12話
時間は夜の七時半前、悠希は待ち合わせの公園の屋根のあるベンチに座りボーっとしていた。
あの後浮かれて頬を緩ませる秋山と、疑いの目を向けてくる山崎と別れ悠希も帰路についた。2人が薫の連絡先を知っている可能性は低いし、仮に連絡先を知っていたとしても休日に遊びに行くために誘うのにメールや電話というのも考えにくい。顔の見えない時より面と向かって頼まれると人は断りづらい。何としてでもこのチャンスを無駄にはしたくない秋山が選ぶ手段は直接会って誘う、であろう。あの引っ込み思案が自分で誘えるかという疑問は残るが、山崎が上手いことサポートしそうだ。
それだけ頑張っても悠希のこれからの行動で、その努力が無に帰すことが確定な点については申し訳なく思う。
早くても2人が薫にコンタクトを取るのは明日以降。悠希と薫が会うのはこれからである。これから悠希が話すことに薫がどう反応するのかは読めない。しかし一つだけ確実なことは薫は再び悠希と距離を置くだろうな、ということであった。
ベンチの横に置いていたスマホがブルブル震える。確認すると薫からのメッセージが届いており「もうすぐ着く」とだけ書かれていた。今日学校で薫と会っていない。女子に囲まれ、男子から絡まれているのをいつもの張り付けた優等生スタイルで受け流していたのを見ていただけだ。あんな疲れること、よく続けられるなと感心する。朱里とまではいかないがもっと自然体で振舞ってもいいのではないかと悠希は思う。
だが、薫の家は色々厳しいしその兄も優秀だと有名だ。中学生で止まっている精神年齢のまま東郷の次男として振舞うわけにもいくまい。エリート一家に生まれ周りの期待を背負う大変さは悠希には分からないし、恐らく一生縁がないものだ。
だからこそ悠希がとやかく口を出すことでもないと静観している。それにごく一部の仲のいい男子相手には素をさらけ出しているらしいので、こちらが心配するほどストレスを溜め無理をしているわけではなさそうである。
そして再びスマホが震えた。『着いた』というメッセージを確認するのと「悠希」という低い呼び声が聞こえるのはほぼ同時だった。声のした方に視線を移すとパーカーにジーパン姿の薫が目に入った。悠希も軽く手を挙げて反応し、薫はそのままベンチに近寄り悠希の隣に腰を下ろした。隣と言っても微妙に距離が開いている。男子高生2人がぴったりくっついて座る必要もあるまい。特に指摘しなかった。
薫が座り、暫くはどちらも黙っていた。ややあってから薫の方から口を開く。
「悠希の方から俺を呼び出すなんて珍しいな、明日雪でも降るんじゃないのか」
冗談交じりの軽い調子で告げる。とても長年想っていた相手に再び振られたばかりの男の声色とは思えなかった。それはそれとして雪が降るとは流石言い過ぎでは、と思った。悠希の要件何ておおよそ察しが付いているだろうに、気づかないフリをしているのか悠希が言い出すのを待っているのか。
さっさと本題に入るべきなのは理解していたが、悠希には聞きたいことがあった。
「それより、朱里に告ったんだって。そのせいでこっちはクラスメートに絡まれて大変だったんだぞ」
自分の問いかけをスルーされ、出会い頭に恨みがましそうに訊ねられた薫は面食らった顔になるがそれも一瞬のことだった。
「ああ、悪かったな迷惑かけて」
「全くだ、大体何で告ったんだよ。脈なしなの分かってただろう」
オブラートに包まずストレートに聞くと当然ながら薫は微妙な表情になる。デリカシーがないと自覚しているが薫も悠希にだけは気を遣われたくないだろうから、敢えて訊ねた。振られたばかりの相手に聞くことではないが悠希としてはずっと気になっていたことである。鈍い悠希ですら朱里が薫を弟としてしか見ていないことは気づいていたのだ。薫がそれに気づかない、なんてことはあり得ない。
人がどういう時に告白をするのか、脈がある時、あるいは玉砕覚悟で挑む時と大きく分けて二パターンあると思っている。薫の場合は当然後者の意味で挑んだのだろう。悠希が知りたいのは、何故この一切成就する可能性がない時に実行に移したのかということだ。まさか悠希が焚きつけたから、即実行に移したわけあるまい。それだけで二度も同じ人間に振られに行くなんて、考えなしの馬鹿のすることだ。
薫は考え込む素振りすら見せなかった。
「お前がアタックするなり好きにしろって言ったから」
考えなしの馬鹿であった。悠希は自分が焚きつけたことでこの人気者に要らない恥をかかせてしまったことを多少申し訳ないと感じた。小指の先ほどだが。昔から考えなしというか一度決めたら一直線なところはあった。それが変わっていないのはあの日の放課後、すぐに告白しに行ったことからも明らかだ。
若干憐れみの籠った目で見つめる。
「…あんなの冗談で言ったのに、本気にするとは思わなかった。馬鹿だろ」
吐き捨てるように言っても薫の態度は変わらない。
「そうか、俺には本気で言っている様に聞こえたけど」
うっ、と言葉を詰まらせた。没交渉の期間が長かったというのに悠希の事をそれなりに理解している、というのが余計に腹立たしい。あの時の悠希は本気で薫が朱里に告白しようが何をしようが好きにすればいいと思っていた。結果が分かっていても関係はない。焚きつけた、というものあながち間違いとは言い切れないのであった。
「だからって、脈なしなのに告白しないだろう」
「俺は決めたらすぐ行動に移すタイプなんだよ、好きにしろって言ったから好きにした。それだけだ、悠希が気にすることじゃない」
「気にしてねぇし」
気遣ってくれる相手につっけんどんな物言いしかできない悠希。何故か薫に対してはこういう言い方しかできない。
「それで、呼び出した理由は何だよ。朱里の事だろ」
話題を変えて来た薫に対し微かに身構えた。悠希は暫く言いづらそうに口ごもるが、覚悟を決めて口を開いた。
「ああ、あの後もう構わなくていいと朱里に伝えた、そしたら」
「拒否られたんだろ」
間髪入れずに言い当てられた。何で分かった、と視線だけで訴えると何故か肩をすくめる。
「…何で分からないんだか」
「?なんか言ったか」
小声で何かつぶやいたようだが悠希には聞き取れなかった。
「いや、何でもない、それで?」
「拒否られたけど、こっちも引き下がるわけにいかないからどうにか説得しようと試みた、けど」
「駄目だったんだろ、そもそも朱里が簡単に引き下がるわけないだろう。クソが付く頑固だし」
仮にも好きな相手に対しクソ頑固とは、言い方としてどうなのかと思わないでもないが正直事実なので反論できない。朱里は一度こうだと決めたら自分の意思を曲げることがない。ムキになっているわけでもなく、自分がこうしたいからこうすると確固たる意志を持っているため、その意思を曲げることは難しい。
嘆息すると話を続ける。
「…で、その後急に付き合ってくれって言われた」
その瞬間薫から一切の表情が抜け落ちた。そしてそのまま石像のように微動だにしない。悠希は薫の様子がおかしくなったことから、そこで自分の言葉が足りなかったと気づく。慌てて説明しようとするがその前に薫の方から切り出す。
「そうか、おめでとう」
目は死んでいるし、とてもではないが祝っているとは思えない地の底から這い出たような低い声で告げられたため一切嬉しいという感情が沸いてこない。それ以前に誤解が生じている。慌てて先ほどの言葉に至るまでの経緯を説明した。
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「…お前わざと大事な部分言わないようにしているわけじゃないよな」
一通り朱里から提案されたことについて説明し終わると、そんな疑心に満ちた言葉を吐かれる。
「そこまで性格悪くねえわ」
当然反論する。性格が悪い自覚はあるが、相手が慌てふためくのを見るためにわざと言葉少なに、なんて思われるのは心外である。
先程の魂の抜けた顔はなかったかのように、血色のいい顔色に戻った薫は嘆息した。
「しかし彼氏のフリね、まあ朱里なら言いかねないしその相手が悠希なのは一番違和感ないと思うけどな、いっつも一緒にいるから」
最後の語気がやけに強いのは気のせいではないだろう。こんな時でも悠希に対する嫉妬心を隠せていない。本当に素の時は自分に正直な奴である。
「何だよ羨ましいのk」
「羨ましいが、何か」
言葉を遮り勢いよく言い切った目の前に男に対し軽く引きながら、冷ややかな視線を向ける。よく考えて欲しい。自分の事を何とも思っていない振った相手に恋人のフリを頼まれる、よく考えなくても報われないし惨めな気持ちになる。それを振った相手に頼む人間は人の心がどこかしら欠けていると思わざるを得ない。その上、プライドもズタズタにされる行為で言われた人間は自分を何だと思っているのかと怒るだろう。
しかしこの男、プライドよりフリでも好きな相手の恋人として振舞えることの方を選ぶと言う。気は確かか。なりふり構わずというこはこういうことをいうんだろうな、と遠い目をして考えた。こんなのでも学校じゃモテまくりの勝ち組とは。こっちが虚しくなってきた。
もう薫は色んな意味で手遅れだと大きく嘆息する。気を取り直して話を続ける。
「まあいいや、俺は朱里の申し出受けるかどうか悩んでいるんだ」
悠希の言葉を受けて薫は理解出来ない、とばかりに眉をひそめる。
「いや、断る要素あるのか。お前にもメリットあるだろ」
「逆に薫からその言葉が出てくる方が不思議なんだけど、好きな相手が別の奴とフリとはいえ恋人として振舞うの嫌だろ。それ以前に朱里の手を煩わせたくないのに恋人のフリを引き受けたら意味ないし」
すると薫は意外そうな顔をする。
「別に嫌ではないけど、あと朱里から離れるのはもう諦めろ」
後半の言葉に突っ込みを入れたい欲に駆られるが、それよりも前半の言葉を聞き流す事が出来なかった。
嫌ではないと言ったか、この男。悠希は信じられないものを見る目で薫を見据えた。




