表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/31

14話




薫が公園から立ち去って約10分。悠希は未だベンチに座ったままだ。薫に言われた言葉を気にしてうなだれて…


(…あの野郎好き勝手言いやがって。何でも見透かしているところが更に腹立つわ)


いなかった。寧ろ怒っていた。感情的になっているということは薫に指摘されたことが当たっているということだ。人は図星を指摘されると感情的になる、感情の塊である。悠希は子供の頃から感情をストレートにさらけ出すことが苦手だったため、今回のようにほんの少しでも感情を露わにするのは珍しいことだった。


そんな悠希は言いたいことだけ言ってさっさと帰った薫に対する怒りが持続していた。が、それと同時に自分の本心を見透かされ暴かれた居心地の悪さも感じていいた。薄々気づいていたが、ここまで来たら認めざるを得ない。


(えーそうだよ、あんだけ完璧な幼馴染が傍にいて世話焼かれてたら自分が惨めに感じるに決まっているだろうが)


認めるというより寧ろ開き直っていた。言っておくが子供の頃からそんな感情を抱いていたわけではない。その時はあの完璧超人が傍にいることを誇りに思っていたし、今もその気持ちは持ったままだ。変化しだしたのは中学生の頃。当時、相も変わらず朱里は勉強、運動において非の打ち所がない優等生であったし記憶にないが人づてに聞いた話では薫も優等生として評判であった。通っている学校も中高一貫の名門校、その中で成績を保つことは並大抵の事ではない。薫は知らないが朱里は部活、悠希の世話を焼きながらトップクラスの成績を保っていた。


一方悠希は成績は中の下、運動はからっきしで無理をすると貧血で倒れる。体調を崩し学校を休むことも入院することも今より多かった。テスト前に体調を崩すと決まって朱里が勉強を見てくれていた。

周りの男子は勿論女子からも羨ましがられたし、優越感に浸ることが出来ていたのは事実だ。


だが、心が満たされることはなく寧ろ自分がどれだけ駄目な存在なのか思い知らされることになった。朱里と比べていたわけではない、そんな意味のないことをするほど愚かではない。朱里に面倒を見られるほど自分が頼りない奴だということを、だ。その上朱里と初めて会った時と比べるとかなりマシになったが人見知りが酷く、数少ない友人を作ることにも苦労していた。一度ドツボにハマってしまうとネガティブなことが湧水のように湧いてきてしまう。そこまで自己評価が低い自覚がなかったが、この頃から自分がそうだったと気づき始めた。


自分が悩みを抱えていたとしよう。身近に悠希のような頼りにならない相手がいたとしても相談しようとは思わない。仮に朱里が本当に困っている時、それを相談する相手は絶対に悠希ではない。朱里の中で悠希は頼りにならない弟のはずだ。もしかしたら薫には相談するのかもしれない。



惨めな気持ちになるくらいならこの時距離を取る事だって出来たはずである。それをしなかった、出来なかったのは。薄々どころかとっくに気づいていたのに、気づかないふりをしていた。


(惨めな気持ちになるのに離れるのは嫌だって、俺って精神的にMなのか)


誰に聞こえるわけでもなく心の中で自分に問いかける。幼い頃、おそらく1番最初に仲良くなったのが朱里だったため刷り込みの要領で朱里に懐き、そして執着しているのだろう。それは幼馴染に対して、姉同然の相手に対して、家族同然の存在に対しての感情なのか。そのどれでもないのか。


ふと薫の言葉を思い出した。薫は確実に恋愛感情を抱いているから「離れたくない」と思っている、と思っているだろう。そんな口ぶりであった。

傍にいると時折劣等感を刺激される相手だが、離れるのは嫌、という感情がどういったものか、シンプルに考えるならば「好きだから」と理由付けしてしまえば簡単に終わる。全くの赤の他人から見てもそう結論付けられそうだ。


正直に言えば朱里の事は「好き」である。この世で大事な人は、と問われれば母、祖母に並んでパッと顔が浮かぶだろう。しかし、それが恋愛感情から来る「好き」なのかは分からない。


(愛とか恋とか全く分からないからな…)


恋愛そのものに興味がないわけではない、ただ本当に()()()()()のである。恋愛ものの小説や映画は人並みに嗜んでいるし、登場人物達がどういった経緯で恋に発展していくのかを理解することは出来る。しかしそのシチュエーションに自分を当てはめて同じように恋をするかというと、しないという答えにしか辿り着かない。要するに恋愛している自分を想像することすら出来ないのだ。誰かを好きになり、相手も自分を好きになる、そんなありふれた光景を想像することも出来ない。


何でそんなことになったのか、一番の要因は両親だろう。物心着く前から父親は家に寄り付かなかったし名前を呼ばれた回数も殆どない。母親は父親の分も悠希のことを愛してくれていたとは思うが、時折悠希を見ているのに悠希を通して誰か違う相手を見ていると感じることがあった。聞いたことはないし、もう聞くことも出来ないが恐らく悠希を通してあの父親を見ていたのだろう。


ぱっと見母親の血が濃い悠希だがよく見ると父親に目元が似ている。あんな父親でも母親は、口にしたくないが愛していたというのだろうか。


愛とは自分からも、相手からも向けられて初めて成立するものだと思っている。どちらか一方が欠けていれば両親のようになり、誰かが傷つくことになる。父親のように愛情を向けられても見向きをしない冷酷な人間になるくらいなら、母親と同じ気持ちを味わうくらいならば。


(知らなくていいや、愛なんて)


悠希は微かに顔を上向け、雲ひとつない満点の星空を眺めていた。すると頭に鈍い痛みが走る。



『…お前も俺みたいになる、なんで分かるかって?俺は…』


『…お前みたいな奴が誰かに愛されるわけないだろう、なんたってお前は…』



不協和音のように頭の中でノイズのかかった声が響く。辛うじて男の声だと分かるほど不鮮明なものだったが、誰の声なのか、誰の言葉なのか驚くほどすぐに分かった。


だが悠希は頭から響く雑音を振り払うかのように勢いよくベンチから立ち上がる。そしてその勢いのままベンチから離れ、ベンチから比較的近い位置にあったブランコに腰掛け子供のように漕ぎ出した。


ブランコ乗るのは小学生以来だが、久しぶりになると中々に楽しいものだと再認識した。側から見たら一人でブランコを漕いでいる男、と結構ヤバい絵面ではあるが今は夜。ブランコを漕いでいる大人がいる、と通行人に見られても顔まで見られることはないだろう。


時間にして数分と短い間だったが無心でブランコを漕ぎ続けたことで先程まで頭の中で響いていた声はもう聞こえなくなっていた。妙に頭もすっきりしており、ついさっきまで著しく気分が沈んでいたのが嘘のようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ