《前編》一日目
馬車から降り立つと二、三歩離れ、あたりを見回した。鬱蒼とした森。生ぬるい風が頬をなでる。生き物の気配が全くない。
背後で扉が閉まる音がして、馬車は挨拶もなく走り出した。去っていくその姿を見送る。
ここは魔の森。その名の通りに人を襲い殺す魔物が跋扈している。
そんな処に私はたった今、棄てられた。
ふう、とため息をついて空を見上げる。まだ少し、混乱している。私はほんの数刻前まで、通っている学園の卒業パーティーに出席していた。今もまだドレス姿だ。そんな格好なのに、両手に枷が嵌められている。
私、イレネはメレンデス公爵家の長女で同い年の王太子の婚約者……だった。ついさっきまで。
パーティーの最中、突然王太子は私の犯した罪とやらを列挙し始めた。彼の傍らには調査の功労者として同い年の義理の妹が寄り添い、その背後では義理の両親がガマガエルのような顔で笑っていた。
すぐに、謀られたのだと悟った。
義理の両親は、実際は叔父夫妻だ。母は遥か昔に他界。二年前に当主だった私の父が亡くなり、本来ならば私が爵位を継ぐはずだった。だけれど私は既に王太子の婚約者に決まっていたので、叔父がメレンデス家に戻り公爵となった。
彼らはその棚ぼただけでは満足できなかったのだろう。将来の王妃の座を自分たちの娘にと考えたに違いない。
王太子は騙されているのか、共犯なのかは分からないけれど、どちらにしろロクデナシであることは決定だ。
好きだったのに。
最後に王太子は私を重罪人と断罪し、魔の森追放の刑を言い渡した。
私は反論する時間も与えられず、魔法を封じるための枷を両手にはめられ、小枝も取り上げられ、着の身着のままで護送車に乗せられた。
さて。ここでひとつ、重要なことがある。追放刑を突きつけられた瞬間に、
頭の中で何かが爆発して、怒濤のように情報が溢れだした。幸い馬車の中でそれらについてじっくり考える時間があった。監視役の騎士は、私が恐怖で呆然としていると思っていたようだけどね。
だけどおかげで今はもう、理解できている。
私の中に溢れたのは、前世の記憶。つまりはよくある異世界転生というやつだ。ただこの世界は私の知っているゲームや本の世界ではないと思う。だけど異世界転生モノは大好きだったから、たくさん読んでいた。
そこから導きだされるのは。
ま、心配なくない?ということ。
こういう時はたいてい、二パターン。私が異常に高いスキルの持ち主か、そんな持ち主のヒーローに助けられるか。
前者は確実にない。魔法レベルは平均より高いけれど、チートってほどじゃない。ならば、ヒーローだ。できたらイケメン騎士とかイケメン魔術師とかイケメン盗賊がいいな。ふふふ。あざとい義妹に騙されるようなアホ王子はもういらない。こっちからみかぎってやる。来い、イケメンヒーロー!
バサリ、と音がした。生い茂る木々の間、空をバックに怪鳥の姿が見える。
アレはこちらに来るだろうか。まだヒーローが来ていないのだけど。いや、美少女危機一髪!というタイミングまで出て来ないかな。それは困るのだけど……
怪鳥が足に何かを掴んでいる。遠くてよく見えないが、叫びながらバタバタもがいている。
「っ!!」
何かが暴れすぎたのか、怪鳥の足から落ちた。うわぁっ、という悲鳴。人なの!?
「やだっ、どうしっ、どこっ!!」
慌てて手枷を外して、胸元を漁る。焦りすぎて見つからない。端から見たら、自分の乳を揉んでいる痴女だ。今はイケメン、来ないで。
「あった!」
指先に感触が当たる。さっとその小枝を取り出し詠唱をすると、風が巻き上がった。
すんでのところで落下してきたひとを受け止め緩衝する。
それからそのひとをそっと地面におろした。
身長は140センチくらい。子供だろうか。そんなことよりも。
こちらを見上げる金色の目に黒い瞳。
突き出た鼻筋。黒く濡れた鼻。
ピンと立った大きな耳。
そしてもふもふ。もふもふ。
「もしや隣国の獣人さん?」
「そういう君は隣国の人間さん?」
お互いをマジマジと見合う。
と、翳った。
見上げると、怪鳥がゆっくり旋回しながら降下している。この子を探しているのだ。
「とりあえずガマンして!」
獣人くん(多分、服装的に男の子だ)を抱きしめた。
「なっ、何を!」
「ガマンだってば!これなら見つからないと思うの。魔物から気配を消せる護符を身につけているのよ、私」
怪鳥が彼を見つけられずに旋回しているのは、護符の加護が私だけでなく周囲にも及んでいるからではないかと思う。それならくっついていれば、やり過ごせるのではないだろうか。
しばらくの間、そうやってじっとしていると、怪鳥は諦めたようで去っていった。他の魔物が現れる様子もないから、護符の威力は絶大なのだろう。
ほっと息をつく。
「お互い質問したいことはたくさんあると思うの。でも時間を無駄にしたくない。あなたの国に向かうのでいいかしら?私は国には戻れないの」
「……それはいいが、離してもらえないかな」
腕の中で獣人くんが言う。
「じゃあ、腕を組んで歩きましょう。私はイレネ」
「俺はボリス」
「よろしくね」
「よろしく。遅くなったが、助けてくれてありがとう。俺は魔法が全く使えない」
どうやらパターン1でも2でもないようだ。ハードモードらしい。
「安堵しているところを申し訳ないけれど、早速、残念なお知らせよ。この護符は効果が1日だけなの」
断罪劇が急なことだったので、これしか用意出来なかったと聞いた。
「……1日ではこの森は抜けられないぞ」
「そうなの。明日からは魔法と剣で戦うしかないわね」
「剣?どこに持っている?」
「スカートの中の中」
「っ!なんだっそれは」
「説明するから、歩きましょう」
「方向は分かるのか」
「ええ。太陽の沈む方に進めと教えてもらったから」
にこりと笑みをボリスに向け、腕を組み寄り添うと私たちは歩き始めた。
◇◇
家族が腹黒、王太子がロクデナシであっても、あの断罪劇を不審に思ってくれる人もいた。それが馬車に同乗していた監視役だった。
彼は二人きりの車内で新しい小枝や護符をくれた他、魔の森を生きて抜けるために必要そうなものを詰めた袋を魔法で小さくしてスカートの中に隠してくれた。手枷も魔法を封じるものでない、ただの枷に変えてくれた。
そして生きて国に帰るわけにはいかない私に、国交がほぼない獣人の国へ行くことを勧めた。
国交がないのは両国間にある魔の森が大きな要因ではあるのだけど、過去の遺恨も影響している。昔々に我が国の王女が獣人の王子にむかって
『獣臭いから、離れて』
と悪態をついたらしいのだ。それ以降、両国間は交流をもたなくなった。戦争にならなかっただけマシだけど、お互いに良識があったわけではなくて、魔物討伐だけで精一杯で両国に出兵する余裕がなかっただけではないかなと思っている。
本日私の身に起こった全てを語り終えるとボリスは
「酷い話だ!」と憤った。
「そんな訳で、私はあなたの国に逃れるしかないのだけど、どう思う?人間を受け入れてくれるかしら」
「問題ない。君は俺の命の恩人だ。大歓迎だよ」
「よかった。強制送還なんてされたら、即・死よ。それで、あなたは何があったの?」
ボリスの方は、特に語るほどのことはないそうだ。仲間と旅をしていたのだけど、魔の森近くで怪鳥にさらわれた。きっとヒナのエサにでもするつもりだったのだろう。
「仲間と合流できたら王都に連れて行ってやる。事情を話せば、国で暮らせるよう便宜を図ってくれるさ」
「だといいわ」
そう答えたのと同時にお腹が鳴った。
「聞かなかったことにして!」
「それは構わないけど、食べ物を探さないとだな」
「ちょっと向こうを向いて」
ボリスが顔を反らしたのを確認すると、スカートをたくしあげた。中にピンで小袋が固定してある。監視役が馭者に見つかるとまずいからと言って、ここに隠したのだ。
それを取り出す。
「もういいわよ」
袋を元のサイズに戻して中を見る。とりあえず、まずは剣だ。出してボリスに預ける。次に毛布。いや、膝掛けかな。サイズが小さい。それも預ける。あとは水筒がひとつとパンが4つ。リンゴが3個。監視役は、急いで用意したから足りないかもと話していた。
パンをひとつと水筒を手にする。
「ディナーにしましょう」
私たちは木の下にぴったり体をくっつけて座ると、パンを半分に分けてゆっくり味わって食べた。
辺りは急速に暗くなっていく。日没だ。今日はもう動かないほうがいいだろう。
「すまん」とボリス。「貴重な食料を分けてもらって」
「あなたがいてくれて助かっているわ。さすがにひとりは怖いもの」
いくら護符があるからとはいえ、怖いものは怖い。魔物も、森も、夜も。
「落ちてきてくれてありがとう」
「なるほど。いいタイミングでさらわれたのか」
「そうよ。怪鳥に感謝するわ」
話す相手がいること、他人のぬくもりを感じられること。そのことにとてつもない安心を感じる。
「疲れたわ。眠っていいかしら」
「ああ、休もう」
「抱き合って眠りましょう。私から離れたら危険だから」
ボリスがむにゃむにゃ文句を言っているようだけれど、無視をして彼を抱きしめる。温かい。
「ついでにもふもふしてもいい?」
「セクハラ!」
「そうなの?残念だわ」
だんだんと瞼が重くなってくる。
「ボリスって何歳?話し方が、ちょっとばかり子供らしくないわよね。私は18歳」
「……いくつに見える」
「12歳くらい?」
ふふっと笑う声がする。どうやら違うらしい。獣人事情を知らないから、人間とは成長度合いが異なるのかも。こう見えて5歳とか。口調は幼児じゃないけど、獣人の国はみんなそうなのかもしれないしな。
「また明日。ゆっくり寝たほうがいい」
ボリスの声が耳に囁く。頭を優しく撫でられている。
思っていたのとは違うけれど、心はイケメンなひとに出会えた。きっとこのままハッピーエンドになるだろう。
うつらうつらとしながら、そんなことが思い浮かんだ。