9話
昼休みも終わり、眠気に耐えながら授業を受けていた。HRが終わり、特に何をするでもなくボーっとしていると横から「鶴見くん」と声をかけられる。微かに嫌な予感が頭を過ぎるが聞こえないフリをすると言うのも感じが悪いため、面倒くさそうにゆっくり横に顔を向けると目立たない程度に化粧をバッチリと決めたクラスメートの女子二人がこちらを見下ろしていた。あまり話したことはないが確か中等部のころからいる内部進学組だった気がする。
男女問わず常に誰かしらと共にいる所謂「陽キャ」に分類される人たち、という印象を悠希は抱いていた。関わることも少なかったため名前しか知らない。二人組の内机のすぐ側に立っているのが山崎、その後ろに隠れるように立っているのが秋山、だったはずだ。何故か秋山は悠希が視線を合わせようとするとすぐに逸らしてしまう。心なしか居心地も悪そうだ。悠希は全く身に覚えがない、それ以前にまともに話したことのない相手に嫌われることをしたのかと不安になる。対照的に堂々としている山崎が、根暗な悠希が些か眩しく感じる笑顔で親し気に話しかける。
「鶴見くん、少しいい?聞きたいことがあってさ」
すると悠希は相手からは分からないほど微かに眉をひそめる。もしかしなくても朱里と悠希についての噂について聞きに来たのだろう。このタイミングで悠希に話しかけると言うことはそれしかあるまい。昼休みの時点で悠希に直接聞きに来る人間はいなかった。逆に奈々のように近くにいる人間に聞く人間はそれなりにいたらしい。
その理由の大部分は悠希の人を寄せ付けない雰囲気のせいであろう。笑顔を作ることも苦手で愛想がいいとはいいがたい悠希は傍から見れば「話しかけるなオーラ」を出しているように見えるとクラスメートに指摘されたことがある。だが悠希自身は人づきあいを苦手としていたし話せる友人も少ないがいるので、誰彼構わず話しかけられるより放っておいてくれるそうが楽でいいとすら思っていた。
今回もそのおかげで直接噂について聞かれることもなく比較的穏やかに過ごせていた。その分周りの人間にしわ寄せがいっている件については目を瞑る。しかし、そんなオーラ何て物ともせず話しかける人間が全くいないわけがない。現に目の前にいる山崎がそうだ。社交的で明るい山崎にとっては悠希の身を守る鎧もペラペラの紙も同然、意味をなさない。普段であればそんな相手から話しかけられれば身構えてしまうものだが、朱里との件について面白おかしく騒ぎ立てている連中と同じなのだと認識したためただでさえ愛想のない色白い顔を更に歪め、不機嫌なことを隠そうともしなかった。
「…用って何。最初に言っとくけど朱里とはただの幼馴染だから、何もない」
低い声で吐き捨てるように告げると山崎は驚いたように少し目を見開き、暫し黙る。そして何か思い至ったのか右手を仰ぐように動かし「違う違う」と否定の言葉を発した。
「そっちじゃなくて、東郷くんについて聞きたかったんだけど。まあ、勘違いしても仕方ないか」
感じの悪い対応をしたと言うのに機嫌を悪くすることもない山崎。その後ろで秋山が何やら慌てているのが目に入るが、今はスルーする。悠希はここで自分が早とちりしていたことに気づき、恥ずかしくなる。あからさまに動揺を表に出し、気まずさから目を見られない。勝手に勘違いして感じの悪い態度を取ったのだから、一応謝った方がいいかと口を開こうとしたがその前に山崎が右手を前に出した。これは「制止」という意味だろうか。
「あ、いいよ謝らなくて。このタイミングで話しかけられたら西条先輩とのこと聞きに来たっても仕方ないよ。初めに東郷くんについて聞きに来たって言うべきだったね」
「…分かった」
相手が謝らなくてもいいと言うので、引っかかることはあるが一応素直に聞き入れることにした。ここで無理に言っても意味はないと判断したからだ。それにしても、ほぼ話したことのない悠希が次にとろうとした行動を予測するとは、人の事を良く観察しているのだろうか。ただ単に悠希の動揺っぷりから察っしただけの可能性もあるが。悠希は自覚してはいるが顔に出やすい。
山崎は気を取り直して悠希に向き直る。後ろの秋山は相変わらず目を合わせようとしないし顔色も悪い気はする。恐らく友人であるはずの山崎は気にする素振りすら見せないため、聞くべきか悩むがその僅かな間で山崎は切り出す。
「実はさ、この子が東郷くんのこと好きで。鶴見くん東郷くんと付き合い長いって聞いたから彼の事色々聞きたくて」
「っっっ!ま、真紀!何でハッキリ言うの!うまい具合に誤魔化してって言ったでしょ!」
「いいじゃん別に。私が回りくどいの嫌いなの知ってるでしょ。大体、一人じゃ聞きに行けないからって泣きついてきたのは誰だっけ?」
「っ…私です…」
突然大声を出し山崎に文句を言い始めた秋山と、それを慣れた様子であしらっている山崎。そんな二人の様子を悠希は黙ったまま眺めていた。ここでこの二人の要件も、秋山が自分と目を合わせようとせず落ち着かない様子だったのを朧げに察した。自分の好きな相手の情報を集めるために碌に話したことのない異性のクラスメートに話しかけると言うのは、見るからに内気そうな秋山にはハードルが高かったのだろう。だから山崎に付いてきてもらったんだろうが、初手から自分の気持ちをばらされ恥ずかしがって耳や頬を赤く染めている秋山を見ていると不憫に思えてくる。頼る相手を間違えていると思わずにはいられない。
山崎の両肩を掴み前後に揺らしている秋山と対照的に、何でこんなに恥ずかしがるのか分からないという表情を見せる山崎。この山崎という人間、大雑把というか少々デリカシーが欠けているのではないのかという疑問が頭に浮かぶ。訝し気な視線を向ける悠希に気づいたのか、まだ騒いでいる秋山を完全に無視した状態で話を続ける。
「ごめんごめん、まあ東郷くんが告って振られたじゃん。彼を狙ってた女子は傷心に付け込んであわよくば、って感じでハイエナみたいに彼の周りを囲んでて。この子みたいに気が弱い子は話しかけることもままならないの。皆と同じことしてたらチャンスもクソもないでしょ。だから東郷くんのこと良く知っている人から彼の情報を聞き出して、攻略に備えようってわけ」
「…はあ」
話を受けた悠希は気の抜けた返事しか出来なかった。彼女の目的、薫の情報を集めるための人選として悠希はあまり適しているとは思えなかったからだ。どこから悠希と薫が付き合いが長いことを聞き出したかは分からないが、付き合いが長い=相手の事を深く知っている、わけではない。現に悠希と薫は付き合いだけなら10年近くになるが、没交渉だった時期や普段あまり交流があるとは言い難い今の関係性を鑑みても、後ろでしゅんとしている秋山の助けになるとはとても思えなかった。
「誰から聞いたか知らないけど、薫とは付き合いだけ長いだけでそんなに仲が良いわけじゃない。寧ろそんなに好かれていないから他をあたったほうがいい」
それを受けて山崎は「あー」と何かを察したように遠くを見やる。薫についての情報を集めているのなら薫の告白、件の噂や何やらを照らし合わせ悠希と薫の微妙な関係性も分かりそうなものだ。こんな根暗に聞かなくとも、人気者の薫の有益な情報を提供してくれる相手はその辺に居そうだ、と悠希は心の中で呟いた。後ろの秋山は自分の気持ちをばらされたのに何の情報も得られないと知り、恥ずかしさで赤く染まっていた頬は青白くなり、生気が失われていた。倒れないか心配になる。
しかし山崎はがっかりした様子はなく、寧ろ楽しそうに笑みを浮かべていた。考えが読めずに悠希は少し警戒心を抱いた。
「えー、けど付き合いは長いんでしょ。最新の情報じゃなくていいからさ、何か教えてよ。今から別の奴に聞きに行くの面倒くさいし」
「…」
本音を隠そうともしない山崎にかける言葉が見つからない悠希は苦笑した。ほんの少し言葉を交わしただけだが、山崎がどういう人間か分かった気がした。