23話
それから悠希は予想していたような大人数に囲まれ根掘り葉掘り聞かれることはなかった。代わりにクラスメートの女子から「応援してるよ」等と激励されることが多かった。何故碌に話したことのないクラスメートから応援されるのか良く分からない、とボヤいていたら奈々が教えてくれた。
「ほら、西条先輩物凄くモテるでしょ。なのに誰とも付き合わなかったから女子達は思う所あったと思うよ、好きな相手が西条先輩のこと見てるなんてザラだったと思うし。だから先輩鶴見と付き合い始めて感謝してる子も多いよ」
成程、と悠希は納得した。今朝飯島が言っていたことを思い出す。好意を抱くまでいかなくともファンのような感情を抱いている男子も一定数いるらしいことが分かっている。その中には誰かの想い人も含まれるだろう。男子の視線を一心に集める朱里に対し内心複雑な気持ちを抱いている女子が多いのも分かっていた。そんな女子達からしたら、朱里が彼氏(仮)を作ったことは喜ばしいことなのだろう。男子からしたら今まで誰とも付き合う姿勢を見せなかった朱里が、いつもひっ付いていた地味な幼馴染と付き合ったことはまさに地獄に等しいかもしれないが。
そうだと思っていたが、朝の2年のように悠希に直接絡んでくる奴は現れる気配すらなかった。いや、実際悠希を恨みがましい目や若干殺意すら感じる目で見てくる男子はいるにはいる。だがそれだけで関わってくることはない。恐らく下手に悠希に絡めば最強の守護者が飛んでくるのが分かっているからだ。朝の2年との件は誰か見ていた人間が居たのか、結構な範囲に広まっている。「アイツに手を出したらヤバい」とまことしやかに囁かれている、と飯島がニヤつきながら教えてくれた。奴の中では悠希は既に友人関係になっているのか、まるで前から仲が良かったかのように気さくに話しかけてくる。パーソナルスペースが広い悠希にとっては距離を詰めてくる飯島との交流は戸惑うことが多いが、根が悪い奴ではなさそうなので無下にはしない。少し懸念材料はあるが今は考えないことにした。
それはそれとして、もっとやっかみが飛んでくると身構えていた悠希は拍子抜けしていた。守護者の影響力凄まじいとしか言いようがない。朱里は自分が何か言われたりされたりしても気にしないが、近しい人間が同じ目に遭うと一転して冷酷になる。「近しい人間」に該当する悠希や薫は本気で怒った朱里を見たことがないが、その場面を目撃した気の強いクラスメートの女子が怯えた顔で「西条先輩には絶対逆らっちゃ駄目だ…」と呟いたのを聞いたことがある。逆に何を言ったのか物凄く気になったが、聞いても教えてくれないだろうし怖いので聞かないことにした。
最も、悠希の完全に朱里にガードされている立場も口さがない連中からすれば格好の攻撃のネタだというのも分かる。「女に庇って貰って恥ずかしくないのか」とか何とか。実際言われたことがある。が、一々そんな声を気にするほど繊細ならとっくにこの関係性も終わっている。悠希の「離れたいけど離れたくない」クソが付くほど面倒な朱里への良く分からない感情がそうさせていたのである。もしかしたら変なところだけ図太いのかもしれない。
世間一般的には女子に庇って貰う男子、は惨めで情けなく映るのかもしれないが朱里と悠希は出会った時からそういう関係性であった。その点に関して10年近く経ってい今更何か感じることもない。だから対外的な関係は変わっても実際の関係性は何も変わっていない、と悠希は思っていた。
「悠希、昼飯どうすんだよ」
「どうするって、いつも通りお前と」
「何でだ、西条先輩のとこ行けよ」
「えー…」
つい面倒くさいと言わんばりの声が口から漏れる。言っておくが朱里と食べるのが嫌と言うわけではない。時々一緒に昼食を取っていたし翔達も同席することもあった。嫌なのはこのタイミングで一緒に昼食を取ったら周囲から注目されること間違いなし、だと言うことだ。この言い草だと悠希一人で朱里のところに送り出すつもりのはず。いや、「付き合っている」のだから2人で昼食を取るよう勧める翔の方が正しく、面倒くさがる悠希が変なのである。いやはや、「フリ」というもの存外面倒だ。思い返してみても漫画や小説の中で同じように「フリ」をしている登場人物達も大なり小なり大変そうだった気がする。
仕方がないのでスマホを操作し、朱里にメッセージを送る。
『翔が朱里と食えと勧めてくるんだけど、そっちはどう』
それから1分も立たないうちにメッセージが届く。
『全く同じことを言われた。久々に2人で食うか、場所どこが良い?』
場所、と問われふと考える。この学校無駄に広いので食事を取る場所は探そうと思えばかなりの数ある。食堂、屋上、中庭、多目的ルーム等。どこに行っても一目は避けられそうにないのでどこでもいいのだが、「どこでもいい、何でもいい」は言われたら言われると困る言葉だ。だから出来るだけ言いたくない。
スマホを手にしたまま暫し考え、そして今まで自分があまり足を運んだことのない場所を打ち込んで送信した。
「…あのさ」
「何だ」
「凄く言いたいことがあるんだけど」
「奇遇だな、私もある」
「…」
互いに顔を見合わせ、ほぼ同じタイミングで頷いた。
「「カップル多すぎじゃね」」
2人は流石幼馴染と言わんばかりに、息ぴったりに同じ言葉を口にした。2人がいる場所は高等部の無駄に広い中庭。緑が多くベンチも至る所に設置されているため、夏冬以外はここは生徒で賑わっている。悠希は高等部に進んだばかりなので中庭に足を運んだ事が無かったため、一度来てみたいと思っていた。だから今回朱里と共に来てみたのだが。
どこを見てもカップルらしき男女がベンチでべったりくっついたり、弁当を食べさせあったりと休日の公園で見られる光景が一応名門校の昼休みに繰り広げられてた。よく見れば女子数人で喋っているのもいるには居るのだが、どことなく居心地悪そうにしている。そりゃそうだ、と心の中で同意する。悠希もここを選んだことを早くも後悔し移動したいとすら思っていた。が、それも難しくなってしまった。
中庭に着いてすぐ、一人の女子が大声で「朱里ちゃーん!」と大声で呼んだ。そのせいで周囲の生徒にも悠希達が来たことが一瞬でバレてしまい、注目が一気に集まった。呼んだ女子は朱里の知り合いらしく、何やら話し込んだ後、「あの場所日陰になってて涼しいから朱里ちゃんと彼氏くん使うといいよ!」と物凄い笑顔で朱里と悠希の背中を押し、半ば無理やりベンチまで連れていかれてしまった。その後女子は右手の親指をグッと立てるとそのまま友人たちの場所まで戻って行った。嵐のような人であった。
ベンチに座った悠希はポカンとしたまま隣に座る朱里に話しかけた。
「何か凄く勢いのある人だったけど、友達?」
押しがやけに強く、正直悠希が苦手なタイプだったが朱里の友人かもしれない相手に否定的な言葉は使いたくなかったので言葉を選んだ。
「ただのクラスメート。高等部からの編入組で3年間同じクラス」
だというのに当の朱里はあっさりと(言外に)友達じゃないと言う。本人に聞こえてないか悠希の方が気が気じゃないが、例の女子がいるベンチは割と離れているので聞こえてないと信じたい。朱里は「知り合い」は多いが「友人」認定するまでのハードルがやや高いので向こうが友人だと思っていても朱里はそこまで思っていない、ということもザラだ。だからといって蔑ろにするわけでもないので相手方はそれに気づくこともないのだが。しかし、3年間同じクラスで相手方は割と好意的だったのに友達ではないとは。もしかしたらあの女子の事を苦手としているのかもしれない。
「1年の頃から、悠希とのこと邪推してきた筆頭だからな。今朝もこっちが軽く引くくらい喜んで、興奮した挙句鼻から盛大に出血してさっきまでは保健室で休んでいた」
「大丈夫なのかあの人」
身体と頭の両方、とは口に出さなかった。盛大に出血って、実際その場面を目撃したわけではないから確かなことは言えないが、保健室で対処できるレベルじゃない、緊急搬送案件だ。
「本人曰く鼻血が出やすい体質でよくあることだから問題ないと言っていた、良く鼻血を出していたから本当なのかもしれないな」
「…お大事にと伝えてくれ」
当たり障りのない言葉しか出なかった。少しばかり変わった人と関わる機会が多いな、とここ最近のことを振り返る。すると何故か眉を顰める朱里。訝しげに視線を向けると、
「悠希がそう言っていたと伝えたらまた鼻血出しそうで面倒くさい」
「何で」
意味が分からず、頭の中にはてなマークが乱舞する。自分と件の女子に何の関係があると言うのか。
「『年下の男の子って可愛いから好き、特に幼馴染くんはお菓子とか上げたくなるタイプ』と目を輝かせながら言っていたがあったから、悠希が心配していたと伝えれば興奮して手が付けられなくなりそうだ」
「それは褒められていると受け取っていいのか」
「いいんじゃないか、前にも言っただろ。悠希は同級生に人気あるって」
そういえば、少し前にそんなことを言っていた気がする。しかし、朱里の同級生とはいえ悠希の中身を知った途端手のひらを返すように興味を無くされるのであまりいい印象は抱いていなかった。それにお菓子を上げたくなるタイプとは高校生男子に使う言葉ではない気がする。あの女子の中で悠希は小学生くらいのイメージになっているのかもしれない。だから褒められていると素直に喜べなかった。
しかし、ついさっきの様子を見るに朱里が煩わしそうにするほどの人にも思えなかった。だが、ここは人目が多いことに気づきその考えを改めた。ここで興奮して鼻血なんて出そうものなら一瞬でなんかヤバそうな奴だという噂が広がってしまう、目撃者が多いから。それくらいの分別がある人だと思うことにした。
朱里は横に置いたバッグから弁当箱を取り出す。二段構造で少々大きめな漆黒の弁当箱。悠希の取り出したものと比べると大きさは一目瞭然。多分この弁当箱入れ替えて「それぞれ誰のでしょう」と見知らぬ人に問題を出したら黒い方を悠希、そうじゃないほうを朱里のだと思うだろう。朱里はスラっとしているので小食だと思われるらしく、以前外食をした時も朱里の頼んだカツ丼を悠希、悠希の頼んだ冷麺を朱里の前に置かれたことがある。実際悠希の方が小食である。量も食えないし太りづらい体質なのも手伝って昔からヒョロヒョロとした体型だ。
弁当箱を開けると一段目にご飯、二段目に卵焼きや肉団子等がバランスよく詰められている。基本弁当は家政婦の吉野さんが作ってくれていると言っていたが時々自分で作っている。一見どちらが作ったか分からないが、朱里が作った方は肉料理が多めに入っているので今日のはお手製だろう。因みに悠希のは山田さんお手製である。悠希が食い切れる量を調整してくれるのでとても助かっている。
「相変わらず美味そうだな」
「そっちこそ」
「俺のは山田さんが作ったから」
「やっぱり詰め方が綺麗だな、流石山田さん」
と話してながらパクパクと食べ進める。因みに悠希のメインおかずは和風ハンバーグである。
「当たり前なんだけ俺が作ってもこうはならないんだよな」
「そりゃあ向こうはプロだからな、高校生に近いレベルの物作られても複雑だろ」
プロと言っても料理専門ではない、掃除やら何やら家事全般のプロなのである。どうあがいても同じ水準のものが作れるわけがない。それに
「もうちょいレパートリー増やしたいんだよ」
「悠希自分の好きなものか煮込み料理しか作らないしな」
グサッ、事実は時として人を傷つけるのである、確かに悠希は好物かカレーやシチュー等煮込む料理しか作らない。比較的手間がかからないものか好物ではないと意欲が湧かないのである。それでも作ろうとするだけマシでは、と思っている。そんなこと口には出さないけれど。
「それしか作れなくても一人暮らしした時困らないだろ」
「やっぱ大学行ったら一人暮らしするつもりなのか」
「うん、まだまだ先だけど。朱里もだろ」
「まあな、姉さんもそうだったし大学近くに部屋借りるつもり」
そういえば、朱里はどこの大学に行くつもりなのか。以前はそのままエスカレーターで進むと言っていたが今もそうとは限らない。この言い方だと外部受験する可能性の方が高いと思ったので、特に触れなかった。
「しかし、一人暮らしね、おばさん許可するか。物凄く過保護だろ」
「…何とか説得するよ、昔より身体丈夫になったし家事とか出来れば何とか」
「部屋でぶっ倒れている悠希の姿が頭に浮かんだわ」
「縁起でもないこと言うなよ、そうなる前に救急車呼ぶわ」
「…そういうことを心配しているわけではないんだが…まあいいや」
何か言いたいことがあったらしい朱里は言葉を飲み込み肉団子を口に運んだ。
「あ、そういえば高校生になったしバイトしようと思うんだけど」
「そうか、やりたいこととかあるのか」
「朱里みたいにカフェとか」
「あー私みたいに個人経営の喫茶店ならそこまで体力が必要ってわけでもないけど、お前人見知り酷いだろ。接客出来るか」
グサッ、正論も時として人を傷つけるのである。朱里はオーナーとバイト何人かで回してるカフェで数年バイトしている。悠希も朱里もバイトをする必要はないのだが、小遣い目的ではなく勉強の一環である。しかし、言われた通り悠希は人見知りが酷いので接客が出来るかどうか、目下の不安はそれである。緊張すると口籠もってしまうのだ。
「…やろうと思えばやれるし」
「目泳いだまま言っても説得力ないんだよ、まあ接客はやってくうちに慣れる。それよりも悠希は無理して倒れないように気をつけろよ」
「大丈夫、そうなったらバイト禁止するってばあちゃんに言われてるからめちゃくちゃ気をつける予定」
「…」
朱里は何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
「どこでバイトするか決まったら教えろよ、冷やかしに行くから」
「辞めてくれよ」
「全く同じこと言って行動に移したのはどこの誰だっけ」
「…俺です」
そう、朱里がバイトを始めた2年前悠希は翔を無理やり誘い朱里のバイト先に顔を出したのだ。冷やかし、と言っても当然朱里の仕事の邪魔はせず話しかけたりすることもしなかった。ただ注文をしまくって長時間居座ったくらいである。しかしシフト後の朱里に「来てもいいけど居座るのは辞めろ」とガチトーンで言われてしまったので、それからは時々行くに留めてた。朱里のバイト先という点を除いても中々に居心地がいいのである。
尚、悠希は平然としていたが翔が少しばかり怯えていたのは覚えている。あれは怒っているわけではなく普通に知り合いに来られるのが恥ずかしかっただけなのだが、翔には怒っているように見えたらしい。後日朱里が謝罪し、更に翔が凝縮してしまったのは別の話。
なので朱里が悠希のバイト先に来るという話を悠希は拒否し切れないのである。恥ずかしいが、同じことを言った朱里を無視してバイト先に行った身からすれば選択権はないのだ。
しかし、そもそも受けてすらいない、受かるかすら分からないのに気が早いとしか言いようがない。悠希は超の付くネガティブ思考である。どこも受からないと割と本気で思っていたのだが、朱里は悠希がバイトをする前提で話を進めてくれるのでほんの少し心が軽くなった。何処かしら受かるんじゃないかと根拠のない自信が湧いてきた。
昔なら兎も角、思春期に差し掛かった悠希は本人には絶対に言わないのであった。
そんな話を繰り返しているうちに昼休みが終わり、それぞれの教室に戻って行った。
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「夏美、あんたまた鼻血出てる!!保健室!」
「…あーやっぱあの2人いいなぁー。今度2人の会話録音させてって朱里ちゃんに頼んでもいいかな、付き合いの長い幼馴染同士の会話でしか取れない栄養素が」
「鼻血が頭にまで回ったみたいね、早く保健室にぶち込むわよ!」
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朱里と交際を始めて、無事初日を終えた放課後、よし帰ろうと腰を上げた悠希に「鶴見くん」と声がかけられる。?デジャブか?
振り向くとそこには山崎が立っていた。昨日と違い秋山は居ないようだ。
「西条先輩とのこと聞いたよ、おめでとう」
「…どーも」
「それでさ、話があるんだけど」
もっと根掘り葉掘り聞かれると身構えていたが、あっさりと話題を変えてしまった。そう言えば山崎は悠希と朱里のことにはあまり関心がないんだった。あるとすれば…
「昨日の件、東郷君にOK貰ったから。約束通りに付き合ってね」
「…は?」
一瞬何のことを言われたのか分からなかったが、すぐに昨日のダブルデート(笑)についてのことだと気づいた。




