15話
子どものように無心でブランコを漕ぐという、高校生男子にしては些か恥ずかしいことをし終わった後、悠希は再び星空を見上げた。そういえば夜に外に出ることは多々あれど、こうしてじっくり夜空を見上げることはなかったかもしれない。壮大な夜空を見上げていると、今この時だけは全てのしがらみから解放される気がしてくる。自分の抱えている悩みがちっぽけなものに思えてくるのだ。
そういえば小学生の頃、朱里(時々薫)とよく公園で遊びブランコを漕いでいたことを思い出した。子供の頃、というか誰もが一度はやったことがあるだろう。ブランコを出来るだけ高く漕ぎ、その勢いのまま飛び下り、どれだけ遠くに飛べるかというやつだ。朱里と薫は元々の運動神経の良さなのか、かなりの距離を飛んでおり、それに対抗した同級生が同じように飛ぼうとしたが、恐怖心が勝り結局2人より遠くまで飛べた者はいなかったという。ちなみに悠希は一度着地に失敗し、怪我をして以来やらなくなった。母親と祖母からも危ないことはするな、とこっぴどく叱られたな、と懐かしさに浸る。
(久々にブランコなんて漕いだけど結構いいな。人がいない時間見計らって漕ぎに来るのもいいかもしれない)
漕いでいる間だけは一切の悩みから解放されたが、その短い時間が終わると先ほどまで頭の中の大部分を占めてた薫、朱里のあれこれがじわじわ蘇ってきた。が、やはりこの神秘的な星空、もしくはブランコを漕いだことでの効果なのか自分の心に圧し掛かっていた「重さ」も幾らかマシになっている。そしてウダウダ悩んでいたのが嘘のように頭の中に一つの「結論」が浮かんできた。ウダウダ、というよりもう少し慎重に考えるべきなのでは、と思ったがいくら悩んだところで結局は変わらないのだから、これでいいと自分を納得させた。
ブランコから下り、ベンチに戻り置いてあったスマホを手に取った。そして「朱里」のメッセージ欄を開き短いメッセージを送った。
『話したいことがあるんだけど、いつ予定空いてる?』
メッセージを送った後スマホをリュックに仕舞い、そのまま背負い公園の出口に向かおうとしたときリュックの中からブーブーという音が鳴る。もしかしてもう朱里からの返信か、と思ったが流石にレスポンスが早すぎる。薫か翔だろうと当たりを付け、メッセージの主を確認すると一瞬固まった。
朱里『今ちょうど家に帰る途中。悠希が良いんならこれから行けるけど、どう?』
メッセージの送り主は朱里だった。メッセージを送って数分も経っていないのに返信がやけに早いと疑問に感じたが、今外にいると書いており納得した。電車の待ち時間や電車に乗っている時はスマホをいじることが多い。恐らく朱里も暇でスマホをいじっていたのだろう。だから返信が早かったのか、と妙に納得した。返信が薫並みに早かったため、考えすぎかもしれないが悠希からの返信を待っていた可能性も考えていたが、それは流石に自意識過剰だと考えを振り払った。
そしてこれから来れると言う朱里に対し、悠希は頭を悩ませた。時間は夜の8時半過ぎ。悠希の頭が固いだけかもしれないが女子高校生が出歩くには少々遅い。朱里の両親はやや放任主義でちゃんとどこで誰といるか連絡すれば遅くなっても怒らない人たちだ。娘を心配していない、とかではなく娘の物理的な強さを分かっているからこその対応であることを悠希は知ってた。変質者に襲われたとしても返り討ちにするのが西条朱里という人間である。家族ぐるみで付き合いのある悠希は朱里の両親とも話す機会が多い。薫の家とは対照的に良くも悪くもおおらかな人たちで、朱里があのような人格に育ったのも頷ける。自分の父親とは同じ人間なのか疑わしくなるレベルのいい人たちである。
そんな人たちなので娘が幼馴染とはいえ高校生男子の家に入り浸っていることについても何も言ってこない。その上冗談だとは思うが「息子」と呼ばれることも多々あり、その度朱里の姉に生暖かい目で見られたのは忘れられない記憶だ。どうでもいいことを思い出した。
悠希が今朱里をこの場に呼び出したとしても誰も文句は言わないだろうが、それはそれとしてやはり女子を夜遅くに呼び出すのは抵抗がある。
『時間大丈夫なのか。もう8時半過ぎてるけど』
聞いても無駄だと思ったが一応聞いた。返信はやはりすぐ来た。
朱里『問題ない。そろそろ最寄り駅に着く。悠希どこにいる?』
『近所の公園』
朱里『分かった。10分くらい待ってて』
そのメッセージを確認するとリュックを下ろし、再びベンチに腰掛けた。最寄り駅とは意外と近くにいたらしい。こんな時間まで何をしていたのだろうと気にはなったがわざわざ聞くことでもないだろうと、右手に持っていたスマホに視線を落とした。そのまま手持ち無沙汰とでもいうようにスマホをいじりだした。
「よ」
突然頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。スマホのゲーム画面にしか意識が向いていなかったため全く気付かなかった。見上げると制服姿の朱里がこちらを見下ろすように立っていた。気のせいか呆れたような表情である。何故そんな顔をされるのか疑問に思っていると
「一つの事に集中出来るのは良いことだと思うけど、私が不審者だったら危なかったぞ。もっと周りに意識を向けろ」
小さくため息を吐き、そのまま悠希の座っているベンチの横に並ぶように腰掛けた。二人の間には悠希のリュックが置かれている。確かに悠希は一つの事に集中しすぎて周りの事が目に入らなくなることがある。もし近づいてきたのが朱里ではなかったら。反射神経も悪い悠希は咄嗟に反応出来ずに…といったことになりかねない。朱里の言い分は最もだった。ごめん、と一言呟くと分かればいい、と言わんばかりに微かに微笑んだ。今度から気を付けるようにする。
ゲームを終了させ、スマホを左隣に置くと朱里の方を見るでもなく暫し視線を宙に泳がせる。呼び出したはいいが何から話すべきか、と頭を悩ませる。
「そういえば、こんな時間まで外にいるなんて珍しいな。何処か行ってたのか」
口から出た言葉は先程は聞くほどの事ではない、と自分で納得したはずだった朱里がこの時間まで何をしていたかについて、だった。言った後で後悔した。一々どこで何をしていいたか聞くなんて、ただの幼馴染のくせに干渉しすぎなのではと感じたからだ。同性ならともかく、恋人でも何でもない異性にプライベートのことを一々聞かれるのは鬱陶しいであろう。距離感がおかしいせいで、そんな当たり前の事にすら気づくことが出来なかった。変なところでネガティブな悠希は朱里の反応が怖く、朱里の方を一切見ず前方にある滑り台に視線を向けた。当然ながら朱里は訝しんでいたが悠希には分からない。
「友達と買い物するついでに夕飯食べてた」
そう言われ朱里の横に置かれている紙袋に目が向けられた。それは高校の近くにある大型ショッピングセンターの中に入っている人気の洋服屋のものだった。何故知っているのかというと以前翔に無理やり奈々との買い物に巻き込まれた際、奈々がいの一番に駆け込んだ店がそれだったからだ。
朱里は悠希が懸念してたような反応は一切みせることはなかった。それに対して悠希が内心ホッとしていると朱里が切りこんだ。
「そんなこと聞くために呼び出したんじゃないだろ」
早く要件を話せ、と促すような力強い眼差しを向けられ悠希はたじろぐ。悠希はこういう時の朱里の瞳が何となく苦手だった。隠し事が出来ない、全部見透かされている気分になるからだ。色が薄い茶色い瞳は真っ直ぐに、当然ながら悠希だけを見つめていた。見慣れているはずなのに何故か気恥ずかしい気持ち
が湧いてきてしまう。かと言って逸らすことも出来ず、そのまま互いに見つめ合うという他人が見たら誤解されそうな状態が続いた。ややあってから、やっとのことで口を開いたがここでもまた悠希の悪い癖が出ることになるとは二人とも思ってもみなかった。
「俺と付き合ってください」