チカラとココロ
――…パタン。
乾いた音を響かせて扉を閉める燐に、窓辺の立っていた唯が静かに問いかける。
「真琴はどうだ?」
「とりあえず今は落ち着いてるみたいだな。寝てるよ」
「…そうか」
「…っそ なんで俺にはこんな力しかねぇんだ……!」
静かにそう返す燐に唯もまた、短く返す。
ギュッと一度固く結んだ手のひらを顔を歪ませて見つめ、燐が思いつめたことを誰に向けてというわけでもなくただ悔しげにうめく。
「…お前、気付いてないんだな」
そんな燐の様子に大きなため息を一つついて、唯が月明かりの差し込む窓辺のすぐそばにあったソファーに腰を掛ける。
「なにがだよ」
「お前自身のこと」
「俺…?」
「おまえ。 ほんとはもうそれほど警察を憎んでいない。」
予想だにしなかった唯の言葉に一瞬言葉を失うものの、すぐにその沈黙を破る。
「は、…はっ。 いきなり何を言い出すんだか。
俺があいつらを許したとでもいうつもりか?
あいつらは母さんたちを――」
「お前が」
当たり前のようにそう返すが、最後まで聞かないうちに打ち切って唯が続ける。
「…お前が警察を許したかどうかは知らない。だが、俺ほど憎いとは思っていない」
「な…っ!」
「それがお前の性格だからかどうかは知らないが、確かにいえることはお前はやっぱり壊したいとは思っていない」
「どういう…意味だ?」
直接的な表現をしない唯の言葉を理解できない燐が怪訝そうに聞き返す。
「『もう壊したくなんかない』『もう何も失いたくはない』」
「やめろ…」
「ほんとは――…」
「やめろ…!」
「………『”護りたい”だけなんだ』」
「……っ!」
ひた隠しに抑え込んできた何かが、心の内側で音を立てるようにまっすぐに飛び込んできた唯の言葉が脳裏にはっきりと響く。
本当は誰よりわかっていた。
唯が知っている心こそ、自分自信が偽った、自分自身の本音だということを。本当は誰より知っていた。傷つける度に傷ついた、自らの心の痛みと護りたいだけなんだと叫んでいた、自分自身の心を。
ずっと複雑に絡み合っていた糸が解けたように何もかもがあふれかえってきて気付くとこみ上げてきたものに視界が霞んで見えた。
「…その涙は 否定しないってことだな」
「…うるせぇ」
燐の頬を流れるそれが静かにひとつ、またひとつと床に滴り落ちる。その様子を横目で一度見たきり、唯は特に慰めようとするでもなく、そばに歩み寄るでもなく。ただずっと黙ったまま燐の小さく鼻をすする音が静まるのを、聞いていた。
「やっと 泣きやんだか」
「……別に 泣いてねぇし」
小さく言い返して唯に背を向けるが、肩を軽くたたかれてまた前に向き直るとそこには入れたばかりのダージリンが落ち着く香りを漂わせている。
思わずその香りに癒されていると、「はやくとれ」と目で訴えられたことをなんとなく理解し、慌ててカップを受け取る。
「さんきゅ」
「―――……お前さ」
「んだよ……」
まだ口もつけられない内の問いに、どことなく雑な返事を返してカップを傾けたときだった。
「真琴んこと 好きだろ?」
「…っは!?」
突然の問いに、飲みかけていた紅茶が気道に詰まり咳き込む。慌てて濡れた口元を手で拭うが、そんな燐に構わず淡々と話を続ける。
「やっぱりな」
「やっぱりって俺っ、別にまだなにも…っ」
「だからだよ、お前の力が守るだけしか能がないの。そーゆーこと」
「は?そーゆーことってどーゆー…?」
「お前は奪いたい、壊したいじゃなくて『護りたい』。ただそれだけを思ってる。たとえば今なら真琴、とかな。お前と一緒にいるようになってから薄々思ってた。
なんでこいつは、いつも幸せそうに見えるんだろって」
「…………。」
うまく言葉が出てこない訳ではなかった。特に言いたいと思うこと自体が、今はなかった。また一口紅茶を飲むと燐は、ひとりごとのようにつぶやく。
「………あーあ。ほんと、なんでだろうなぁ…?」
そして、ここではない何処かを見つめて懐かしむようにゆっくりと口を開いた。
「あいつってさ、いっつも誰にも頼らないんだよな…。いつも一人で抱え込んで…いつも一人で頭抱えて。辛いことがあったって、なんにも言っちゃくれないし。んなの……見てるこっちが辛くなるっての。
だから……」
「お前も協力したってわけ?……真琴の為に」
「『真琴の為に』、は余計だっっ……!」
唯は小さく付け加えたにも関わらず、最後を特に強く否定する。
「俺は逃げない。あいつが強がらずにすむなら……ほんとに笑ってくれるなら。…たとえココロに背くことだとしても」
「壊すっていうのか?大した精神してるよな、お前も」
「は、お互い様だろ」
街明かりの幾らかが消え、ネオンと数少ない星だけが瞬く闇夜。雲に隠された月がゆっくりと顔をあらわし、月明りが差し込むその窓辺で燐は誓いを秘め、月を見上げる。
(絶対に、ほんとうのあいつの笑顔を取り戻しやる――……!)
迷いない燐の瞳に反射した月明かりは、強く、儚げに……窓ガラスに光って映ったのだった。