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冬に咲く桜の色は  作者: maro
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火曜日その1

 翌日の放課後。朝から晴れていたためか、校庭からは白い雪が薄れ、ところどころ地面の茶色が見える。昨日と変わらず由美は机にプリントを広げていたところ、昨日と同じように亜紀がやってきた。

「で。何か分かった?」

 すでに同級生はあらかた帰宅しており、教室にいるのは由美と亜紀のみ出会った。問いかける亜紀に由美は、机の傍らに置いた古びた本を指差した。

「とりあえず本は読み終わった」

「早い。昨日借りてきたばっかりでしょ」

「どうってことない。なんというか、暗い話だった」

 昭和初期の若いカップルの話だった。出征を翌週に控え、結婚した青年。彼の帰りを待つ同い年の妻。幸いにも終戦の年の秋に青年は生きて戻ってくるものの、従軍中に病を患い、日に日に衰える。翌年の春に二人で、故郷の桜を見に行こうと約束するも、男の体はとても持ちそうになかった。年が明けて一月、男は寝たきりになり、医者も匙を投げる。

 意識が朦朧とした彼は、桜が見えると言う。彼女は頷き、二人で花見をしていると彼に話しかける。そして彼は満足げに息を引き取る。

 そんな悲恋だった。

「あんまタイプじゃないわ、それ」

 顔を顰める亜紀に、さもありなんと由美は腕を組んだ。

「だと思った。そもそも亜紀は本読まないでしょ」

「えーと、この本何ページあるんだっけ?」

「三百二十ページ」

「そんな長い本読まないよ」

「短い本も読まないでしょ」

「漫画は読むよ」

「それは本ではない」

 亜紀は大袈裟に口を開いて、由美の頬を軽く人差し指でついた。

「あ、そうやって漫画を差別する。そういう態度よくないと思うなあ」

「うるさい」

 亜紀の右手を振り払うも、相変わらず眉を細めて口元に笑みを浮かべている。

「で、その本に桜の花びらが入っていたんね。……いや、だから何?」

「それだけだったら何も分からない。だから他に情報が必要」

「例えば?」

 本を手に取ると由美は、指を当てページを開いていく。昨日から何度もめくっていたから、すぐに目当てのページに辿り着く。そして開いた本を亜紀の方に見せる。

「桜が挟まっていたページの内容」

 それは男が出征して一年が経った場面だった。妻が数ヶ月前に産んだ、自分の子供をあやしていた。彼女は子供を父に会わせてやりたいと思いつつ、会えない夫に恋焦がれる、そんな情景が描かれていた。

「ここで主人公の女性が『あなたに会いたい』と伝えている。だから花びらの持ち主は、次の読者に会いたがっている、のだと思う」

「なんでそう言えるのさ」

「この本の刊行は五十年前。著者はマイナー。表紙はボロボロ。ついでに紙は黄ばんでいる」

「だから?」

「誰も手を取らない、ということ。だからこの本を手にとるような、見る目のある人間と会いたいのだと思う」

「由美みたいな変人に会いたかったと」

 聞きづてならない言葉に由美はアゴを突き出す。

「おい」

 そんな由美を無視して、亜紀は本を指差す。

「で、前に借りた人って誰なんだ?」

 憮然とした表情を浮かべたまま、由美は腕を組み直した。

「それは分からない。貸し出し記録には借りた日付しか書かれないから」

「図書委員に聞けばわかるんじゃない?」

「去年の四月の記録だよ? そんな昔のこと確認しようがない。第一、部外者に借りた人のことは言わないだろうし」

「じゃあ詰んでるじゃん」

 由美は首を振った。

「詰んでない、と思う」

 右手を本に乗せる。日焼けして黄ばんだ紙面は、ざらざらとした感触がした。

「男に会いたい、と思うシーンは他にある。じゃあなんで、ここに桜の花びらを挟んだと思う?」

「もしかしてページ数?」

「多分そう。二百四ページと二百五ページの間に花びらはあった。きっとこの場所に何か理由があるはず」

 亜紀は首を傾げた。

「数字。数字ねえ。例えば出席番号とか? 二百四だったら、二組の四番とか」

「どの二組よ。三学年あるんだけど」

「じゃあ二年四組?」

「二年四組の誰? 一クラスに三十人以上いるけど?」

 呆れた風で由美は突っ込んだ。亜紀は頭を抱えた。

「むむむ」

「ページ番号だけじゃない。他に何か必要」

 あごに手を当てた亜紀は、本に覗き込むと目で文字を追った。

「それ以外……、作者とかはどう? えーと」

 本を持ち上げる。表紙にはタイトルの下に、作 椿山剛一郎と書かれていた。由美は目を細める。

「関係あると思う?」

「……なさそう。あとなんか、名前がゴツい」

 本を机の上に置き、その側面を指で撫でる。乾いた紙が指に擦れ、少しの痒みを由美は覚えた。顔を上げると亜紀が由美を見つめていた。

「後書きとか何か書いてないの?」

「著者の略歴とか語られてるくらいで、大した情報はなかった」

「表紙カバーめくったら、何か出るとか?」

「そんなライトノベルのようなこと、とっくに試したよ」

 呆れた様子で亜紀は目を細めた。

「試したんかい‘」

「でも無かった」

「やっぱりかあ。じゃあ何だろう」

 本を奪うと亜紀は、流れるようにページをめくっていく。

「学年、出席番号。うーん、やっぱり数字が足りない」

「数字。……そうか、数字だ」

 由美は目を見開いた。

「本にはページ番号以外にもう一つ数字がある。章番号だよ」

 本を亜紀から取ると由美は、表紙を開き目次の箇所で手を止める。

「問題のページは三章。だから三章の百四、五ページ。ということは三年一組の四番か五番」

「まじか。じゃあ三年の教室に行って確かめれば分かるじゃん」

 由美は目を逸らした。

「……やだ。怖い」

「はい?」

 俯いた由美の口元はへの字に曲がっていた。

「会ったこともない人と会うなんて、怖い」

「じゃあ何で、花びらのことで考え込んだんだよ」

 窓の外から微かに笑い声が聞こえてきた。目を向ければ帰宅する学生が、まばらに校門へと向かっている。由美が目を戻すと、亜紀がじっと見つめていた。亜紀はため息を吐いた。

「分からないからだよ。だけど人間はもっと分からない、不条理な物体だ。恐ろしい」

「分からないのが嫌だから、分かろうとするんじゃないのかい?」

「この世には絶対に分からないものもあるから」

「あー、もう。面倒臭い。聞きに行ってくるから」

 立ち上がる亜紀に、由美は慌てて手を伸ばす。

「あ! ちょっと待ってよ!」

 しかし手は空をきり、気づけば亜紀は本を手に持ったまま、教室の戸口へと駆け出していった。由美は呆然と見ているしかできなかった。

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