8 スリーパーズ:Sleepers
「……しかし、そのスピンドルと繋がりを疑っているオレを、今回の任務に使おうというのは、どういう意図です?」
疑わしい企業工作員を現場に集めて、事故や作戦失敗なりに見せかけて皆殺し。なんてのは、知りすぎた工作員を始末するのに使い古された手段ではあるが、それならば社長自らがこうして話す意味はない。
「君を、この縮退粒子演算器と有線で接続させろ、と連絡をうけてね」
海里も不審そうに、映し出された映像を指さす。
「領域支配戦闘機《A.S.F.》の演算エンジンに、マスターキーもなしに有線で……? 超級AIが入っていたら、一瞬でデバイスを焼かれますよ?」
「だろうな……実際、遠隔で侵入を試みた企業工作員は全員、粒子演算デバイスごと焼かれて死んだ。かといって、本社や横須賀の領域支配戦闘機《A.S.F.》を使うわけにもいかんしな」
超級AIがインストールされた縮退粒子演算器は、言うなれば粒子センサ・ネットワーク内の不明領域だ。
ヴァージョン・アップ紛争を経て、停戦条約の改定により、領域支配戦闘機《A.S.F.》の使用に厳しい制限が掛かるようになった為、その攻性使用は国際問題の呼び水となり、所有する勢力は大きな弱みを負わされることになる。
それは咲耶のような粒子制御デバイスでセンサ・ネットを操る、小回りの利く『魔術師』が台頭してきた背景でもあった。
「だいたい一体誰に……いや、オレに関係があって『カドクラの次女』のアンタにそんなことを連絡できるヤツと言えば……まさか……」
咲耶の脳裏に嫌な予感が広がる。
それを肯定するように、海里は笑みを浮かべた。
「そうだ。察しが良くて助かる。連絡はスピンドルの宇宙開発研究所から。差出人はその所長……宗像月臣。君の父だ」
宗像月臣。
あの男は地上には一切興味を持たず、太陽系外探査のための、超光速航法の研究を続けている。
咲耶の鹿賀姓は、地上に来た時に身元保証人から一字貰って登録申請したものだ。
縮退粒子演算器などに詳しいのも、幼少の咲耶が研究室を遊び場にしていたからだが、その頃は、父との関係は良好だった。
おそらく亀裂が入ったのは、母の死。そして、あの男がますます研究にのめり込むようになってから。
だが咲耶自身にあまり実感はない。
しかし、その鬼気迫る様子と人嫌いになっていく姿を見て、父とは距離を置き、地上へ降りる決心をした。
地上――ニュートウキョウへ降りてからは、一度も連絡を取ってはいないし、向こうから連絡が来たこともない。
「それが、今になって……?」
思わずそんな言葉が零れた。
「それは私も同じ意見だ。昔の彼ならいざ知らず、今の彼が地上に降りた息子を気にかけるとは思えない」
「じゃあ、罠なんじゃないですか?」
「それも同じ意見だ、だが……これを、そのまま放置するわけにもいかなくてな」
海里が再びヴァレリィの方を見て促すと、新たな映像ウィンドウが現れる。
荒く暗い、森の映像。
「すでに、他国の部隊が掠め取ろうと動いている」
ヴァレリィがそう言って映像の一部を強調表示すると、迷彩装備に身を包んだ部隊の姿が映っていた。
「装備が各々バラバラですね……荒事請負ですか?」
咲耶は荒くて暗い映像データに、AIアプリによる光源投射、鮮明化処理を行いつつ所感を述べた。
「荒事請負ではない。こちらで調べたところ、所属はユーヴィ・クランシーズだ」
ヴァレリィが欧州経済戦略会議の産業複合体の名を口にする。
「ユーヴィ・クランシーズ、仏国の? じゃあ、こいつらは企業工作員か……まさか、あのユーヴィの暗殺部隊?」
「いや、今回動いているのは別だろう。どんな伝説的な部隊にしろ、昨日の今日で痕跡を残さず日本国内に侵入することは不可能だ」
「たしかに、ユーヴィの生ける伝説と言われる暗殺部隊が日本に来たとなれば、アングラ・サロンはハリウッド・スターが来日したような大騒ぎになってるでしょうけど……」
極東首都ニュートウキョウは、基本的には日本の首都。そして産業複合体カドクラの膝元。
しかし、都心七区やソレを含む内郭二十三区には、他の産業複合体の支社はもちろんのこと、他国の外交、諜報機関までもが跳梁跋扈している。
防諜や水際対策が致命的に弱いスパイ天国。
前世紀からずっと、そう揶揄される日本だが、その実、島国故に出入りの監視に関しては世界でも有数の能力を誇る。
そして世界でも珍しい、ほぼ単一民族による先進国家という特性から、スパイを送り込めたとして、大きな工作は目立ちすぎるのが実情だ。
それが日本という国の裏社会事情だった。
「だからといって油断はするなよ。すでに、カドクラ本社の即応部隊はこの連中に全滅させられている。現在は本隊が到着して交戦中だ」
「どういう部隊なんです?」
「瑞国の変わった即応部隊にストラテジック・ホームガード・ディヴィジョンというものがある。一般人として生活しているが、有事の際に【潜伏者】というAIアプリが起動し、エージェントとして活動し始めるというものだ」
「即応部隊用のAIを、潜入工作員に流用したと?」
「むしろ、こちらが本来の使い方のようにも思えるな。【潜伏者】の開発元はユーヴィだ。」
「具体的には?」
「一般就労ビザで入国、何食わぬ顔でその国で生活させる……当人に工作員という記憶はないので、疑わしくない人間の巧妙に迷彩されたパーソナル・プロフィールをわざわざ突破しない限り発見されない。情報収集などは無意識下に潜伏しているAIアプリが行い、有事の際には起動し、エージェントとしての記憶を取り戻して任務に就く」
「それだと、まるでAIアプリが工作員を操っているように聞こえますね……」
AIアプリが休眠状態の間は一般人と変わらず、発見は困難。起動すれば、工作員として覚醒し、活動を開始。
人とAIの主従が逆転してみえる。
だが、その事よりも、もっと直接的に気になることがあった。
「ユーヴィ・クランシーズが、わざわざ伏せてあった虎の子のカードをここで切った理由は……?」
存在そのものはカドクラ側にバレている。それなら、潜伏させたままにした方が良い効果を生む。
陽動や疑心暗鬼を狙って、ユーヴィ側が意図的に情報を流していた可能性も高い。
だが潜伏任務を捨ててまで動かした部隊が、仮に流星――縮退粒子演算器に辿り着いたとしても、それ自体を国外へ持ち去ることは不可能だろう。
とすれば狙いは、縮退粒子演算器に接触すること。
つまり有線接続を指示した父・月臣と同じく、ユーヴィ・クランシーズの目的も同じ。嫌な符合だ。
「海里社長、この縮退粒子演算器のストレージ――『不明領域』には、一体何が入っているんです? 知っているんじゃないんですか?」
「それは――」
海里が口を開きかけたその時、カタカタという古いコンソールを叩く音と、チキチキという金属の噛み合う小さな音が、咲耶の耳に入った。
「この音……具現化現象――」
咄嗟に音の方に振り返ると、隣に座っていた長巻の瞳孔が赤く発光し、手にした高速振動ナイフを咲耶に向かって振りかぶっていた。