25 神耶ケイ:Answerer
「……僕たちがデーモンだと?」
蜘蛛の男の身体を這い回る蜘蛛が、数を増した。
熱と黄金と氷の蜘蛛が、体中、その足元にも蠢いて這い廻っている。
「貴様のその戦闘義体は、ユーヴィ・クランシーズの開発したR6のS型だ。そして、その頭のサイバーウェア……」
海里がその細い指で、自分の右側頭部を横になぞって見せる。
「――自分に脳が入っているか確認するために、切開したのだろう?」
「お前……」
「デーモンが成長して自意識に目覚めると、関連付けられた人物の記憶や人格をトレースして人として振舞う。だがそれはスワンプマンとしては不完全で、記憶と人格を借用して、人の真似事をしている幽霊のようなものだ」
饒舌に、蜘蛛の男の神経を逆なでしていく。
「だから存在を証明したがるという所見はスピンドルの報告書で読んだよ……自己矛盾からくる分裂症を抱えているようだな? それがお前のデーモンAIの姿にも表れているように思えるが?」
「お前はもう――」
蜘蛛の男の両腕両脚から、コートやズボン、そして丁寧にコーティングされた人工皮膚を破って、多関節ブレードが生えた。
「貴様は失敗作だよ、スリーパーズ。咲耶や、そこに転がっているマキシにも及ばない」
「――ここで死ぃねぇぇぇッ!」
無数の蜘蛛と共に、手足に刃を生やした蜘蛛の男が飛ぶ。
だが――
――ギィィィィィィィィンッ!
また、あの音だ。
海里に飛び掛かった瞬間、蜘蛛の男は従えたすべての蜘蛛とともに、その身体を切り刻まれた。
蜘蛛は赤い血のような粒子を散らして消え、鉄の肉体はボトボトと、やはり血の一滴も流さずに、そこらに転がった。
「かー、どー、くー、らー、かー、いー、りー……」
転がった生首が、怪談のように海里の名を呼んだ。
「その姿になっても死なんのだ。甘えた幻覚を捨てて、自らをデーモンだと自覚しろ」
そう言って海里はパンプスに防壁破りを纏わせると、未だ恨めしそうにうわ言を呟く生首を、一息に踏みつぶした。
その隙に一匹の小さな黄金の蜘蛛が、倒れたマキシの傍らを通って逃げたのが見えた。
海里は忌々し気に残骸を払った後、その視線を【此花咲耶】が咲かす雪花に移し、艶やかに眺める。
木々を浸食し、凍結させる黄金の枝葉、その節々に咲き誇る雪花。
それは今も広がり続けていた。
幻想的と見るか、現実を浸食する異形と見るか、意見が分かれそうだと身動きの取れぬマキシは思う。
マキシからすれば、それは咲耶の意識が溶けて、センサ・ネットに流れていく光景だった。
せめて、首の拘束具をどうにかできればと焦るが、暴走防止用のM4戦闘義体専用拘束具で容易には突破出来ない。
「【此花咲耶】……使い捨てるには惜しい個体だったが、お陰で目途が立った……感謝するぞ鹿賀咲耶」
雪の花が咲き誇り、氷雪の舞い散る中を、海里は悠然と歩く。
視線の先には、宗像が拵えた“棺”があった。
縮退量子演算器。
その中にはヴァージョン・アップ紛争を世界大戦に発展させることなく鎮めた世界最高の頭脳、|計測限界値の情報処理IQ保有者・神耶ケイの脳標本が納められている。
その傍らに倒れ伏した鹿賀咲耶からは、黄金山羊の骸骨と女性の身体を持つデーモンが生え、その身から黄金の枝を広げて世界を氷に浸食していた。
*
八年前――
「海里」
長期休暇の内の数日は、いつもケイと旅行に出ていた。
街を練り歩いてショッピングを楽しんだ後、スィートのテラスで読書に耽っていると、ケイがフロートアイスの乗ったカクテルを持ってきて隣に座った。
「ありがとう」
本を閉じ、カクテルを受け取る。
「新しいAIの開発、どうにかモノになりそうよ」
「自意識を持ったAI……だったか。どうして、そんな反乱を起こしそうなAIを?」
海里が冗談めかしてそう言うと、ケイは花が咲いたように笑った。
「なにかの制御システムに組み込むのには、向いていないでしょうね」
「スレイプニルの最終目標は外宇宙探査だろう? どうして、完全な自立型AIの研究なんだ?」
フロートアイスを崩して溶かしながら海里が聞くと、ケイは少し複雑そうな顔をした。
「月臣のレポートは読んだでしょう? 用途の問題ではないわ」
「次世代型AIのための基礎研究?」
「そんなところね。出資者さまには、儲からない話だろうけども」
「それは今に始まったことではないわよ」
海里は快活に笑う。
「それに、外宇宙探査とそう無関係というわけでもないの」
「というと?」
「例えば、AIとして自分のパーソナリティや記憶痕跡を完全にコピーしてAIを作り、機械の身体に移す……とか」
「そして、その機械の身体を得たクローンが時を超えて、銀河旅行に? ロマンチックなようでいて、面倒な哲学の問題を二つ、三つ、踏み倒しているわね、それは」
「そうなのよね」
今度はアハハと、ケイが笑った。
*
翌年、梅雨。
憂鬱な雨が降り続く日の午後に、その回線は鳴った。
「海里さん」
呼び出しは、宗像月臣からプライベート回線を使ってのことだった。この回線を教えたのは随分と昔のことだが、彼がいままで連絡をしてきたことはなかった。
「落ち着いて聞いてくれ……」
宗像にしては随分と落ち着きがなかった。
特にスピンドルに引き籠ってからは老成した振る舞いを見せていたが、今は最初に出会った頃の――ヴァージョン・アップ紛争に巻き込まれた頃の、宗像青年のように戸惑っていた。
「何があった?」
「ケイが……殺された」
聞かされた海里は、しばらく放心していた。
嘘ではないだろう。そうでなければこの十年来使わなかったプライベート用の秘匿回線になどアクセスしてくる性格ではない。
神耶ケイは、世界にも稀な、領域支配戦闘機《A.S.F.》を操縦、制御する能力において世界最高スコアを持つ“|計測限界値の情報処理IQ保有者”だ。
勿論、宗像月臣博士を含め、海里はその身辺警護にはカドクラ内でも最高のシークレット・サービスを付けていたし、宇宙太陽光発電ユニット兼宇宙研究開発コロニー・スピンドルという島国の日本国以上に潜入の難しい場所で研究をしていた。
それだけに、その事実を受け取ることが、海里には難しかった。
頭の中を整理し、感情を押し殺し、ようやく言葉を絞り出す。
「……犯人の目星は? スピンドルの中なら、不審な人物が入り込んでいれば洗いだせるはずだ」
「いや……それが……」
宗像は言い淀む。
「らしくないぞ。ハッキリしろ、宗像博士」
この時点で、海里はその犯人は大陸国家企業連邦だろうと、予想していた。
海里は先のヴァージョン・アップ紛争で粒子センサ・ネットワークの生みの親にして恩師であり、神耶ケイの父でもある、ニール・神耶博士を失っている。
今回もまた大陸国家企業連邦の謀略だろうと、手にしていたペンをへし折った。
この落とし前は、必ず――
しかし、宗像が言い淀んだ理由は別にあった。
「ケイは研究所の機密区域で殺されていた。デーモンAIのサンプルも盗まれていた。だが……超級AIに走査させた結果、研究所に侵入した痕跡も、同様に逃亡した痕跡もブラフだった」
「わざわざ……外部の犯行に見せかけた?」
「つまり犯人は内部の人間……しかも研究所内ということなら、カドクラの人間だ」
身内の犯行。
その事実に、海里は心が冷たく凍っていくのを感じていた。
祖父・忠勝、父・宗一郎、姉・聡里、妹・廻里、海里の肉親だけでも、この全員がカドクラ内に各々の派閥を持っている。
「研究の妨害が目的……?」
「或いは……デーモンAIを手に入れることが目的か……」
「首謀者の目的がデーモンAIの研究成果だったとして、君たちはどうする? この状況だと、スピンドルに留まるのも危険だろう」
「その事なんだが……九重社長の手配で“迦具夜”に向かうつもりでいる。それで一つ頼みがある」
「なんだ?」
「このホットラインを残しておいてくれないか、海里さん。いずれ……必要になる時が来るかもしれない」
「いいだろう……こちらも最後に一つ聞いておきたい。宗像博士」
それは根本的な疑問だった。
海里と宗像は、ケイや、その父ニール博士によって間接的に交流があっただけの間柄だ。
暗殺事件があった後に、無条件で信頼されているのは、どうにも解せなかった。
「私がケイ殺害の首謀者である可能性は考えなかったのか?」
「それについては、俺の勘だな」
聞くと、宗像すこし砕けた言い方で答えた。
「勘だと?」
「いや俺の勘……ではないかもな。ヴァージョン・アップ紛争以後、ケイはこっちに帰ってきてはいたが、貴女と懇意にしていたのは知っている。いくら何でもカドクラ全部を疑ってかかるわけにはいかない……だから、ケイの人を見る目に賭けた」
「知っていたのか」
「一応は」
「そうか……」
「海里さん、俺が言うのもなんだが……ケイのこと、余り思い詰めるなよ?」
ケイの死で、もっとも悲しんでいるのは、夫である宗像だろう。
だが、もっとも怒りに駆られたのは、海里であったのかもしれない。
「……カドクラを、少し整理する必要はあるだろうな」




