5 陣笠:Soldier's Hat
化石燃料の使用による地球温暖化が叫ばれはじめて、かれこれ一世紀。
電力網の大半が粒子センサ・ネットワークのスマート・グリッドに置き換わってから四半世紀以上経つけれど、いまだ日本の夏はひどく蒸暑く、秋は残暑、そして結局、冬になると突然コートが必要になるぐらいに冷え込んでくる。
流星を見た翌日、咲耶は都会ならではの寂しげな冬の中、都心七区のオフィス街にある、滅多に出向かない勤め先に呼び出されていた。それはもう予想通りに。
環太平洋経済圏西側の中心地にして極東首都の名を持つニュートウキョウのシティセンター都心七区の巨大なビル街。
天を仰げば、空が三割で、ビルが七割だ。
そんなビルの合間を縫って雪がはらはらと降る中を、咲耶は日本伝統の陣笠を目深に被って歩いていた。
ニュートウキョウで変わった格好の人間は、さして珍しくない。
陣笠にゆったりした外套姿は、咲耶の仕事着。笠を被った地蔵のような、輪郭の曖昧な姿。
笠の表面は粒子遮断コートが施されていて、上空監視用のアプリ【ワシの眼】等から姿を眩ますことができる。
密閉型ではないので完全な遮断は出来ないが、通常の防壁《ICE》と、東ア社製の認識妨害アプリ【朧二式】を常駐しているから、一般人の視野からは咲耶の姿は幽霊に等しい。
さらに大きな陣笠の内側は、ちょっとしたパーソナル・スペースのようになっていて、センサ・ネットのアングラの怪しげなニュース速報サロンや、株式情報、一般向けのサブスクリプション・チャンネル等が雑多に映し出されていた。
元々は軍用ユーザー・インターフェースの試作品なのだが、咲耶は外出時の暇つぶし用モニター・ツールとして活用することの方が多い。
「このクソ寒い中、なんでまた……デジタル・ミーティングで済む話を……」
外套内の温度や湿度を管理するAIアプリなどは、センサ・ネット・アプリケーションの基本的な機能の一つだけれど、そもそも外気が冷たい事には変わりないし、そんな日に外に出たくないことには変わりはない。
だいたい、非合法の仕事を請け負う企業工作員を、わざわざ本社に呼び出すなど何の冗談だという話だ。
しかし、わざわざ会社に呼び出すほどとなると、昨晩のことが思い出される。
咲耶は流星を思い出すと、粒子制御デバイスの埋め込まれた首筋がひりつくような、そんな嫌な予感を感じていた。
この手の予感には従った方が良い。
それでひとまず、社外の仲介屋に連絡を取ることにする。
「ハイカラさん」
勝手知ったる仲介屋のサロンにアクセス。コール。数秒待つと相手がオンラインになって、小さな通話ウィンドウが視界の隅に開いた。
「どうしたの咲耶、平日昼間のこんな時間に。今、あんたに振るようなバイトはないわよ? 何かあった?」
浅黒い肌をして、ビーズの飾りを付けた灰色の長い髪をタオル地のヘアバンドで止め、鈍色の瞳に眼鏡を掛けた女が通信ウィンドウに映る。
彼女はグレイカーラ、通称ハイカラ。咲耶が『バイト』の仲介を頼んでいるフリーの仲介屋だ。
「わからん。急に本社に呼び出されたんよ」
「あらあら大変。仕事でヘマしたんじゃないの?」
カラカラと笑われるが、咲耶は愛想のない相槌で流して話を進める。
「覚えがない……それで、用心のためにバックアップがほしい」
「超級魔術師に貸しを作りたい違法請負人には困らないけど、せっかく溜めたバイト代が飛ぶわよ? 会社に内緒でバイトしてんでしょ?」
「会社にはバレてると思うけどね。それに、こういう時のために溜めておいた現金とツテだ。命よか安かろ」
「いつまでに?」
「代金は今振り込むから、夜までに。逃がし屋よりは、戦闘屋がいいな。たぶん」
「ずいぶんと急ぐわね……昨日の流星絡みかしら?」
そらきた。と咲耶は内心で舌打ちをしたが、表情には出さない。
「ノーコメント。難儀な任務を押し付けられるならまだ良いけど、これから会う上司に暗殺される可能性も無くはないんよ……いやマジで」
「スピンドルから来た超級魔術師様も、宮仕えは大変ね」
「茶化すなよ。超級魔術師は誰かが勝手に呼び始めただけだ。自分で名乗ってるわけじゃない」
軽口を叩きながら、仲介屋は画面の外へ目を流した。
灰色の瞳が薄く、青に発光し、その視線が忙しなく動いているところを見ると、リストを当たってくれているようだ。
荒事請負のように『組』に属さず、裏の仕事をソロで請け負う違法請負人は長生きできないとよく云われているが、咲耶から言わせれば企業工作員もリスクの面で大差はない。
何年も企業で裏の仕事をしていれば、センサ・ネットを扱う魔術師などは、どうやってもいくらかの機密に関わらざるを得ない。
その為、よほどの絡み合ったコネクションでもない限り、何らかの事情とタイミングで始末される危険が付きまとう。
だからだろうか、咲耶に限らず、勘のいい企業工作員は保険として『別の顔』を持っていた。
「んー……情報不足で判断保留が四つ、今晩飲みに行かないか、が一つ。即決はなし。もうすこし具体的な依頼内容なら良いのだけど……とりあえずキープはしておくけど、対応速度は遅れるわよ?」
何も起こらない可能性もあるが、超級魔術師からの内容不明の依頼となれば、警戒心が働くのも言わずもがな。
「悪いが、鬼が出るか蛇が出るか、まだ分らんのよな……それより、最後の飲みの誘いはなんだそれ」
「えーと、ああ、こいつは別に名前教えてもいいか――トバ組の朝比奈よ」
「アイツ、また依頼に失敗したんだろ? よく生きてるよな」
「朝比奈の場合、生きてるから失敗してるとも言えるけど。逃げ足だけは早いし」
「ああ、命あっての物種……ってよく言ってるな。良いんじゃないか? オレもあの意見には賛成だ」
「良かないわよ、あんたが言うならともかく、あいつの依頼の成功率知ってる? 六割よ? 六割! ウチの仲介限度ギリギリ! しかも失敗のうち半分はやる前から逃げてるし! 新人でももう少し仕事できるわ!」
「仲介屋も大変だな……」
ハイカラが感情的に天を仰いで髪をかき乱しているので、咲耶はそれが落ち着くまで数秒待った。
「まったくよ。こっちの信用にも関わるっての」
「オレも気を付けるとするよ。じゃ、頼んどく」
「まあ、期待しないでおいて。請ける人間が現れたら、また連絡する」
「んな悠長な……ガチで鉄火場になったらどうすんだ」
「その時はご愁傷様」
そう言い残してハイカラの通信ウィンドウは閉じた。
「えぐいて……仕事してくれよ仲介屋」
そうボヤきながら、陣笠の陰から空を仰ぐと、天を突く黒いモノリスのようにそびえ立つカドクラ本社ビルが目に入った。
その手前には、古めかしい寺社公園を挟んで、二世紀以上前に建てられた都心七区の旧ランドマーク――トウキョウ・タワー。
咲耶が勤めるアルテミス・ワークスの本社ビルは、巨大なカドクラのメガシティ・ビルからトウキョウ・タワーを挟んでこちら側にあった。
「まあ、いいか……後はもう、何も起こらんことを祈るばかりだな」