐらと揺れるようだった。


(……俺、は……何を守ってるんだ?)


誰かのために戦ってきたつもりだった。

 

正しいことをしてきたはずだった。


なのに——…正しさの方が間違ってるように見えてしまうなんて。


それからはあまりよく覚えていない。

 

到着した少年課の担当者に引き渡して、重い足取りでその場を後にした。



          ◇ ◇ ◇


夕方の帰り道。

塾を終えた捺は、友達と別れ、駅までの道をひとり歩いていた。


ふと、背中がぞわりとする。


(……誰か、ついてきてる?)


振り返る。


けれど見えるのは夕暮れに伸びる電柱の影だけ。


「気のせいかぁ……」


そう言いながら笑ってみせるが、胸のざわつきは消えなかった。


繁華街の喧騒から少し離れたビルの影。

 

廃工場方面へと続くショッピングモールの裏通りで路駐したふたりの男は車の中から少女の様子を伺う。


「で、標的はあの女で間違いねぇな?」


「ああ。東雲柚紀。あいつを潰すには、あの子が一番効くだろ」


男は写真を指で弾く。


そこには捺の笑顔が写っていた。


「本命が姿を現すのを……待つだけだ」


夕暮れの影が、ゆっくりと深く濃く伸びていく。


そしてその影は——柚紀の足元へも、静かに忍び寄り始めていた。

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