21 追憶:Reminiscnt
失った右手首が痛んだ。
いや、痛む気がするだけだ。
外套に隠した斬り落とされた手首からは、一滴の血も流れない。
昨日の夜に“流星”を見たのが、遠い過去の出来事のようだった。
何かから逃げるように、山中を走る。体が機械だと意識した時から、地を蹴る足はいつもより力強い。
動きは俊敏で、精密。
体の感覚は今でも変わらず、自分の身体だと意識できている。しかし、今まで生身のフリをしていた身体が、正体を現したかのようだった。
「クソ……」
木々を蹴って森を飛んでいると、放った【探針】が下生えの茂みの中に迷彩を被った人影を複数探知。
向けられた銃口をトレース。
躊躇なくフルオートで発射されるライフル弾を、咲耶は左手に持った六尺棒を回転させて全て弾き飛ばしていく。
以前見た朝比奈の【上泉】を真似て、咲耶が作った自動防御アプリだが巧く機能していた。
「カドクラの装備でオレを狙ってくる……スリーパーズか」
足止めを食っている時間はない。
だが、何のために突破するのか? 何のために進むのか? この先にある“流星”に答えはあるのか?
――このまま撃たれて死ねば、余計なことを考えなくても済むな。
そんなことを考えてみたが、意に反して【此花咲耶】が顕れ、その枝葉を伸ばし、瞬く間に襲撃者たちを雪花に封じ込めた。
スリーパーズの蜘蛛に操られた、哀れなカドクラの兵隊を手際よく葬りながら、咲耶は自分を繋ぎとめるために、ニュートウキョウでの記憶を手繰る。
*
鹿賀の名は、地上に降りる際に鹿神という父の知人に世話になり、その時に一字貰い、自ら名付けた。
宗像の名は、何かと都合が悪いという話だった。
鹿神の薦めで、アルテミス・ワークスへ入社すると、そこからは企業工作員として忙しく飛び回る日々だった。
敵対企業から機密を盗み出し、人質に取られた要人を救出し、時には暗殺の任務もあった。危険も多かったが今の状況から振り返れば、至って平和で一般的な企業工作員としての生活だった。
昼夜の区別はないものの、起きて仕事に出、帰っては次の仕事に備える。慣れてきた頃には天体観測をするような趣味も出来た。
平凡な暮らし。
それが咲耶の望んでいたもので、手に入れられた気がしていた。
更に記憶を辿れば、仕事で名も売れてきた頃の、ある出会いが浮かび上がってきた。
その日、カドクラ傘下の企業による、新連邦国関係工場への強行制圧作戦が実施された。
先に捕縛されたニュートウキョウを狙うテロリストへの尋問により、その工場には以前から懸念されていた武装組織への武器供与疑惑が確定的となっていた。
大っぴらなことを言ってしまえば、新連邦国の下部組織が、テロリスト系の荒事請負に武器を渡して暴れさせ、自分達は知らんぷり、という類の工作だ。
実行部隊であるテロリスト系荒事請負を捕らえた時点で手打ちにする筋もあったが、どうもその時ややこしいことに、カドクラ側の重役に一人死傷者が出たらしい。
企業の世界は一度舐められたら始末が悪い。それが露見すれば他企業から集られ、挙句の果てには有象無象の活動家の食い物にされる。
結果、落とし前を付ける必要性に迫られたカドクラは、詰め腹を切らせるのに丁度よい武器工場を見つけ、これを締め上げることにした。
ガラの悪い作戦が立案されるまでにいたる、事の顛末はそんなところだった。
企業工作員が駆り出される作戦は、十中八九、こう言う類だ。
三大経済圏と産業複合体は、領域支配戦闘機《A.S.F.》による限定戦争を止め、表向きは平和に、闘争の場を経済市場上に移した。そういう事になっている。
もう戦争は起こらない。
だがそれで“めでたしめでたし”となるほど、世界は呆けてはいなかった。
平和主義者が言うように「起こさない努力をする」までもなく、各々の勢力が自らの“体制の保存”を大前提とした結果、戦争などという手間ばかり掛かる方法は先進国や上位企業に限れば、まったく適さなくなっただけのことだ。
仮に一方的な戦争を仕掛けられるのであれば今でも、世界に存在するすべての勢力、組織、そして個人であってさえ、征服を目指すだろう。
そういう英雄も、時代のところどころに幾人かは顕れた。
だが現実には特定の界隈にあっても完全な征服まで辿り着けず、未だ世界征服という愉快な世界平和を完遂した大英雄は顕れてはいない。
経済圏や産業複合体とういう巨大な組織構造であってさえ拮抗する組織がうまれ、不毛な|パイ生地を奪い合う構図を続けている。
一方で組織や体制に発生した“自己保存意識”によって、社会組織自体の闘争本能はより過激になっていった。
巨大な産業複合体が支配する現在においても、法整備はクロームとネットワークの進化の速度に着いていけては居らず、粒子センサ・ネットワークが支配的な界隈で企業間の抗争などは日常茶飯事だ。
こうなればもう、どこの国も組織も企業も看板に泥を塗った輩の首は跳ねなくては済まない、メンツがモノを云う世界の出来上がり。
この状況を「組織という構造体が晴れて、自己顕示欲という自我に目覚めた」と皮肉る者さえいた。
その日の咲耶の仕事もそんな、どっちがテロリストだか分かりゃしないような、いつものよくある企業工作員のお仕事だった。
作戦としては、ただのケジメであったので、カドクラ本社の部隊などは配置されず、仕切りはカドクラ系列会社、件のカドクラ系の重役が死亡した際の警備を担当していたニシカミ商事。
アルテミス・ワークスから魔術師兼情報屋として咲耶が出向し、兵隊の頭数合わせに荒事請負のトバ組から魔術師一人を含む、戦闘屋チームが雇われていた。
咲耶の感想は、場当たりの現場。酷い継ぎ接ぎの部隊。
カドクラの重役が死んだのは、そのセキュリティの一部を担当していたニシカミ商事の失策なので、カドクラ本社側からの支援はなく、咲耶はどちらかと言えばニシカミ商事の査定が主目的で、単なるお目付け役。
作戦のミーティングはニシカミ商事の会議室で行われた。
ニシカミは典型的な前時代的企業で、見た目には金のかかった洒落たインテリアを備えた会議室だが、肝心のセキリュティはガバガバ。情報屋すら配置していないような有様だった。
社員である企業工作員個人が能力を駆使して辛うじて生き残ってきたのであろうが、組織的バックアップ意識は皆無なようで、今まで生き残って居るのが不思議なぐらいだ。
――カドクラはココを解体するつもりで今回の作戦を組んだのでは……
この時点で咲耶は、ニシカミ商事の査定に、さっさとバツを付けて帰りたい気分になっていた。
銃と粒子制御デバイスや、サイバーウェアを身に着けただけの、名ばかりの工作員たち。
咲耶の援護なしでは、敵対組織に攻性のセンサ・ネットの使い手――魔術師が居れば一発でお陀仏だ。
だがミーティングを聞く限り、咲耶は後方待機。
咲耶に何かあれば、カドクラの心象が更に悪くなるとでも思っているのかもしれない。
辛うじて評価出来るのは、ニシカミ商事が雇っている外部の荒事請負に魔術師が居る事だった。
「えっと……トバ組……トバ……?」
その名には聞き覚えがあった。
トバ・スクリームフィスト。
二十年前、左手の甲に刻んだバンシィのタトゥにちなんで“嘆きの拳”の愛称で名を馳せた伝説的情報屋。
晩年、領域支配戦闘機《A.S.F.》にハッキングを仕掛け、行方知れずなったという。
伝説の最後ではハッキングに成功したとされているが、その成否は定かではなく、センサ・ネットの深層領域を漁ってさえも以後の消息は一切不明という人物だ。
その彼の伝説はネット・ミームになり、今日も情報屋たちは実行不可能なハッキングを、冗談めかして「領域支配戦闘機《A.S.F.》に仕掛ける」と言った。
「あの……トバ・スクリームフィスト?」
「――そいつぁ、初代組長だよ。ウチの」
ミーティングが終わり、咲耶が資料を片手に記憶を辿っていると、その名を聞きつけたのか、金髪にサングラス、柄物のネクタイに黒いスーツを決めた、いかにも荒事請負といった風情の男が話しかけてきた。




