13 情報屋:Transistor
二時間後。
暇を持て余した朝比奈とマキシは、屋上の縁台に置いてあった日本伝統のボードゲーム・将棋を指していた。
「王手」
「なン……だと……待った、待っただ!」
「朝比奈さん、こういうアナログ・ゲームはルールを守らないと」
「それにしたってだな、お前さん、本当に将棋を指すのは初めてなンか?」
朝比奈の棋力も大したことは無いが、指すのは初めてというマキシに、すでに二度負けているのは納得がいかない。
「将棋――より正確には本将棋。二人零和有限確定完全情報ゲームの一種。駒の動きを覚えれば、ルールは至って簡潔。それに、この手のゲームは……」
「二人……ゼロ話……確……なんだって?」
「二人零和有限確定完全情報ゲーム。センサ・ネットによると、将棋のような千日手の存在するものは、厳密には有限にはあたらないそうだけど」
「なんのこっちゃ、わからン……」
早口言葉のようなことを、綺麗な活舌で言うマキシに頭痛がしてきたところで、そこに丁度良く、弁天が屋上に現れた。
「助かった」
「え、なに?」
きょとんとするが弁天をさておき、朝比奈は話を進める。
「で、陣笠の旦那は掴まったか?」
「それが咲耶くん、朝方、仲介屋のハイカラさんのところに、仕事の依頼を出していたみたい」
そう言いながら、朝比奈とマキシが腰かけている縁台の近くまでくると、屋上の手すりに持たれて煙管を吹かす。
見た目は漆塗りの古風な煙管だが、中身はセンサ・ネットを利用した電子タバコで、好みに合わせて調整された紫煙からは香水のような甘い香りが漂ってきた。
「陣笠の旦那が、仕事の依頼? いつもソロなのにか?」
「ええ、内容も戦闘屋の募集だったから、貴方の名前でお酒に誘っておいたけど……今も応答はないわね。入れ違いで出社したみたい」
「出社前に捕まえられりゃ良かったが……」
「一般企業のサブネットなら突破してもいいけど……咲耶くんの勤めてる会社って、アルテミス・ワークスよね? カドクラ直系企業のオフィス・ビルはあたしでも、おいそれとはね……」
紫煙を吐きながら弁天がそう言うと、急にマキシが立ち上がって詰め寄った。
その勢いに、朝比奈は思わず長光剣に手が伸びるが、さすがに銀の腕で弁天に掴みかかるのはマズいと思ったのか、立ち上がって一歩進んだところで止まって口を開いた。
「アルテミス……アルテミス・ワークスって言った? 今」
「え、ええ。咲耶くんの会社は、アルテミス・ワークスだけど?」
勢いに押されて、すこし仰け反った弁天が答える。
「門倉海里……?」
「なんだ? 知り合いでも居ンのか?」
「何言ってるの薫、門倉海里はアルテミス・ワークスの社長。カドクラ三姉妹の次女よ」
「カドクラのトップじゃねえか」
カドクラ三姉妹は、百歳を超えるカドクラの創始者にして現会長、門倉忠勝の息子、現カドクラCEO・門倉宗一郎の三人の娘で、三人がそれぞれ代表取締役の地位と派閥を持ち、次期カドクラ王の座を争っている。
門倉は現在、この日本を牛耳っていると言っても過言ではない一族だ。
国としての日本は皇室も政体も維持したまま依然として存在しているが、他国同様、その実権は産業複合体にあり、この国も例に漏れない。
旧電子世界が粒子センサ・ネットワーク網に覆われて破壊された時、三大経済圏は互いを敵に定めて戦争を始めたが、警戒すべきはその時、粒子センサ・ネットワーク網を牛耳っていた産業複合体だった。
粒子センサ・ネットワーク敷設から四半世紀続いた領域支配戦闘機《A.S.F.》による限定戦争は、核戦争抑止の意味しか持たなかった停戦条約の改定によって収束したが、その頃にはすでに、産業複合体が世界の主導権を握っていた。
門倉海里はそんな産業複合体が支配する世界のお姫さまというわけだ。
たしか四十代後半で、お姫様というには歳がいってはいるが。
そんなことを朝比奈が気楽に考えていると、マキシが随分と深刻な顔で考え込んでいるのが見えた。
「そうか……この計画、裏で糸を引いていたのは……」
「どうしたンだ?」
「なんでも……いえ、弁天さんは情報屋?」
「そうよ?」
「なら、アルテミス・ワークスのサブネットを突破してほしい」
「え、ちょっと」
弁天に詰め寄りかけたマキシの喉元に、朝比奈が静かに長光剣の柄を当てた。
「まあ落ち着けよ、サイボーグの嬢ちゃん。なにを急にそんなに慌ててンだ?」
それを見て振り返ったマキシは、その場で多関節ブレードを抜きかねない形相だったが、朝比奈のサングラスとたっぷり十秒は睨み合い、気を落ち着けたようだった。
「すー、はー……門倉海里はマズいのよ……」
「まあ、直接相手をするのがマズい大物なのは分かるが、それがなンだ?」
「海里が咲耶を手元に置いているなら……“流星”と接触させるのは絶対にマズいの」
店に来た時の狂暴そのものだった金と緑の異眼は、打って変わって不安の色が見て取れた。
死線を潜り抜けてきた叩き上げの違法請負人のような気配は薄れて、その陰に、今は小柄な女学生のような姿相応の弱さが見えた。
――なんなンだろうね、こいつは。
朝比奈から見たマキシの印象は、老獪な狂人だ。
剣林弾雨に飛び込み潜り抜けたギャング、向けられた銃口に額を押し付けてのし上がったヤクザ。政治と金の世界で血風呂に浸かるマフィア。
なぜ今日まで生きているのか分からない狂人たちが居る。
それは分かる。この界隈には“稀に良く居る”のだ。そういう連中は。
だが一方で、マキシには妙な、子供のような無邪気さがあった。
「話が見えンのだが……」
「……あの“流星”は新型の縮退粒子演算器なの」
「縮退粒子演算器って……領域支配戦闘機《A.S.F.》の?」
「それと、陣笠の旦那と、何の関係が?」
「とにかく“流星”と“咲耶”が接触するのはマズいのよ。弁天さん、お金なら幾らでも払う。アルテミス・ワークスのサブネットを突破して、咲耶を探して」
喉元に長光剣の柄を突き付けられたまま、マキシは弁天に詰め寄った。
「出来るのか?」
「カドクラ直系企業のサブネットよ? それなりの機材と人手が要るわ」
「そんな時間はない……私の粒子制御デバイスを中継にすれば、いけるはず」
「中継って……薫?」
「こいつの粒子制御デバイスの出力は、少なく見積もってもベヒモス級だ。やってやれンことはないと思うが……」
「本当に?」
「急いでほしい……お願い、します」
そう言ってマキシはフードを取り、その首の粒子端末デバイス――そのスロットをあっさりと差し出す。
まるで首を落としてくれと言わんばかりに、無防備で無垢な、陶磁のような滑らかなうなじが現れて、朝比奈はギョッとした。
思わず息を呑む。
人工物とは思えない、美しさだった。
「薫」
思わず不遜な目で見ていたのがバレたのか、鋭く名を呼ばれて、朝比奈は長光剣を引き、一歩後へ下がる。
弁天は着物の袖でマキシのうなじを隠すと、彼女を抱き寄せた。
「まったくまったく、そんな健気な姿を魅せられたら、これはこの弁天姐さんも、ひとつ、イイところを魅せないとイケないじゃないか」
嬉しそうにそう言って、艶めかしく簪を抜く様な仕草で、首の粒子制御デバイスから有線接続ケーブルを引き出す。
どうも、マキシの覚悟の良さが、弁天の“イイところ”を押してしまったらしい。
「覚悟はいいわね?」
「いつでも――……え?」
弁天はマキシの答えを聞くまえに、その桜色をした唇に熱い口づけをする。そして、うなじを撫で上げるように手を動かし、愛おしそうに彼女の首に有線接続ケーブルを差し込んだ。
「――~~~~ッ!」
マキシの身体がビクンと仰け反った理由がどちらかは分からないが、朝比奈は申し訳なくなって、視線を明後日に流した。
「……それじゃあ弁天姐さん、俺は足を用意させてくる……あー、なんだ、サイボーグの嬢ちゃん……事が済んだら呼んでくれ」
朝比奈に助けを求めるように、マキシの銀の手が伸びるが、その手を丹念に恋人繋ぎされるのを見て、朝比奈は合掌。忍びないので、そのまま屋上を出た。
事の成り行きを眺めるでも良かったが、少々背徳が過ぎるし、ああいう“事”に男が関わろうとすれば命はない、というのが偉い先人の教えだ。




