四話 崩壊
目の前に崖が現れ、森の開けた場所に出た。空を見る。星の位置から大体の国の場所が分かる。かといって帰れるわけもない。
崖には洞穴があって、その前では鬼の遣い達が武器を持ち、入り口を隙間がないほど埋め尽くしている。俺の姿が見えるとともに、いくつも矢や遠距離攻撃のスキルを俺目掛けて放つ。それは全て目の前に現れた光の壁にぶつかり弾けて霧散した。
「行けるぞ、行けるぞ」
もうこれ以上ないほど盛り上がる声が水晶から聞こえる。打って変わって、俺はもうこれ以上ないほど怖くて。死が目の前に控えているのに、そこに向かって進み続けないといけない……。
全く止まらない俺に徐々に後退する鬼の遣い。すぐに、巣の目の前にたどり着いてしまう。巣は奥まで続いているようだ。縦横数メートルの穴だ。壁に松明が設置され、少し赤みを帯びさせ照らしている。
「クソォ、キカナイ」
巣の中に入ると鬼の遣い達は剣など、近接攻撃を試みるも、どれもが光の壁の前では歯が立たない。
「オレタチガマモルンダァ。トメルゾォォ」
鬼の遣い達は必至だ。もう攻撃が通らないことを悟り、俺の歩みを必死に止めようと体を押し付けてくる。もう、ガードを取る素振りすら見せない。俺が剣を振り下ろせば死んでしまうのに、そんなことも顧みずに止めようとして、が、それも光の壁に阻まれて、全く俺の足の進みの邪魔にならない。
「ウォォォォ、トマッテクレェ!」
必死な鬼の遣い。皆、顔を真っ赤にして、武器を捨てなりふり構わず飛びついてくるのだが、その度に光の壁に阻まれて。俺は苛立ちを覚える。
俺だって止まりたいんだ。止めてくれよ。もっと必死に止めてくれ。頼むよ。もうこの際、殺されなければ、俺を傷つけてもらっていい。もう、腕一つ無くなってもいい。だから、俺を止めてくれぇ。国民が納得するような理由を与えてくれ。俺にここから先進まなくてもいい理由を……。
だが、皮肉なほどするすると進めていく。これだけ必死に鬼の遣いは止め来ているのに、足止めにすらなっていない。耳元で湧く歓声。死へと一歩ずつ踏み出していく感覚。吐き気を催す。エグッと何度も吐きそうになって。
気づくと、辺りは一際、広い場所に出て、と同時に鬼の遣い達はパッと身を引いた。
バチッ、バチッ、バチッ
突然、大音量が耳元でつんざき、気づくと目の前に2mほどの鬼がいて、俺の顔すぐ横で、太い筋肉質な足が光の壁によって止められていた。
「これ以上は進ませない」
鬼の声は太い女性のような声で、鬼の遣いとは違って、話し方が人と遜色のないほど流暢だった。
「うぉぉぉぉ」
バチチチチ、バチチチ
鬼の叫び声と共に、目の前に一瞬、青白い光の壁が出来上がっては消えていく。鬼が目の前に何度もパンチを繰り出しているのだ。鬼の手の皮は剥け、血飛沫が飛んでくるほど殴る。だけど、光の壁は傷一つつかない。
「奥に鬼の子供がいるぞ」
そんな声が不意に耳に届いた。ちらりと奥に視線を遣ると、ひときわ盛り上がっている壇のような場所があって、壇上には怪しい赤い光が蠢いている。そこに、何か動くものが見えた。
「子供に手は出させない!」
鬼はそう言うと攻撃を止め、何か力を溜めるような素振りを見せた。すると、その右の掌から何か小さく煌めくものが現れ、と同時に、周りの鬼の遣い達は一斉に身を屈める。
ズガゴォォンン、
耳をつんざく音と共に、目が眩むほどの光に満たされて……。
どれくらいか分からない。辺りのことが何も分からなかった。薄っすらと前が見えだした時、最初に目に入ったのは、右腕が肘まで無くなった鬼だった。人間と同じように驚愕と絶望を一緒くたにしたような表情をしていて、膝をついていた。体は軽く震えていて、力の使い過ぎで動けないようだ。
今の攻撃が全力以上の一発だったというのが分かる。それでも、体は無傷で、かすり傷一つついていない。
「うわぉぉぉぉぉ。やれるぞ! アイン!」
水晶の向こうでは鬼のいない世界が実現寸前まで来て、異様なほど盛り上がっている。皆、興奮状態で、声に熱がこもっている。
フラフラと壇上に向かって歩き出す。
壇上に着くと、間違いなく鬼の子だ。人間でいう七歳くらいの背丈をしている赤ん坊だ。それに、小さな角を生やしたよう。あんなに大音量だったのに、すぅすぅと寝息を立てて眠っている。
鬼は子である時期は食事と大地から漏れ出るエネルギーにその体を晒されないと死んでしまう。馬車の中で団員に説明されことが蘇った。つまり、ここがエネルギー源で鬼の子はここから動けないのだ。逃げられることもない。
「もう二度と鬼がいない世界を~」「無念を晴らしてくれ~」「もう終わらしてくれ」と水晶から聞こえるエール。もうどうして俺は歩いているんだよ。自分の命を引き換えにこの鬼の子が子供を産めなくするまで年を取らせるなんて……。そんな地味なことに……。
ゆらゆら歩いていく。自分のスキルの有効範囲内に鬼の子が入ったのが感覚的に分かった。右の手のひらを赤ん坊に向けた。それと同時に、視界の端に何か動くものが見えて、鬼がその赤ん坊の前に立った。自分の体を盾にするように……。まだ動ける体ではないのだろう。体は小刻みに震え、息も絶え絶えで。
「この、この子だけは……」
鬼が喘ぎながらも、何かを言おうとしたが、
「やれぇ! アイン!」
そんな叫び声が耳に入って、反射的にスキルを発動させてしまった。途端に、一気に体中からエネルギーが抜かれていくような、今までにない一気に死に向かっているという感覚。細胞一つ一つからエネルギーが吸い取られるような感覚。
「かはぁ、はぁ、はぁ」
思わずスキルの発動を止める。今までの死に近づいている感覚とは段違いの恐怖。死が生々しく鮮明に脳に刻み込まれて……。
「どうした? 大丈夫か~」「頑張れ~」「お前ならいける」
安全圏から無責任にヒーローに仕立て上げようとしてくる国民。
鬼は子供に何かされたことが分かったのだろう。泣き出した子供を慌てて様子を見る。だが、何をされたか分かっていない様子で。
「スキルノカイセキカンリョウシマシタ」
その時、鬼の遣いの声が聞こえ白い矢のようなものが、鬼の頭目掛け飛んできた。恐らく、伝達スキルのようなものだ。当たった瞬間、鬼は信じられないというような顔をした。俺のスキルが分かったことで、これ以上、何をしても無駄だと絶望したようで……。
「お願いします。この子だけは助けてください。お願いします」
抵抗することを諦め、必死な形相で懇願する鬼。もう地面に頭をすりつけ、懇願する鬼。それは、子供を助けるために必死になる母親の姿と被る……。見た目が似ているから余計に……。
「お願いします。私は殺してもいいです。だから、この子だけは……」
もう消え入りそうな声で懇願し続ける鬼。慈悲を乞い続ける鬼。
それを見て、妙案を思いついた。そうだ。この鬼だって生物なんだ。親なのだ。子を思う気持ちは人と変わらない。
皆少しくらい同情する可能性だって……。そうだよ。可哀そうだろ。必死に自分の命を投げ出すのは構わず息子を助けようとする姿。皆心に打たれるものがあるはず。俺も心を打たれたフリをして、ここで、もう人を襲わないと約束さえさせれば……。
「ふざけんな。何都合のいいこと言ってんだよ!」「早くやれー!」「今まで散々殺してきて都合のいいこと言うんじゃねぇ!」
全くなびく様子がない国民。駄目だ。それどころか怒りが心頭の様子で……。こんなところで人間を襲わないと約束させようとも逆効果だ。
「お願いします。子供だけは助けてください」
必死に懇願する鬼。違うんだよ。もうそれじゃ無理なんだよ。そんなのいいんだよ、俺が出来なくなる理由をくれよ。俺に頼んなよ。
「アイン。早くこの負の連鎖を断ち切ってくれ」
王の声が聞こえてきた。駄目だ。もうこれ以上、時間は稼げない。いやだ。嫌だ。嫌だ。死にたくない。今度こそは止めをささないといけない。
……そんなの……そんなの、出来るわけがない。頼む。何かしら理由をつけてくれよ。なぁ、頼むよ。死にたくない。生きたい。そんな頭下げるだけじゃなくて……。死にたくないんだよ。もう逃げてくれよ。頼むよ。死にたくない。
俺はいったい何してるんだよ……。こんなに追い詰められているのに、自分のプライドや羞恥心に縛られて、怖いと逃げ出すこともできない……。かと言って死ぬ覚悟もできてない。
それっぽく右腕を上げ、鬼の子に手を伸ばして……。何とか、何とか、出来ないか。出来ない理由を作れないか……。何とか、時間を稼ぎたい。何も失わなくても済む方法はないのか……。もう、スキルを使ったフリをして倒れるとか……。いや、そんなのバレる……
「死ぬのが怖いの……?」
鬼が唐突に放った一言。余りにも予想外のタイミング、そして心の中を言い当てられたことで、心臓がバクンと高鳴って、それがモロに顔に出たんだろう。それまで悲壮感漂う顔で必死に懇願するだけの鬼の顔に希望の色が芽生えた。
「ふざけんな」「アインは気高き戦士だ」「アインはそんなタマじゃねぇよ」
そう必死に否定して、俺が死ぬことを鼓舞する国民。
「死にたくないんでしょ? そうなんでしょ」
水を得た魚のごとく、鬼が饒舌に話始めて、
「そ、そんなわけ……あるか……。俺は歴史を変えに……来たんだ」
こんなところまで来ているのに見栄を捨てきれない俺。その通りなのにどうして否定するんだよ。しかも、声はブルブルと震えていて誰が聞いても嘘だと気づかれるのに……。しかし、国民は俺を盛り上げようと必死で、
「流石アインだ!」「もう止めを刺してやれ!」「行けーアイン!」
「ここに来る人は怖がっていたけど、覚悟のようなものを感じた。でも、あなたにはそれが感じられない。死にたくないんでしょ!」
「………………」
全くその通りだ。もう何も言えなくて、口をパクパクとさせるだけで……。
「どうして死にたくないことを認めないの? 最後まで必死に生きようとするのが生き物として当たり前なのに。あなたは何に縛られてるの?」
何に縛られてる。この言葉は俺の痛い所をついてくる。
「もう、こいつの話なんて聞くな!」「さっさとやれ!」「お前を惑わそうとしてるぞ!」
「死にたくないのはあの国にあなたの命より大切なものがないからじゃないの? それなのに、何故それを命を懸けて守ろうとするの?」
もう、鬼と国民との言葉の応酬だ。俺はもう生への渇望と見栄との間で揺れ動いて、もうどうすればいいんだよ……。
「俺は……俺は……俺は……」
「アイン! 鬼の言葉に惑わされたら駄目よ!」
俺の言葉に割り込んで来たのは母だった。
「母様……」
母が必死な形相で水晶に顔を近付けて、唾をまき散らしながら言う。
「あなたしか敵を討てないの! サリーの死を報いて! 今まで死んでくれた人に報いて! この国はあなたを守るために命を懸けてくれた人が何十人もいるのよ」
「それで死ぬって言うのはまた別の話でしょ。誰もあなたを殺せない。なのに、どうして自分の好きなようにしないの?」
鬼の甘美な言葉がもう少しで自分の中のとどめている物を壊してしまいそうで。そんな俺に向かって父と母は必死に声を掛けてくる。
「アイン! お前なら出来る」「この国を救ってあげて!」「今まで受けた恩を返すときよ」「今までに死んだ人達のために報いるんだ」「もう終わらして!」
父と母はもう息をつく暇さえないほど食い気味に言葉を投げかけてきて。その必死さが伝わってくるから余計精神に支障をきたして。そんな中、鬼がポツリと呟いた。
「あなたは受けた恩のために、子供を死なそうとするの?」
そう呟いた時、鬼は怯えた顔をしていた。父と母はピタリと話しかけるのを辞めた。いや、押し黙ったという方が正しい。痛い所を突かれたように、グッと唇を噛んで。
「理解できない。人間は狂ってる。親は子供を守るのは当たり前……」
「あ、あ、あなたに言われたくないわよ! 私たちだって死んで欲しいわけじゃ……」
顔を真っ赤にして言った母の声は尻すぼみに小さくなって、最後の方はどもっていて何を言っているのか分からなかった。その姿を見てスッとしたものを感じる。
もう鬼は母親に見向きもせず、俺を見て言った。
「あなたの縛ってるものを全部取っ払う。それで息子を助けて」
その言葉には今までと違い、俺を説得しようとする意図は含まれてなかった。
「どういう……」
「そこにいるやつ全部殺す」
鬼は水晶を指さして言った。冷たくて無機質な声だった。
「場所さえ教えてくれれば、全部殺す。それであなたを縛るものも、あなたに死を強要するものはいなくなる。それくらいの力は充分残ってる」
それを言った途端、水晶からは一切の音が聞こえなくなった……。だが、次の瞬間、怒声、悲壮声、など様々な感情が混ざり合った声が一気に沸き上がった。
「やめてくれ!」「俺は関係ないだろ!」「頷かないよな?」「それは違うだろ!」「俺は何も言ってねぇよ!」
さっきまで余裕そうに攻め気だった広場が、一気に絶叫だらけで弱気になったのを見て。少しざまぁみろと思った。お前らと一緒で俺も死ぬのが怖いんだよ。俺の気持ちが分かるだろ。
「さぁ、早く場所を教えて。それであなたが死ぬ必要はなくなる」
その一言で、もう留めている物にヒビが入り、色んなものが漏れ出し始めて。頷きかけた。
「ふざけないでよ!」
だが、耳に飛び込んできたその声で止まる。一人の女性が水晶に近づいてきて怒鳴った。
「私は夫が死んだ。この中の人は全員近い人が生贄にしている。ご飯だってろくに食べればない。その点どうよ。あんたはスキルだけでずっとぬくぬくと生きやがって。あんたが楽な分、こっちはその分苦しんでんだよ! それなのに、今頃ふざけんじゃないわよ!」
女性は言い切った後、ハァハァと喘いだ。そして、恨みを詰め込んだ視線で睨みつけてきて。次の瞬間、場の空気は一転した。溜め込んでいた不満が爆発した。
「そうだ。俺はじいちゃんを」「生贄に差し出した夜の辛さが分かるのか」「お前には充分いい思いしただろ」「ここでやらなきゃ親を殺すぞ」「当たり前だろ」「早く殺せ」「お前が死ぬのは当然なんだよ」「被害者ぶりすんなよ」
その憎悪に満ちた声。俺は言葉を失った。ここまで不満を持っているとは思っていなかった。
けれど、少し考えれば分かっていたはずで……。もうどうすればいいんだよ……。
「殺せ~」「早くやれ~」「もう終わらせろ!」「その鬼を苦しめてろ!」「死んで当たり前なんだよ!」
「私ならその雑音、数分で消し去れる」
皆どんな思いをしてここまで来たのか、言葉の端から読み取れて、それでも生きたくて、鬼の言葉はあまりにも耳触りが良かった。
分からない。どうすればいいのか。もう考えたくないんだよ。もう……もう……。駄目だ……。俺は……。俺は……。生……。
その時、喧騒がピタリと止んだ。水晶を見ると王が片手をあげていて。じっと真っすぐに俺を見つめている。王は落ち着いた声で言った。
「アイン。すまん。辛い思いをさせた。確かに皆苦しい思いをしている。だが、それをアインにぶつけるのは間違っている。本当にすまん」
そう言って頭を下げる王。俺は自分の目を疑った。王が頭を下げた……?
「だが、気持ちは知ってもらいたい。ここに損をしていない人間はいない。皆身を削る思いをしてここに居る。なのに、わしに反抗することもしなかった。頼むこの通りじゃ。倒してくれ。今まで苦痛に耐えきた者たちを浮かばれないまま終わらさないでくれ。わしはどうなってもいい。だが、国民だけは……。この通りじゃ」
さらに、深く頭を下げる王。
「お、王! 頭を上げてください」
慌てた様子の母と父がすぐに隣に跪いて、何とか頭を上げようとするが、それでも頑なに頭を上げようとしない王。今までに王が頭を上げた姿を見たことがない。当たり前だ。一家の主だから、なのに、それ人が国民のために頭を下げている。
広場にもそんな考えが広がったのだろう。自分たちのために王が頭を下げてくれたのだと……。さっきまで殺気に溢れていた広場は落ち着き、どこか感慨深げな雰囲気になって。
不意に、いつも聞かされていた母の話を思い出した……。
鬼を倒すには、俺とサリーだけでも良かった。もしくは、父と母を生贄に差し出して、鬼に恨みをもたす事も出来た。しかし、それをしなかった。そこで、王が国が言ったそうだ。救ってもらうんだからその分いい生活をさせてやろうと。それに、何も文句を言わずに、それどころか自分の食料を切り詰めてでも、献上してくれた国民。生贄もいつか救われると自ら死んでくれた。「……あ、あっちです」他にも、俺のために犠牲になってくれた騎士団員達。体を貫かれても俺の無事を見て安心そうに死んでいった人もいた。さらに、黙って耐えてくれたその家族。これまで与えられ続けていたのは事実で……。でも、そうは頭で分かってても本能で生きたいと……。んっ?
不意に瞳の端に映った。さっきまで頭を下げていた王が、頭を上げていて……。その顔は血が通っていないかのように青く、瞼が見えなくなるほど瞳を見開き、口はぽかんと開いていた。まるで信じれない物を見たような顔をしていて……。
その隣の父と母も、デルマも、その後ろに控えている国民も皆、王と同じような表情をしていて。
「分かった。約束は絶対に守ってね。こっちも守るから」
鬼が念押しするようにそう言った。そして、鬼は背中に鬼の遣い数体を載せ、外に消えて行って。
その時、国の方角に向かってピンと伸びている腕、ピンと伸びている人差し指に気づいた。
………………………えっ? ………………俺は一体……?
「うわぁぁぁ。逃げろ!」「キャァァァ」「助けて!」
一気にパニック状態になる広場。
「どけぇ」「邪魔だ」「お母さん!」「もう終わりだー!」
怒号、泣き叫ぶ声、絶望の声。
えっ、どうしてこんなことに? えっ…………?
俺はわけが分からなくて。俺は……一体、俺は……。
「何を考えてるの⁉ アイン!」「今からでも遅くない! 考え直せアイン!」
そんな声が飛び込んできた。父と母がもう水晶を叩きながら、もう噛みつかれるかと思うほどの感情むき出しの声で、早口でまくしたててくる。目はギンギンに見開いて。
驚いて、自分でも現状が理解できてなくて……。固まって、頭も真っ白になった。俺は一体……。なにを……。
「何してる! アイ……」
ブグチュ
そんな音と共に、父の右目が飛び出して、血に濡れた剣先が現れた。父の左の黒目がギュンと上に消え、体は痙攣し始める。
「散々、俺らに苦汁飲ませてきてこれかよ!」
父を刺したのは男だった。目を血走らせ、母に向かって剣を振る。
ゴキッ、ズシャ
骨を折る音と、皮膚を割いていく音と共に、血が噴き出して。母はうめき声だけを出した。
「お前を苦しめてやる! お前の親を惨めに殺してやる!」
男は父と母の死体に何度も剣を突き刺して、その度に血が噴き出して、地面は見る見るうちに血でおおわれていって。
気づくと数人増えていて、俺を殺気を込めて睨みつけ
「どうだ。お前のせいだからな!」
そう怒鳴りつけて、父と母を踏みつけ、剣を刺し、銃を撃つ。父と母はその度にビクンと体を反らせ、すぐに動かなくなった。すぐに誰か分からないほど血でまみれて、顔が穴だらけになって……。見るも無残な姿になって……。
こんな……こんな……ぁ。
ドンッ、
衝撃音と共に、鬼が飛び降りてきた。勢いで地面にひびが入る。
「ワァァァ」「もうだめだ!」「逃げろ!」「助けてお母さん!」「来るな!」「やだー!」「死にたくない!」
場はもう騒然としていた。緊迫した恐怖から生まれる断末魔に近い悲鳴。子供の甲高く泣き叫ぶ声。
「うぉぉらぁぁぁ。父ちゃんの敵」「死ぬくらいなら少しでも!」「これ以上誰も奪うな!」
しかし、その中でも数人、鬼に仕掛けた人がいて。だが、鬼が腕を一振りすると同時に、頭がパァンと音を立て破裂して、血や目玉や骨などが勢いよく飛び散って……。脳の一部が水晶にぺたりと張り付き、ゆっくりと滑り落ちて行った。
こんな……こんなの……こんな…………。
背中にくっついていた鬼の遣いが離れ、誰も逃げれないように逃げる先頭に向かって飛んで行く。その間に鬼は近くの人間から手当たり次第に殺していく。
あるものは、余りにも簡単に体を貫かれ、簡単に首と胴体を引きちぎられ、簡単に叩きつけられ、簡単に踏みつけられ、ボールのように転がる頭、その度、聞いたことのない骨が折れる音、肌がビチビチと千切れる音、肉を貫く音、地面に人が叩きつけられる音。それら断末魔と混ざり合い、人間が出す音ではない音が出る。痛みに耐え、うめく声、恐怖と痛みに耐える表情から一転し限界を迎え顔いっぱいに絶望の色を浮かべ、表情の色がゆっくりと抜け落ちていく。
止めてくれ。もう止めてくれ。やっぱり止めてくれ。そう言いたかった。でも、声が出なくて、口からヒュ~ヒュ~と空気が漏れる。
もう地面全体が血で覆われて、その上に何百人もの人間の原型を留めていない死体が転がっていて……。鬼も広場の人を殺し、広場から逃げた人を襲い始める。聞こえる叫び声も随分と小さくなって。
こんなはずじゃなかったのに……。こんなはずじゃ……。
視界の端に動くものが見えた。死体を押しのけ立ち上がったそれは人間で。どうやら運よく生きていたよだ。滴るほど血で濡れた長い髪。女性のようだ。こちらに向かって歩いてくる。顔も血で濡れて分からない。でも、その大きな瞳には見覚えがあって。
「デルマか?」
間違いないデルマだ。何してる早く逃げてくれ。そう言おうとした。
「殺してやる。殺してやる」
デルマは爪を水晶に立て、その大きな瞳一杯に殺意を込め、こちらを睨みつけた。
「一生恨んでやる。覚えとけ。一生恨んでやる。殺してやる。苦しめてやる。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺ッブグ」
デルマの顔がグルンと回転した。骨が砕ける音、そして首が雑巾のようにねじれた。瞳は裏返り、鼻と口から異常なほどの血が噴き出して。そのまま倒れた。その後ろをまた新たな標的を見つけ、追う鬼の姿。
「あっ、あっ、あっ、あっ」
その瞬間、完全に壊れた。
「あぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
腰に装着していた護身用のナイフを取り出し、そのまま喉元に向かって。
ガキッンッ
光の壁が現れ、刃は喉元にまで届かない。
「いいって」
何度も喉元に向かって刃を突き立てようとするも全て光の壁に防がれ、最後には刃が折れた。
「邪魔だってぇ、サリィィ」
もう嗚咽が止められなかった。もう死にたいのに。死なせてくれよ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「嫌だー! 来るな!」
ドグッ
最後の一人の脇にケリを入れる。その人間は壁に激突し、そのまま動かなくなった。
よしっ、これで約束は果たした。それに、あの人間が子供にスキルを使われる理由もなくなったが……。心配は無くなったわけじゃない。
「早く帰ろう」
遣い達に命令しすぐに背中に乗せ、巣の方に向かって飛んだ。
「なっ?」
巣の中に入ると言葉を失った。そこには鬼の遣い達が地面に倒れていて……。全員ピクリとも動いていない。慌てて子供のいる壇上に飛んだ。
すぅすぅすぅ
寝息を立てて眠っている子供を見て、ほっと安堵する。どこにも怪我も、年も取っている様子はない。
その時、足元に踏んでいた真っ白い髪の生えた人間に気づいた。持ち上げると顔はしわくちゃだらけ、だが、其の顔には見覚えがある。さっきの人間だ。もう息はない。どうやらスキルを遣い達に使い切ったようだ。
あれだけ死にたくなさそうだったのに。同じ仲間を全員殺させといて……。それほどまでに死にたくなかったんじゃないのか。
意味が分からない。
「いったい何がしたかったの?」
そう尋ねるも答えは返ってくるはずもなく。
まぁ、いいか。こちらとしては好都合だ。今は子供が無事だったことを喜ぼう。
すやすやと眠る子を起こさないように気を付けて、ゆっくりと頭を撫でた。
最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m