7話
その場で決断することが出来ずに先延ばしにする旨を伝えても朱里は呆れることもなく、「分かった」とだけ短く答えた。自分の余りの情けなさに朱里の顔を直視することが出来ない。暗くなった悠希を気遣うかのように明るい声で作ったオムライスを指さす。
「取りあえずオムライス食べろよ、冷める」
そう促されたのでおずおずとテーブルに着く。結構な時間話し込んでいたためオムライスから湯気は消えているが、美味しそうなことに変わりはない。スプーンを滑らせ一口大のオムライスを口に運ぶ。やはり冷めているが相変わらず美味しい。洋食店でしか食べられないようなトロトロ卵とケチャップライスが絶妙な調和を生んでいる。舌鼓を打っている様をテーブルの向かいの席に座った朱里がじーっと眺めている。ちなみにオムライスは一人分しか作っていないため朱里の分はない。来てすぐの頃、作ったらさっさと帰ると言っていた気がするがこの様子を見るに帰る気はなさそうである。
別に帰って欲しいわけではない。ただ、朱里からの申し出を保留にすると伝えたばかりなので朱里と相対しなければいけない今の状況は、正直に言って気まずい。
「美味いよオムライス。俺もこれくらい出来るようになりたい」
黙々と食べ続けるのも何か失礼だと思ったので料理の感想を述べる。といっても作って貰った時は必ず感想(美味しいといった簡単なもの)を伝えるようにしている。本当ならもっとどんな風に美味しいのか具体的に行った方がいいのかもしれないが、悠希は味を言葉で表現するのが得意ではないためほぼほぼ美味しいと言った言葉で完結してしまう。
そんな悠希のありきたりな言葉を受けた朱里は嬉しそうに顔を綻ばせる。見慣れていると言っても不意打ちでされるとそれなりの攻撃力を有する笑顔を惜しみなく見せつけるため、変な声が漏れそうになった。こんな風に手料理を振舞って貰っていることが学校の男子にバレたらただでさえ一身に集めている嫉妬が更に激化しそうである。
「悠希も上手いだろ料理」
「簡単なものしか出来ないし。朱里みたいに店で出すような料理は無理」
「私はほら、大体何でも出来るから。比べない方がいいぞ」
何でもないことのように告げる朱里は堂々としていた。余りに堂々としているため嫌味も何もない、むしろ清々しい。周囲の人間が自分と比べて落ち込んだ際、こういったことを言う。言っていることは事実なのだが普通なら謙遜する場面でも否定しないのだ。本人曰く謙遜したって角が立つのだからいっそ肯定した方が楽、とのことだ。言わんとすることは分かる。誰もが認めるイケメンが「イケメンですね」と褒められた場合否定すると「お高く留まって」とマイナスな感情を抱かれることが多い。ならいっそ肯定した方が逆に面白い奴だと人気が出る、というケースがある。朱里の場合も「面白い奴」と受け取られることが多い。
朱里は所謂天才型で、幼い頃から勉強でも習い事でもすぐに出来るようになり先に始めた人間より上達してしまう、なんて日常茶飯事だった。その上美少女だったためかなり嫉妬を集めるところだが、朱里は立ち回りが上手く口調や言動もややガサツに振舞っているためその辺でバランスを取っている。悠希は初めから完璧超人の幼馴染と張り合おうと言う気持ちすら抱かなかったため、嫉妬という感情とはあまり縁がなかった。代わりに周囲の人間が朱里と競い合おうとし、そして散っていったのを何人も見て来た。
付け加えておくと中学の時から芸能事務所のスカウトが度々声をかけに来ており、わざわざ言う必要もないが断っている。余りにしつこかったため冗談交じりに「悠希がやるならやる」と言ったせいで悠希まで巻き込まれる形となった。体力がないと言う理由で断って以来来なくなったが、朱里に関しては諦めていない模様でうんざりしているようだ。まあこの美貌なら放っておかれないだろうが。
「比べてねぇよ、するだけ時間の無駄だし。まあ料理は出来ておいて損はないだろ」
そう言うと安堵したような表情を見せる。何でも出来る自分と張り合いピリピリした雰囲気を出す人間ばかりが近くにいることが多く、それを煩わしいと感じていることを悠希は知っている。悠希や薫はそういった感情とは無縁だったため気が休まると以前言っていた。もっとも薫に関しては朱里にむけられる感情が一定の方向に振り切っているため、他の感情が介入する余地がないだけだが。今も昔の薫の中にある朱里への感情は憧れか、恋情かのどちらかであると予想する。
「何なら教えてやろうか、悠希覚えるの早いし手先も器用だから難しい料理もすぐにできるようになるぞ」
「遠慮するよ、何でもかんでも頼りたくないし」
やや突き放すような言い方を受けて一瞬寂しそうな表情になる。が、「そうか」と一言だけ告げるとキッチンの時計に目をやる。そして席を立つ。
「そろそろ戻らないと、母さんに夕飯いるって伝えてるし」
そう言うとキッチンを出て玄関に向かおうとするので悠希もスプーンを放り出し、席を立って後を追う。テーブルの上には半分以上欠けているオムライスが残される。
玄関までついて行くと立ったままスニーカーを履いている朱里が目に入る。今日の朱里は料理をするために髪を高い位置で一つに纏めているため、靴を履いている今の状態だと白いうなじが無防備に晒されている。悠希も年頃なのでそういったものを見てしまうと妙にドギマギしてしまうが、朱里がこちらに体の向きを変えようとしていたため慌てて表情を引き締める。ポニーテールを揺らしながら振り返った朱里からシャンプーだろうか、花のようないい香りがした。
「じゃあ、長々と悪かったな。また学校で」
言い残すとドアを開けて出ていく。
「ああ、いつもありがとう。また学校で」
軽く手を振りながら見送った。ドアが閉まり切り朱里の足音も遠くなった頃、先ほどまで騒がしかったこの家は再び静寂に包まれる。祖母はいないことが多いし、お手伝いさんも常にいるわけではない。朱里が居なくなるとこの無駄に広い家はこんなにもがらんとしていたのかと思い知らされる。それでも母が生きていた頃はまだ活気があった。小学生の時母が亡くなってから、この広い家に一人で居るのがあまり好きではない。
妙に虚しくなった悠希はその気持ちをかき消すように頭を振るとキッチンに戻る。だが途中で立ち止まり何か思いついたかのように二階の自室に向かう。自室に入りベッドに投げてあるスマホを手に取る。そのまま自室を出て階段を降り、キッチンに戻ると利き手でスマホをいじりながら残ったオムライスを口に運ぶ。もうすっかり冷めてしまったが味は変わらない。
メッセージアプリを開き殆ど確認することのない『薫』の欄を開く。放課後に届いた(´;ω;`)ウゥゥの絵文字の次、悠希は何も返信していない。何もしないのもどうかと思ったのだが、あんな言葉を吐いた後でいつも通りにこんな絵文字を送られるとどう返信してよいのか迷ってしまう。が、朱里からの申し出にどう返事するか決めるためにも薫と一度話さなければいけない。そう思ったから
『話したいことがあるんだが、いつなら空いている?』
メッセージを送るとスマホをテーブルに伏せる。オムライスを味わっているとすぐにスマホからブー、という音が鳴る。
「誰だ、薫じゃないよな。こんな早いわけが」
とスマホの画面をタッチしてアプリを開く。新規のメッセージを確認すると
『薫 部活があるから夜なら空いている。昼休みでもいいがどうだ?』
あまりに早いレスポンスに若干引く。たまたまスマホをいじっていただけかもしれないが、もしかしたら悠希からの返信を待っていた可能性もある。
『じゃあ明日の今の時間で。場所はどうする』
約一分後、スマホが音を出す。
『近所の公園はどうだ、この時間なら子供も居ないだろうし』
その公園は悠希の家からも薫の家からもそれほど離れていない、昔よく遊んだ公園である。夕方までは幼稚園児、小学生がかなりの数遊んでいるが18時を過ぎると殆ど誰も居なくなる。あまり他人に聞かれたくない話をするには適した場所だ。別に悠希の家に呼んでもいいのだが、わざわざ家に呼ぶのも何となく気まずいため薫の方から場所を提示してくれるのは助かる。薫の家も同様だ、幼馴染とはいえ暫くの間碌に話さなかった相手を家に呼ぶのは気乗りしないであろう。
『分かった。じゃあ明日』
素っ気ない簡潔なメッセージを送るとスマホをテーブルに伏せて置く。やけに早いレスポンス、突然メッセージを送ってきたのに特に何も言わずに受け入れているところを見ると悠希の要件もおおよそ察しが付いているのかもしれない。まあ朱里に関する要件であることは違いないが。
悠希はオムライスを綺麗に完食すると空いた食器を水につけ、風呂を沸かしに浴室に向かった。




