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 笑え   °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

作者: 古川アモロ




   笑え   °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°




「いひひ」

 しかたなく俺は笑う。

 真っ暗なトンネルを、ひとり意味もなく微笑(ほほえ)んで歩く。


 100メートルほどの地下通路は、天井にぽつんぽつんと蛍光灯が設置されているだけだ。

 だから向こう側どころか、2つ先の点灯スポットしか見えない。

 ほとんど(やみ)の一本道だ。


 おっかなびっくり数十メートル進み、いよいよ気味が悪くなってくるが俺は笑みを崩さない。


 歩きながら、向こうから人が来ないことをひたすら(いの)る。

 不気味な地下道を笑顔で歩いている姿は、我ながら異様すぎる。


 悪くすれば変質者だと思われそうだ。

 あるいは通り魔かなにかと間違われるかもしれない。



 先日も口をあんぐりと開けたまま歩いていたところへ、向こうから来たOLと鉢合(はちあ)わせになった。

 こっちも人がいるなんて思わず驚いたが、口を閉じるわけにもいかず「ウォッ!」みたいな悲鳴をあげてしまった。


 OLはOLで、とつぜん現れた俺にギョッと驚いたようだった。

 しかし次の瞬間、大口を全開にした俺の顔を見るなり、もと来た道を絶叫しながら逃げて行ってしまった。

 たぶんもう二度と、彼女はこの地下通路を利用しないだろう。

 いかにタイムロスになろうとも、これからは商店街を通って帰るに違いない。



 と、よかった。

 今日は運よく、対向する人に出会わずトンネルを抜けることができた。


 ふう、と息をついて、やっと俺は笑顔を崩す。


 通り抜けてきたばかりの地下道を振り返ると、なぜかもう不気味さは感じなかった。

 いや、蛍光灯がぽつぽつと(とも)る恐ろしいトンネルなのは変わらない。

 だが今夜も無事に、指示をこなせた安心感で胸をなでおろす。


 地上への階段を上がり、ようやく外に出た。

 涼しい風が吹いている。


 あの地下道は、当たり前だが通気性がとても悪い。

 だから外気に触れるだけでも清涼(せいりょう)感がある。

 なんというか、オバケ屋敷から出たような解放感も合わさって、足取りも軽くなった気がする。


 それに駅の南口は、コンビニや商店やマンションが並び、闇の恐怖などどこにもない。

 バス停のまわりなど明るすぎるほどだ。


 時刻も午後8時21分。

 よかった、8時半のバスに間に合った。



 駅前の大型道路の拡張工事が始まったのが先月のこと。

 歩道が封鎖され、西山駅南口と本町オフィス街の往来はできなくなってしまった。

 ()()するには商店街を抜けて大回りをするか、あの地下道を通るしかなくなったのだ。


 多くの帰宅客はそもそも南口へ来ない。

 だから地下道の存在自体を知らない者も多い。

 もし南口へ来る帰宅客がいても、ほとんどが買い物ついでの用事のために商店街へ向かう。


 あるいは地下道を通った者も、その薄気味悪さに2度と通らない。


 だから日常的に地下道を利用するのは、よほどの怖いもの知らずか、俺のようにバスに急ぐ人間くらいだ。

 当然、俺も時間に余裕さえあれば、商店街を抜けて帰りたい。

 2キロ近くも遠回りになるが、美味いものを買って帰る楽しみもあるし、なにより暗闇におびえる必要もない。

 

 だが初日にあのトンネルを通ったとき「拡張工事が終わるまで地下道を通れ」と指示されたのでどうしようもないのだ。




  それ以上しゃべるな  °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°




 次の日、俺はふたたび地下道にやってきた。

 もちろん職場からの帰途―――地下道の入口周辺は、オフィス街の明かりに照らされている。

 いつものことだが、地下通路に向かう階段は、結界でもあるかのように街の明かりを(こば)んでいた。


 飲みこまれそうなほどの暗黒。

 タイル張りの壁を照らすのは、不気味なオレンジ色の蛍光灯だけだ。


 こつんこつんと誰もいない階段を降りると、すぐに闇の1本道だ。

 点在する天井の明かりがなければ、本当にあの世への入口のようだ。

 水平の通路のはずなのに、地の底に続いているような錯覚(さっかく)さえ感じる。


 温かい風が顔に当たる。

 地下だから冷気に満ちていると思うかもしれないが、まるで逆だ。

 こもった湿気は生温(なまあたた)かく、トンネル全体がじめじめと気持ち悪い。


 じゃり。

 じゃり。

 コンクリートの床は、足音が反響することさえない。

 そのため、反対側から人が来ても気づけず、目に前にいきなり現れることになるわけだ。


 スマホのライトを最大にして、懐中電灯のように(かま)える俺。

 そうだ、明日からは本当に懐中電灯を持ってこよう。

 もっと早く気づけばよかった。


 右を左を下を、上を、せわしくスマホで照らす。

 数メートル先になにか……なにかがいるのではないかという恐怖。

 

 その恐怖を振り(はら)うように、闇の面積を減らし




   消せ  °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°


 


 俺はスマホのライトを消した。

 ()すような暑さなのに、暗闇のなかを進むのは背中がゾクゾクする。

 できることなら走ってこのトンネルを駆け抜けたいが、こんなに暗くてはそれもできない。


 ようやく出口が見えてきた。

 今日もなんとか無事に通過することができた。


 と、まさにそのタイミングでバスが来たので、俺は(あわ)てて停留所へ走る。

 次のバスでも帰るのに支障はないが、それだと家に着くのが9時半になってしまう。


 もしトンネル内で「1本あとのバスで帰れ」なんて指示が来ようものなら大変だった。

 帰ってからも俺にはやることが多いので、できるなら9時には帰りたい。



 地下道を通るときに聞こえる、あの指示。

 トンネルの3分の1を過ぎたあたりで、かならず聞こえるのだ。


 まるでメールの着信のように、頭に直接聞こえる。

 はじめは空耳(そらみみ)かと思ったが、どうしても逆らえない。

 逆らったら恐ろしいことが起こる……ような気がする。


 いや逆だ。

 恐ろしくて逆らう気になれない。



 笑えと言われれば笑うしかない。

 口を閉じるなと言われれば、開けるしかない。

 ライトを消せと言われれば、消すしかない。


 指示に(そむ)かないよう、ひたすら言いなりになるだけだ。



 だが地下道さえ抜けてしまえば、こっちのものだ。

 あの指示は地下道でしか聞こえない。

 そして地下道を歩くあいだの行動を指図されるのだ。


 無事に通り抜けてしまえば、指示からは解放される。

 そんなルールがあるような気がするのだ。

 自分でもうまく説明できないのだが、本能的にそう思えてならないのだ。



 何度も言うが、本当ならあの地下道はもう通りたくない。

 初日の「拡張工事が終わるまで地下道を通れ」の指示さえなければ、なにも毎日毎日あんな道を……



 いや待て、おかしい。

 あれ?


 俺は昨日も今日もその前の日も、その前の前の日も、地下道を通った。

 明日も指示通り、地下道を通って帰るだろう。

 指示に従って、だ。


 これでは地下道を抜けたあとも、指示に従わされていることになる。

 ぜんぜん解放されていないじゃないか。


 いやそれよりも昨日は……たしかバスの中で指示が聞こえたぞ。

 それ以上、しゃべるなと。


 おかしい。


 あれ、これ本当におかしい。




 おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくない。


 おかしくない。



「降りろ」


 俺は指示を出した。

 降車ボタンを押し、次のバス停で飛び降りる。

 そしてあの地下通路へ引き返した。



「走れ」


 俺は指示を出した。

 死に物狂(ものぐる)いで俺は走る。

 1キロも走ったころには息も()()えになっていたが、知ったことか。


 走る走る!

 南口のバス停を走り抜けて、俺はふたたびあの地下通路に戻ってきた。

 

 暗い。

 怖い、なんという……怖い。


 俺は毎朝、出勤のときは商店街を通って出勤している。

 だから逆方向に地下道を通るのはこれが初めてだ。


 待て。

 どうして地下道に入らなければならない。

 もう一度会社に戻れとでも言うのか。



「もう一度会社に戻れ」


 俺は指示を出した。

 地下に向かう階段を降り、闇のトンネルへと入っていく。

 暗がりの道をじりじりと、蛍光灯の明かりだけを頼りに進む。

 

 


   引き返せ  °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°



 

 俺は闇の中を進む。

 いつもと反対方向に歩く……ただそれだけなのにこの閉塞(へいそく)感、この暗さはどうだ。

 左右の壁がいつもより(せま)く感じるのはどういうわけだ。

 天井が低く感じるのはどういうわけだ。


 怖い。

 だが足が止まらない。

 ならばいっそ走りたいのに、できない。


 さっきの全力疾走のせいだ。

 がくがくと震える足は、子どものような歩幅(ほはば)でしか歩けない。

 

 なんという闇。

 もしも、もしもだよ。

 いま後ろから何かがついてきているとして、とても逃げられない。




   引き返せと言っている  °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°



   引き返せ!!  °˖✧◝(●.●)◜✧˖°  




 蛍光灯が消えていく。

 いや、消えてはいないが……遠ざかっていく。


 等間隔に設置されているはずの天井の明かりが、なぜか遠くのものほど離れて見える。

 まるで、まるで永遠にこの地下道が続いているかのように。


 は、はやく通り抜けないと。

 はやくこのトンネルをくぐり抜けないと。



「うしろ向きに歩け」


 俺は指示を出した。

 体を反転し、慎重にうしろ歩きする。


 来る。

 もと来た道のほうから……つまり俺の正面から、なにかが追ってくる。


 見えない。

 暗黒すぎてなにも見えない。


 だが(せま)ってくる。

 闇の闇の闇の向こうからなにかが来る。




   どうして戻ってきた °˖✧◝(●.●)◜✧˖°



   引き返せといったのに °˖◝(●.●)◜✧˖°

 


   もう間に合わない  °◝(●.●)◜˖°



   もう助けられない   ◝(●.●)◜˖



   もう指示を出しても  ◝(●.●)



   無駄   ◝(●.●



  

 

「立ち止まれ」


 俺は指示を出した。

 ぴたりと俺の足は、うしろ歩きをやめる。


 なにかが来ている。

 だが動けない。



「道に迷え」


 俺は指示を出した。

 あれ?

 俺はどっちから来たんだっけ。


 なにかがこっちに向かってくる。

 だが前から来ているのか、うしろから来ているのかわからない。



「笑え」

 俺は指示を出した。

 

 



    笑うな  ◝(●



    絶対にだ  



 



「いひひ」


 俺は笑う。

 真っ暗なトンネルのなかで、俺は笑った。

 そして指示を、


  指示を、


   指示を守らねば。




「笑うな、俺」



 俺は笑った。

 いひひひ。




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イタいぜ!



チャッカマン



チャッカマン

― 新着の感想 ―
[良い点] 流行した八番出口みたいで面白かったです! もしかすると、この話もゲーム化すると流行したり? [一言] 薄暗いトンネルって存在自体が怖いですよね。 小説「地下鉄に乗って」とゲーム「八番出口」…
2024/03/05 13:33 退会済み
管理
[一言] なんか不気味な怖さがあるのに、少しニマニマしながら読み進めました。
[良い点]  不気味さはあるのですが、どこかユニークでホラーというジャンルを忘れるほどでした。著者様の柔軟な発想にはただただ頭が下がります。  文章全体がとても丁寧で読みやすかったです。 [気になる…
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