10 此花咲耶:Flower Drift
エア・ビークルは要人仕様で、何も無防備なまま空を飛んでいるわけではない。当然のテロ対策として、追跡阻害や視覚阻害系のAIアプリを常駐展開している。
しかし長巻部長に埋め込まれたサイバーウェアから、誘導ビーコンが発せられたせいで、地上の部隊からロックオンされた状態だった。
「長巻を投げ捨てろ!」
「いや長巻部長、生きてますって」
「社長の命が優先だ!」
いかにも軍人らしい。まあ地上から携行ミサイルが迫っているのだ、言っていることは間違っていない。
軍人であれば指揮系統の保護は優先すべきだし、兵隊の長巻を助けようとして要人もろとも全滅など目も当てられない。
裏切ったにせよ敵に操られたにせよ、その落ち度は長巻に有ろうと無かろうと、組織の維持が優先される。それが軍人の思考。
ヴァレリィが冷血なのではなく、そういう風に練り上げられたシステムだ。
そして咲耶としても、彼を掴むこの手を放しても痛む心はない。さほどは。
咲耶が掴んでいる、宙づりの長巻。パイロットを取り押さえているヴァレリィ。そして、シートに座したままの海里。
駄目で元々でミサイル誘導ビーコンに【冬寂雪花】を仕掛けてみたが、蜘蛛のデーモンが防壁《ICE》を張って阻んだ。
そもそも、この誘導ビーコンを破壊したところで、ミサイルにスマート・システムでも積んであれば、軌道予測されて数発は被弾する。
「この男を捨てれば、まだ回避出来るかも知れない。迷っている暇はないぞ」
迷いをあざ笑うように、骨と氷の蜘蛛が甘言を囁く。
その言い草が、妙に咲耶の神経に障った。
俗っぽい言い方をすれば、ピキる、というやつだ。
「……社長、失礼しますよ」
咲耶は勢いよく長巻の身体を引き上げ、エア・ビークル機内に投げ入れた。
「鹿賀、貴様何を」
慌てるヴァレリィをよそに、咲耶はそのまま開いた扉の縁を掴んで半身を外に乗り出す。
眼下には郊外の街並みと、御岳の森が広がっていた。
低い山の峰から、ザっと九発の携行ミサイルの噴煙が迫っている。
最近の燃料と炸薬は良くできている。携行ミサイルの運動エネルギーでも、直撃すればエア・ビークルの装甲を貫通するだろう。
そんなことを考えていると、ニュートウキョウ内郭二十三区の無数のビルの隙間を抜けて、陽光が眼に差した。
極彩色のデジタルネオンと立体映像に彩られたバビロン。
宇宙から見た時は、星の瞬く理想郷に見えた。
咲耶が故郷を捨て、やってきた新世界。だがまあ結局、なんてことはない、すこしばかり騒がしい灰色をしたコンクリートの街だ。
――まったく、まだ昼にもなっていないのに、ミサイルに尻を追い立てられている。
難儀なことだが仕事は仕事だ。
「ヴァレリィさん、アンタは軍人かもしれないが、こっちゃ会社員なんだ」
「だからなんだ!」
「社員を大事にしない会社ってのは、老い先短いんだよ。知らないのか?」
そう言って咲耶は、社長である海里を見た。
「かまわんよ。やれるのだろう? 超級魔術師」
海里はそう言って不敵に笑う。どうやら社長は、咲耶がなぜ超級魔術師と呼ばれているのかも、ご存じなようだった。
「……手当は弾んでくださいよ。こちとらサラリーマンなんで」
ミサイル誘導ビーコンの警告音は、すでにエイト・ビートを刻んでいた。
戦地を潜り抜けてきたヴァレリィでも肝が冷えるのだろう。いや、むしろ銃弾を潜ってきたからこそかもしれない。
現実とネット、二つの世界を行き来する咲耶は危機感が根本的なところで鈍い。
――魔術師の欠点だな。
そんなことを一人想いながら、随分とスローに流れる時間の中で、咲耶は自分の身体の、その奥底に眠る“それ”を呼び出した。
カタカタという、古めかしいコンソールを叩く音がする。
最初はただの演算術式。それが火種。
だが“それ”は咲耶の意思や記憶と結びつくと、センサ・ネットの高温プラズマ化した粒子から、一つ目の黄金の骨を現実に具現化する。
骨は、熱をもって周辺のセンサ・ネットから粒子と情報を喰い漁り、急激に成長を始めた。
次々と新しい骨が生まれ、チキチキと組み合わさっていく。
「センサ・ネットが、具現化している……?」
呻くようにヴァレリィが言う。
具現化現象。それは本来、領域支配戦闘機《A.S.F.》だけが持つ能力。
咲耶の粒子制御デバイスから熱を帯びる黄金の脊椎が伸びる。
それはセンサ・ネットが映し出す立体映像よりも鮮やかで硬く鋭く、現実空間に存在していた。
脊椎から、肋骨が組み上がり、胸骨がひと際赤熱している。その上に山羊の髑髏が組み上がると、今度は空気がパキパキと音を立てて凍結し始めた。
骸骨に肉を付けるように、氷の――防壁《ICE》が施されていく。
「それも【冬寂雪花】か?」
海里が咲耶の背に生えた、骸骨の胸像を見て言った。それは今や氷の皮膚を纏って、女性の身体をした山羊の悪魔のようなシルエットを創り出している。
「あれは、この“デーモン”の出力を利用できるように作ったAIアプリです。あの力の出元は、コイツですよ」
「コイツ……?」
『アアアアアアアアアアアッ!』
咲耶が背を指さすと、それに応えるように、センサ・ネットの粒子が作り出した黄金の骨格と氷の皮膚を持つ山羊の悪魔の胸像は、歌唱とも叫びとも悲鳴ともつかない甲高い声を上げた。
声と同時にその腕や背から、無数の木の枝のような細い骨格が、爆発的に伸びる。
「名は【此花咲耶】」
黄金の枝は枝分かれし、所々に氷の花を咲かせながら、ミサイル群へと迫った。
ミサイルに施された防壁《ICE》が反応。
しかし、黄金の枝はその防壁を容易く貫く。
刺し貫いた瞬間【冬寂雪花】が咲き、花は、運動エネルギーを無視するかのようにミサイルを空中に釘付けにした。
エア・ビークルから伸びた黄金の枝。その先の九つのミサイルに、氷の花が九つ咲き、日を浴びて輝いている。
ニュートウキョウの郊外上空に、時が静止したような、氷の花が満開に咲く光景が広がった。
瞬きの後、空中に凍結固定された弾頭部に後部の推力がすべて集中し、圧壊。
九つの氷の花が、爆ぜ散る炎へと姿を変えた。
「一瞬で、九つの防壁《ICE》を突破した?」
「そのようね……デーモンAI、出力は報告以上か。なかなか、いいデモンストレーションだったわ、超級魔術師」
驚くヴァレリィをよそに、海里は小さく拍手をして咲耶を賞賛する。新製品のプレゼンを聞き、感想を述べているかのような態度だった。
「その超級魔術師っての、止めてもらえないですかね? むず痒くて」
「あらそう? では、鹿賀くんと呼びましょうか」
「それでお願いします……あ、そういえば――」
ミサイル九発を瞬時に制圧してみせた直後にしては、いささか間の抜けた声を出して、咲耶は振り返った。
その視線の先には長巻、の首に張り付いている、骨と氷の蜘蛛。
「【此花咲耶】ね。良い名だ」
視線を受けて、蜘蛛が囁いた。
「この蜘蛛、先に“割って”おけばよかったな」
「デーモンの存在を隠して置きたかったのなら意味がない。なぜワタシが海里ではなく、オマエを狙ったと思っている」
「分かってるよ。アンタのそれもデーモンAIだろ?」
「ああ。オマエのその、随分と歪な形をしたデーモンよりはスマートだろう?」
「やかましい」
咲耶が言い捨てると、【此花咲耶】が黄金の枝を速く鋭く、飛ぶように伸ばす。
四本の鋭い枝が蜘蛛を襲う。
一撃目で蜘蛛は表皮の氷を撒き散らしながら跳ね飛び、浮き上がったそれを左右から捕まえるように、串刺し。
四本目がその正中に撃ち込まれると、バキンッ――と、金属がへし折れるような重く鋭い音がして、骨と氷の蜘蛛はセンサ・ネットのノイズへと還った。
「倒したのか?」
「本体を狙って【防壁破り】に【追跡爆弾】を仕込んで見ましたけど、駄目っぽいですね。解除されたか、追跡出来なかったか……」
「ということは、敵はまだ森の中に最低でも九人か」
「あの蜘蛛、出会い頭には洗脳出来ないと考えても、この機のパイロットや長巻部長に憑りついてるんです。地上のカドクラの部隊内にも、仕掛けられてるヤツが居ますよ」
「厄介な相手だな……」
「まあ、この任務は、オレが縮退粒子演算器に辿り着ければいいんでしょう? このまま、前哨基地で降ろしてくれれば――」
――後はオレが。
咲耶がそう言いかけた時、地上から日の光も眩むほどの蒼い閃光が奔り、一瞬遅れて、エア・ビークルの前部が爆発する。
「今度はなんだ!?」
「コックピットをやられました」
咲耶はウンザリして答えた。
コックピットのオート・クルーズAIから制御を奪おうとしたが、今の攻撃でエア・ビークルのメイン・フレームが半壊していて、即座に墜落するのを防ぐので精いっぱいだ。
「今の光は?」
「おそらく電離溶断光刃。エア・ビークルの防壁《ICE》、物理装甲諸共、コックピットのハードをぶち抜かれました」
「どうなる?」
海里が、表情一つ変えずに聞く。
「そりゃまあ、お約束ですけど……墜ちますね」
揚力と推進力を失い始めたのか、エア・ビークルがグラリと傾いた。




