6 アルテミス・ワークス社:Artmis Works Inc.
アルテミス・ワークスは二十年ほど前に門倉の次女海里が立ち上げ、太平洋上ノース・ポイントにある大型海上施設を巡って行われた領域支配戦闘機による史上最大の電子空戦――ヴァージョン・アップ紛争の矢面に立ったことが有名だ。
その後、領域支配戦闘機による限定戦闘は縮小傾向になり、世界の情報戦が個人用装備である粒子制御デバイスの開発競争へと移ったことで、アルテミス・ワークス社もノース・ポイントでの領域支配戦闘機の開発、運用から、企業工作員の運用業務にシフトしたらしい。
咲耶が伝手で入社したのは、社屋がニュートウキョウへ移転した後のことだ。
そんなカドクラ系列オフィス・ビルに、咲耶は裏口などは使わず、陣笠に外套の怪しい影法師姿のまま、正面からIDパスを通して入る。
「そもそも、企業工作員の所属部署を持ってるトコが、ニュートウキョウの一等地で、のうのうと一般企業ヅラしてるのが頭おかしいんよ……」
普通、企業工作員はペーパー・カンパニーにでも所属させるものだが、アルテミス・ワークスでは恐ろしいことに技術系職員と同じ契約形態になっている。
もちろん日本最大の産業複合体カドクラの後ろ盾があればこそ、成せる技なのだろうけども。
それは産業複合体がもはや、国家権力よりも上位の力を有している表れでもあった。
「第三派遣事業部、長巻部長、直接会議」
ツルツルに磨かれた黒い大理石の威圧感のある玄関ホールを歩きながら、受付嬢に社員IDと入館目的をセンサ・ネットで添付送信。
立ち止まることなくエレベーターへ向かう。
街中ならともかく、こんなところに陣笠を被った外套の男が現れたら、即座に不審者として呼び止められそうなものだけれど、誰も気にした様子はない。
咲耶が改造した認識阻害アプリ【朧・二式】は正常に機能している。
同じ東ア社の軍用情報迷彩【位置情報迷彩】などに比べると、メモリ容量を食わない常駐型なので、意識出来れば看破できる程度の認識阻害。
だけど市販のネットリンク・デバイス程度では、注視点からズレた咲耶をうまく認識できず、警備の人間ですら素通りだ。
「十三階、部長室でお待ちです」
そう告げて恭しくお辞儀をする受付嬢を尻目に、咲耶は陣笠の内側に表示された周辺情報に目をやった。
ザっと見ただけで、似たような認識阻害の常駐アプリを展開している魔術師が三名。
全員、企業工作員だろう。作戦のために呼び出されたか、それともこちらが反抗した際の備えか。
陣笠を目深に被り直し、エレベーターに乗り込んだ。
ビルの外壁を走る、ガラス張りのエレベーターで十三階へ。
景色が高速で眼下に流れる。見下ろす街並み。だが視線を上げれば、まだ無数のビルが天を突いて伸びていた。
まるでニュートウキョウの縮図のようだと、ぼんやりと想いながらエレベーターを出て、指定された部屋に向かう。
「潜入させてあった企業工作員は引き上げさせろ。こちらの尻尾を掴ませたくない……ああ、鹿賀くんか、よく来てくれた」
部長室に入ると、通話中だった流行りのラミネート・スーツの男が一人で咲耶を出迎えた。
普段、通信ウィンドウでは見慣れた顔。
第三派遣事業部、長巻部長。
「時間を改めましょうか?」
部屋は、黒い大理石の床に合わせて設えられた調度品類が、訪れた者を自動的に威圧するデザインをしている。
咲耶はそんな上品だか悪趣味だかな部長室の内装には構わず、入るなり粒子制御デバイスから、タイシン社製のソナー検知アプリ【探針視覚】を起動。
室内の粒子センサ・ネットワーク上に山吹色の波が、脅威度の高いオブジェクトを強調表示していく。
引っ掛かったのは机に埋め込まれたハード・ストレージの防壁《ICE》と監視カメラ。後は部屋のカベに隠された自動迎撃ガンだけ。
目の前に立つ長巻も、それなりの防壁《ICE》を展開している。だが室内の防衛機構や、長巻本人からの対抗手段はない。
長巻は気に留めた様子もなく、愛想よく口を開いた。
「いや。いま丁度、別件の打ち合わせが済んだところだ。いいタイミングだよ」
見える範囲に伏兵はなし。
窓はさすがに防弾なようだし、狙撃の心配もない。
魔術師を抱える部署を受け持つ長巻部長は、最低でも軍用以上のネットリンク・デバイスを用いているだろうから、咲耶が【探針視覚】を使用したことには気づいているはずだ。
「ところで鹿賀君、前から気になっていたんだが……スピンドルの魔術師はみんな、その恰好なのかね? 相変わらず実にその、魔法使い風の格好ではあるが……ファンタジーの」
「どうでしょう? オレは若い頃に地上に移ってますから、スピンドルの流行りとは違うと思いますよ……それが、なにか?」
「個人の装備をとやかく言うような部署でもなかったな、ウチは」
「それで、企業工作員を、わざわざ本社ビルに呼び出すほどの案件とはなんです?」
この長巻部長の世間話で、咲耶はこの呼び出しが昨晩の『スピンドルからの流星』の話だろうと当たりを付けた。
勿体ぶっているわけでもないだろうが、さっさと話しを進めてほしいとばかりに咲耶は事務口調で促す。
「昨晩の流星のことは――」
「知っています。すぐに情報封鎖されたようですが」
スピンドル出身の咲耶としては余計な詮索を避けるために、とぼける選択肢もなくはなかったが、そこは悲しいかな社会人。
魔術師の能力査定に響くのを嫌って、素直に答えた。
「……そうか。なら話は早い。このまま仕事に就けるか?」
「ええまあ、そのつもりで出てはきましたが」
外套の袖を広げて、仕事着であることを強調する。
長巻やアルテミス・ワークスそのものを警戒してのフル装備ではあったが、準備はたしかに万端だ。
「さすがは超級魔術師といったところか。よし、ついてきてくれ」