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ギリシャ神話物語  短編集  作者: 緑エレニ
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黄金の雨






「アルゴスは息子が継ぐだろう。ダナエの子、男の子が」

ただ神託は残酷だった。

「しかしそのダナエの息子は王を殺す。そして王となる」





その神託を聞いた王アクリシオスはまだ子を為すことも出来ない幼いダナエを青銅の塔に閉じ込めた。



「お父様、お父様!私が何をしたの?!お父様!」

「お母様!助けて!出して!お母様!」



ダナエは自分が入れられた後に塞がれた壁を3日間叩き続け、涙も声も枯らして泣いた。


4日目には何も変わらないことにあきらめて、高すぎて覗くことも出来ない窓からかろうじて見える青い空を見上げた。

それからようやくあたりを見回した。



塔の中にある部屋はどう見てもかなり贅沢な作りをしており、すべてのものがそろっていて、だからこそ決して外には出さないという王の決意を伺わせた。

そばにいるのは幼い頃より自分に仕えてくれた老婆ひとり、それだけだった。

贅沢な部屋、ひとりの召使い、手当てをした手のひら、そして届かない窓、その日からそれが彼女の世界のすべてになった。





それから何度目かの春を迎えたが彼女の生活は何も変わらなかった。

目覚めてから届かない窓から空だけを眺め、髪を梳いてもらい、髪を結い上げる。

変わったのはただその髪を梳く手指が年老いたことと、櫛梳かす髪が伸びたことと、届かなかった窓に少し近づいたことだけだった。


つやめいてうねるように波打つ髪を梳く指が止まり、ほう、とため息が背中から洩れた。

ダナエは薔薇色の頬の笑顔で首をかしげて振り返り、笑顔を見せた。


「なあに、ばあや。いまさらため息などついて?」


「お美しくおなりですわ、姫さま。本当に美しくおなりです。王もむごいことをなさる。このままあなたさまを枯れさせるおつもりかと、口惜しゅうてなりませぬ」


「お父さまは神託を恐れておいでなのです」


「きっと神さまの戯言に過ぎません。お可哀想に。お姫さま、お可哀想に」


彼女はそう言って今までも何度となく泣いていた。いつもと違うことは窓の外で人ならぬものがその声を聞いていたことだけだった。










ポツン、とダナエの指先が濡れた。


長らく忘れていた雨水が皮膚に当たる感覚に首をかしげ、手の届かぬ窓を見上げた。今まで雨が吹きこむことなどなかったので、不思議に思ったからだ。


ダナエが窓に近づいて見上げると、その空は明るく晴れているように見えた。晴れの日に雨など珍しいこともあるものねと手を頬に当て首をかしげると、次に額にと、また雨がポツンと当たった。

その雨は冷たくはなく、額の濡れた場所から暖かなものがじんわり広がっていった。その温みに顔を上向かせたまま、ダナエは思わず目を閉じるとまたその唇に雨粒が落ちてきた。ほんのり開いた唇の間に雨粒が垂れて口の中に流れ込んでくる。それはわずかに甘く香気に溢れており、雨はこのようなものだったかしらと遠い記憶を辿ったが、それは遠すぎて彼女は何も思いだせなかった。



きっと外に出られない外のものに触れられない憧れが自分の感覚を狂わせているのかも知れないと考えた。そんな唇にもう一度雨粒が触れ、そのとたん、ダナエの体中に熱が湧き上がる。

彼女はその感覚を知らなかった。何も知らぬままここに閉じ込められたのだから。

「熱い・・・」

そうつぶやいて彼女は誰も見るものはないのだからと、帯を解き、服をするりと脱ぎ落とし、髪を結い上げたピンをはずして頭を揺らし、長い髪がうねり落ちるままに任せた。


「お姫様?」

と、背中からばあやに聞かれたが

「雨が気持ちいいの、少しだけ許してね」

と振り返りもせずに答えて軽く自分を抱き締めた。






太陽の光りにきらめくような雨は黄金色に輝いており、最初のうちはポツリポツリと髪や肩や乳房や腕に躊躇いがちに落ちて肌に触れ、滑らかな肌を濡らし流れていった。その雨粒は冷たくも温かくもなく、ただ優しかった。やがて雨はしっとりと覆いかぶさるようにダナエの身体に優しく降り注いできた。際限なく、余すところなく、柔らかに触れるように。

それはなめらかで暖かな愛撫だった。穏やかな、でもしっかりと与えられる快感は男を知らぬ体にはじめての官能の歓びをもたらした。

ダナエは薔薇の花びら色の唇をかわいらしく開き、熱いため息を吐いた。顔に体に降り注ぐ雨粒は甘いキスのようで、どこもかしこも触れられないところはなく、髪の一本一本から足指の爪までも体中をその雨が包んで濡らしていた。




「あ・・・・」

穏やかに緩やかに雨はダナエに愛を注いだ。





ダナエはとうに気がついていた、それが自然な雨ではないということに。そして自分が子を孕んだことに気がついたとき、あの時感じた漠然とした疑問は確信に変わった。その頃には腹の中の子供は緩やかに動き、ダナエに自分の存在を知らしめていたが、だからといって我が子を愛しく想う気持ちには何も変わりはなかった。むしろなににもましてこの子を守ろうという想いは強くなるばかりだった。




たとえその決意が自分にとっても子にとっても苦難の始まりであったとしても。


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