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TRUE♰LIE  作者: れむ
17/25

相咲 燐

相咲 燐――3歳


とある昼下がり。


赤い屋根の小さな家に、慎ましいが温かな家族が住んでいた。

優しい両親と、純粋で無垢な男の子——燐。


「おかあさん!! おとうさん!!」


駆け込むと、キッチンで談笑していた両親がこちらを向いて微笑む。


「どうした、燐?」


「あのね! きょうってなんのひでしょうかっ!」


「ふふ……燐くんのお誕生日、でしょ?」


「せーかーい!! ぼくね、けーきは……!」


「はいはい。チョコレートケーキね。もうすぐ焼けるから待ってて?」


「やったぁ!! おかあさんのけーきだいすき!!」


「それは嬉しいわ。……あら?」


母が冷蔵庫を見て呟く。


「燐くんの大好きなオレンジジュース、切らしちゃってたみたい」


「えー!!」


「ごめんね。すぐ買ってくるから」


「車出すよ。燐も一緒に行くか?」


「いく!! まってて!! みーちゃんとってくる!」


お気に入りの猫のぬいぐるみ——みーちゃんを取りにぱたぱたと2階へ駆け上がる。


その時だった。


——高い女性の声が聞こえた気がした瞬間、また家の中は水が引くように静かになった。


父の車のエンジン音も消えている。


嫌な予感が胸をひっかく。


「おかあさん……? おとうさん……?」


みーちゃんをきゅっと小さく抱きしめ、恐る恐る1階へ降りる。


玄関のドアは開きっぱなしになっている。


次に目に入ったのは——


開いたままのキッチンの扉。


(けーき……やけたのかな……?)


そう思って駆け込んだ瞬間。


そこにあったのは、見たこともない両親の姿だった。


「……おかあ……さん?」


燐の白い靴下の指先を、ぬるい“血”が舐めた。


理解できない。


理解してはいけない。


視線を上げた。


——黒い服の男が立っていた。


白いマスクに、赤いしぶきが点々と染みている。


「……あれぇ? ボク、いたの?」


優しい声色なのに、底が抜けている。


男は燐を見つけ、楽しげに目を細めた。


「もしかして……見ちゃった? いけない子だなぁ……」


燐の小さな体が震える。


「や……っ、こないで……!! おかっ——」


瞬間、とてつもない力の大きな手に口を塞がれた。


「しずかに。ね?」


小さな顔はあっという間に鼻も口も完全に覆われてしまった。


それだけで、自然と涙が溢れる。


男はそれを見て、愉快そうに笑った。


「ナイショね?このことは、ボクと君だけの。……わかるよね?」


左頬に押し当てられた刃先がじんわりと鈍く頬を割いては、ぷつりと血が滲む。


幼かった燐は“脅し”の意味なんか知らない。


ただ——殺される、と本能が叫んだ。


燐にはただ声も出せずに、頷くことしかできなかった。


それを確認すると、男は勝手口から音もなく消えた。


その後の記憶は途切れている。


後に聞いた話では、異変に気づいた近所の通報で警察が駆けつけ、血にまみれた家で燐は意識を失っていたと。


両親を失った燐は、然るべき医療やサポートを受けたのち、そのまま児童養護施設へ保護された。



          ◇ ◇ ◇



「犯人が……捕まった?」


「ええ、きっとこれで少しはご両親も浮かばれるかしらね」


それから、数年後。


ある日児童養護施設で警察から連絡を受けた職員がそう知らせてくれた。


俺は震えながら小さく頷いた。

あの夜が忘れられず眠れない夜も、何もできなくて不甲斐ない自分を呪う日々も。


(やっと……終わる……)


そう思った。


そう、思ってしまった。






 




だけど、それは突然だった。


お茶を飲みにホールへと向かう途中の廊下で、固定電話が鳴り響いた。

目の前の職員が赤子を胸に抱きあやしながら慌てて電話に出ると、ほんの少し電話の向こうの声がこちらにも聞こえてきた。


「相咲燐くんの件です。以前もお伝えした通りですが、検察の判断で『証拠不十分のため不起訴』となりましたので」


 「……は?」


 俺の世界は、一度止まった。

 

思わず漏れた声で、振り向いた職員の顔色が変わる。


「…あ」


ショックだろうからと伏せられていたであろう事実をうっかり耳にしてしまった俺の姿に気づき、職員からも短い言葉が漏れた。

 しかし、こちらの状況をまだ知らない声の主は淡々と続きを伝え続ける。

 

「本日釈放される見込みですが、本人もショックを受けると思いますので、くれぐれも外出の際は――…」


 そこまで聞いただけで、もうこれ以上受け止められる余裕はなかった。

 

 言葉の続きを聞かないまま、気づけば俺は玄関から飛び出していた。


「燐くん!!外には出ないで……!」


遠く背中に職員の必死な声が聞こえるが、赤子を抱いている職員は追っても来れずにただ俺の名前を呼び続けている。


それすらもやがて人の声ではなく、ただの外界の五月蠅い雑音に溶けていく。反芻する思考さえも、なにもかもが五月蠅い。


胸が焼けるように熱い。


涙で景色がにじむ。


呼吸が荒い。苦しい。


「っう……なんで…!…なんで……っ!!っくそ…!!」


頬を伝う涙は、自分の無力さを主張するようで。また、嫌気がさした。


 どこに行く当てがあるわけでもなく、ただひたすらに人ごみを抜けて、町中を走り回った。

気づけば、あの日と同じ「赤と青の光」がちらついていた場所の近くに立っていた。

ふらついた足取りで、大きな建物の前へ辿り着く。


「……ここ……警察署……?」


署の敷地から、男が一人ゆっくりとした足取りで出てきた。


その顔を見た瞬間、背筋がすっと冷たくなるのを感じた。


忘れるはずがない、憎き相手の顔。

 

怒りなのか悔しさなのか身体の底からこみ上げてくる気持ち悪さに思わず一歩後ずさり掛けたとき。


 視線に気づいたのか、男もまたこちらを見た。


不気味に口角を吊り上げると、のんきに近づいてきては燐の前でゆっくりと足を止める。


手錠は、もうない。


「……あれぇ?」


あの日と同じ声。


その声だけで、あの日の記憶が鮮明に蘇る。


怒りと悔しさに滾っていた胸の中すら、逆らう術もなく、津波のように恐怖で満ちた。


「君、あのときの子だよね。いやぁ嬉しいなあこんなところで会えるなんて。実は気にしてたんだよこれでもさ」


 小刻みに震えるだけで動けないままの燐の耳元で、彼はささやく。


「…ひと思いに両親と一緒に逝かせてあげればよかったのに、可哀そうなことしちゃったなってさ」


そっと顔を離した男は濡れた燐の顔を見るなり、あの日と同じように愉しそうにほほ笑んだ。


「せっかく捕まえたのに残念だったねぇ…?んーやっぱり自由なのは気持ちがいいよ」


男は少しも悪びれる様子もなく、その自由になった手を空に向けて大きく伸びをした。

 そして、「ああ、そうだ」と思い出したかのように踵を返して燐の方へ向き直ると、嬉しそうに目を細めてこう言った。


「お誕生日おめでとう………燐くん?」


「……………ッ!!」


 男はクスクスと笑いながら燐の前から去っていった。その錠を解かれた手が解放の印。二人を殺害した忌まわしい彼の手は今、自由になった。

 彼の言葉は決して祝うためではない。この言葉が燐にとってどれほど屈辱的なことかを理解した上での言葉であった。

父と母が死んだ日に、燐が今年も生きながらえたことを揶揄する言葉。





この世界はおかしいんだ。


人を殺した犯罪者が生き、殺された被害者は泣き寝入りする。


そんなことがあっていいのか。


それを警察は見過ごすのか。








このとき、犯人への憎しみは形を変えて、やがて裏切られた警察へと向けられていった。

それからは荒れに荒れた。



  窃盗



                脅迫

       


                                   詐欺


人が死なない程度には様々な軽犯罪を犯した。

何度も警察署に行く度、施設の職員は疲れ切っていった。追い出されることこそなかったものの、嫌悪の目を向けられ、もう居場所などなかった。

 ここには贅沢ではないが、食事など生きていくことには困らないし、ちょっと多いけど兄弟みたいなヤツらもいた。

ただひとつ足りないのは


自分だけを愛してくれる存在。




荒れ狂う心を収めるように罪を犯しては、愛されたいと願う。


(んな矛盾したこと叶うわけないよな……)


心のどこかではわかっていたが、施設の中にいたらこの狂気が兄弟らに向いてしまいそうで、門限を破っても燐は何かすがる術を探すように夜遅くまで闇に包まれた街をフラフラと徘徊した。

 そんなある夜だった。

いつも通りに夜の街を歩いていると背の高いスーツの男とすれ違いざまにぶつかる。


「ってぇな。でけーくせにどこ見て歩いてんだよ!」


 燐の怒号にスーツの男はピタリと足を止めた。もちろん、彼のせいではないが苛立っている燐にとって関係などない。誰にだって理由をつけては牙をむいた。


「おや、失敬」


 喧嘩を売ったつもりだったというのに、帽子を深くかぶり、うつむき気味の背中はのんきに謝った。何事もなかったかのようにまた歩を進めようとする態度は燐の癪に障った。余裕を見せつけるかのようにその背中に挑発を投げかける。


「おい待てよ。どーせ暇なんだろ?俺と喧嘩しようよ、お兄さん」


「……君は喧嘩が好きなんですか?」


「は?そんなの知らねぇよ。ただむしゃくしゃするから殴りてぇだけだろ」


「……ふ」


 喧嘩をする意味も、理由も、何も考えていない燐は素直にそう答えた。しかし、背を向けたままの男は率直すぎる回答に思わず噴き出した。


「て、てめぇなに笑ってんだ!!」


「いや、素直なんだなと思って…すまない。馬鹿にしたわけでは…」


「馬鹿にしてんだろ!今すぐ喧嘩しやがれコノヤローッ!」


「喧嘩はできないけれど、君にプレゼントをあげよう」


 そういって男はスーツの懐から真っ白な封筒を差し出した。しっかりとのり付けで封をしており、表に返すと『相咲 燐』と宛名が書かれていた。


「!? なんで俺の名前…っ…………あ……れ…?」


 驚いて顔を上げたときには、スーツの男の姿は雑踏に紛れどこにも見当たらなくなっていた。燐は近くの細い路地に入り込むと封を切った。中には三枚ほどの手紙と住所の書かれた小さなメモが入っていた。

 手紙の冒頭にはこう書かれていた。

『相咲 燐くん

君の両親の事件のことは知っています。警察は許せないですね。今の施設では幸せですか?』



―――――――…幸せですか?



(そんなもの…どこにもねぇよ……)

 この単語を何年ぶりに聞いたことかと思った。幸せだなんて考えたこともなかった。じわりとこみあげてくる滴が落ちて文字が滲んだ。慌てて涙をぬぐい、続きを読むと数行空白を開けてこう綴られていた。


『もし、君がその場所で幸せでないのならこちらのアジトにきませんか?』

 まるで、燐が施設を逃げ出したいと知っているかのような招待状だった。

 燐たちの施設では郵便物は職員の検閲にかけられたうえで手元に届けられるのが鉄則だった。

 故に、内容によっては検閲に引っかかると届かない郵便物もあった。

 

 施設の脱走計画。

 これは確実に処分対象だっただろう。

 

 2枚半に渡り便箋に事細かに書かれた計画は綿密だった。

脱走を勘付かれないように、荷物はすべて残したまま出てくること。

この手紙は読んだ後は施設に決して持ち帰らず、その場で確実に処分すること。

脱走にいい時間帯、施設の監視体制からや毎月変動があるはずの職員のシフトなど施設にいる俺たちですら知りえない情報まで書かれていた。

 しかし、この計画が完璧に遂行できたなら確かに施設を脱走することができるかもしれない。

(荷物は置いてきてるし、このままアジトに向かおう!)

 そう思い立つと、その後の細かい計画は読み飛ばし、同封されていたアジトの住所のメモを見る。すると、住所の下に小さな星とともに短い注意書きがしてあった。


『P.S. 短気な君のことだから、この手紙を読んですぐにアジトに行こうとすると思いますが、君は表情に出やすいので少し時間をおいてください。2カ月後の3日。計画を実行すればうまくいくでしょう。健闘を祈ります。』


 悪意はないだろうが、そこには燐を苛立たせるワードが散りばめてあった。

(ど、どこまでもバカにしやがって…)

つい力が入りくしゃりと歪めてしまったメモを開きなおすと、来たるべき日のためにそっと後ろのポケットにしまった。

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