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異世界日本連邦国  作者: F-3
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第1話 歴史

 



 1945年6月10日、大日本帝国はポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書に調印した。

 先に降伏したドイツとは違い日本はアメリカの単独占領となった。

 史実なら一時アメリカが統治した沖縄や小笠原諸島はそのまま日本の領土に組み込まれ、更に台湾や澎湖諸島、千島列島全島が日本の領土のままであった。

 しかし朝鮮や南洋諸島の委任統治領などは史実通りに放棄した。

 何故、台湾や千島列島が日本の領土のままであったかと言うと、ただ単に台湾や千島列島に駐留していた日本軍の防御が鉄壁過ぎて米ソ軍は全く落とせなかったのである。

 終戦時台湾には5個師団10万人の兵力、千島列島には1個師団2万の兵力がほぼ無傷で駐留していた。

 更に燃料不足により出撃出来なくなった戦艦や巡洋艦の対空機関砲などを大量に陸揚げし至る所に配置したのである。

 その為、航空機で空爆しても機関砲や日本の戦闘機に撃ち落とされ、更に戦闘機から流れても対空機関砲により撃ち落とさたのである。

 更にアメリカにはアメリカの事情があった。

 台湾と日本本土を分断する為に侵攻した沖縄戦、アメリカは想像以上の被害を出し()退()したのである。

 更に日本が降伏した後を考え日本を自国側の陣営に取り込みたかったのである。

 ソ連はただ単に千島列島を占領出来ず、東欧諸国の取り込みにより千島列島を諦めたのである。


 1950年6月25日に始まった朝鮮戦争によりそれまで進められてきた日本の軍備制限方針が180度変更された。

 新憲法に取り入れられる予定であった厳しい軍備制限が一転し、GHQの強い要望により日本国軍が1950年8月20日に新設されたのである。

 ここでもアメリカの要望があった、日本は史実以上に広い領土と海域を領有する。

 もし、日本が軍備放棄などしたらソ連に無防備な状態を占領されるかアメリカ軍が代わりに犠牲を払う必要があったのだ。

 その為、当初は陸海空軍で25万の案で憲法に防衛戦争以外の禁止と軍備制限を盛り込もうとしていた。

 しかし朝鮮戦争により兵力はGHQの再案がそのまま通り陸海空軍合わせて45万であり、当初の兵器は旧日本軍の兵器やアメリカ軍の兵器であった。

 そして1951年9月8日、日本とソ連や中華人民共和国を除く連合国の間でサンフランシスコ講和条約が締結され、日本は主権を回復した。

 1954年1月まで続いた朝鮮戦争は史実とは違い援軍の中国人民解放軍が来なかった為、国連軍の援護を受けた韓国軍が北朝鮮を併合した。

 韓国の大統領となった李承晩大統領はその後、1961年2月に李承晩ラインを設定したが、その中に竹島は入っていなかった。


 1956年4月、日本の敗戦以降戦争をしていたソ連などの東側諸国が支援する中華人民共和国とアメリカやイギリスなどの西側諸国の支援する中華民国の間で終戦協定が結ばれ中国大陸での内戦は終結した。

 中華人民共和国は華北と華南の一部で江蘇省までを領有しており、首都は北京である。

 一方の中華民国は華南の7割を領有しており、首都はイギリスより繰り上げて返還された香港である。

 中華民国がここまで戦えた理由は西側諸国による支援とアメリカの介入による腐敗の撲滅によるものだった。

 1958年5月、日本領台湾及び澎湖諸島で独立の賛否を問う住民投票が実施された。

 結果は8割以上の反対多数により台湾は引き続き日本領となる事が決まった。


 1961年10月、日本領沖縄で在日アメリカ空軍嘉手納基地から飛び立った戦闘機が住宅街に墜落し民間人12名が死亡、35名が重軽傷を負った。

 その後にも1963年8月に在日アメリカ海軍厚木基地より飛び立った輸送機が東京湾を航行中のイギリス船籍の石油タンカーに衝突し、輸送機の乗員及びタンカーの乗組員74名全員が死亡した。

 その際火災が発生したタンカーは事故から5日後、相模湾沖で日本国海軍とアメリカ海軍の駆逐艦により撃沈処理された。

 この事件により日本中で反米軍基地デモが活発化した。

 1965年4月日米両政府は日米安全保障条約の格下げ、事実上の破棄を決定した。

 これにより日本国内に駐留していたアメリカ軍4万5000は1972年までに順次撤退し、空いた基地には日本国軍が入る事となった。


 1970年8月、日本国北海道の山林にソ連からの巡航ミサイル1発が着弾、被害は無かったものの日露間で緊張が高まった。

 直ぐにソ連は誤射だったと日本に謝罪、一時高まった緊張はソ連の大統領の来日と、日ソ平和条約の締結により落ち着きを見せた。

 日ソ平和条約の締結によりソ連は千島列島の領有権を取り下げ、日本は南樺太のソ連領有を認め、日ソ間の国境線が 確定した。

 1975年5月、ドイツでベルリンの壁が崩壊し、中華人民共和国と中華民国、大韓民国で民主化運動が発生した。

 中華人民共和国と大韓民国は武力で運動を鎮圧、多数の死傷者が発生した。

 中華民国は参政権の拡大などにより事態の対応に当たった。


 1983年、アメリカとの軍事競争による財政負担に勝てずソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、CIS(独立国家共同体)は解体されロシア連邦共和国が誕生した。

 だが、この時はまだ東西冷戦は続いており、ロシアは多大な軍事負担に引き続き苦しむ事となった。


 1988年、日本国政府は地方分権を方針に掲げる日本改進党が躍進し、与党となった事により、連邦制の導入を国民投票により7割の賛成多数で可決、日本国憲法に連邦制を導入した。

 よって1都1道4府(大阪府•京都府•南台湾府•北台湾府)43県を北から北海道州•東北州•関東州•北陸州•東海州•関西州•中国四国州•九州•台湾州の9州と東京都•大阪都の2都に分け2都は国の直轄地となった。

 連邦制の導入により国名が日本連邦国となり、地方自治体(州)の権限が強化した。

 義務教育(小学校・中学校・高校)や福祉•医療、地方警察、消防などの社会保障などは地方自治体(州)に一任され、国防や国立大学、国立病院、国家警察などは国(連邦政府)が担う事となった。

 また今後増加するであろう医療費削減の為、家庭医制度を導入、年金も還付方式から積み立て方式へと移行した。


 1995年5月にロシア軍が北海道に侵攻、オホーツク海紛争が発生した、日本は上陸したロシア軍を撃退し、樺太島に侵攻•占領した。

 戦後、今回の侵攻はロシア極東軍管区の独断行動と判明、極東軍管区の幹部は国家反逆罪により処刑され、ロシアの軍事力、国際発言力は大きく低下した。

 日本は賠償金こそ得られなかったものの、樺太島を手に入れ極東のロシア軍を大きく削いだ。


 1995年1月、阪神地方を震源とする阪神淡路大震災が発生し、4000人弱が犠牲になった。

 この震災を教訓に1996年3月、新たに防災庁が設立された。

  1997年にアメリカ大統領とロシア大統領は地中海のヤルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言した。

 結果、史実より8年間冷戦が長く続いた事となった。

 1999年6月、行政改革によりこれまで1府20省庁(内閣府•教育省•科学技術省•厚生労働省•運輸省•通信省•経済産業省•防衛省•防災省•総務省•資源エネルギー省•法務省•地方自治体省•大蔵省•外務省•情報庁•郵政省•消防庁•警察庁•環境庁•宮内庁)だった。

 しかしそれを1府16省庁(内閣府•文部省•科学技術省•厚生労働省•国土交通省•経済産業省•資源エネルギー省•防衛総省•防災省•総務省•法務省•財務省•外務省•保安省•環境省•情報庁•宮内庁)に変更した。


 2001年8月、中期防衛計画が発表されそれまでの日本連邦国軍45万(陸軍30万•海軍8.5万•空軍6.5万)の定員を42万(陸軍27万•海軍8.5万•空軍6.5万)に削減し、拠点防衛から機動防衛へと移行した。

 冷戦の終結により非正規戦や南中国(中華民国)の南下などが理由である。

 日本連邦国軍の海兵隊は陸軍内にある海兵遠征旅団がその任を担っており、4個旅団2万8800名の規模である。


 2003年5月、それまで停滞気味であった日本の景気がIT企業の発展により上向いてきた。

 2004年にはGDP成長率3%を突破、日本連邦国のGDPは遂に700兆円を超え世界2位を維持した。

 2005年のGDPランキングはアメリカが15兆ドルで1位、日本が7兆ドルで2位、3位が中華人民共和国で5.8兆ドル、4位がドイツで4.2兆ドル、5位がイギリスで3.9兆ドルと続いた。

 2008年9月、アメリカでリーマンショックが発生、世界同時不況が発生した。

 リーマンショック後の対応がグダグダであった民主党が政権野党に転落、その後政権与党となったのは日本改進党であった。

 日本改進党は金融緩和により経済を刺激し、輸出の拡大などにより景気を回復させた。

 2009年5月には関係が悪化していた中華民国が澎湖諸島及び先島諸島に侵攻、一時占領されたが、軍事出動した日本連邦国軍が奪還、この戦争により中華民国は大部分の海軍艦艇を失った。


 2011年3月、東日本大震災が発生し、6000人近くが死亡した。

 だが史実とは違い日本で()()している原発は1基も無く火力発電所などが数ヶ所停止するくらいであった。

 心配されていたブラックアウトは発生せず、北海道や東海•北陸などから電力供給により一時を凌げた。

 また防災省による防波堤の建設や避難計画、耐震工事のお蔭もあり、被害は最小限で済んだ。

 4月には国会の臨時予算委員会で3兆円規模の復興予算が可決され、日本のみならず世界各国から支援物資や義援金が届き、5年後の2016年には目に見える被害は殆ど見られなかった。


 2014年1月、突如韓国が対馬の領有を宣言し、対馬に侵攻してきた。

 世界各国は韓国を非難し、日本を支持した、ロシアも日本を支持したが中華人民共和国は中立を宣言した。

 日本国政府はすぐさま日本連邦国軍の出動を決定、一時北対馬•隠岐諸島を占領された日本連邦国軍だったが制海権及び制空権を確保し、侵攻から1週間後には北対馬を奪還した。

 この戦争は日本の軍事力の高さが世界に示された戦いとなった。

 交渉を呼びかけても応じない韓国政府に対しアメリカは空母機動艦隊を黄海に展開、この時期になり中華人民共和国も日本支持を発表し、国境線に40万もの軍を集めた。

 これだけ脅されてはたまらない韓国政府は交渉のテーブルに着き中立国の中華人民共和国の北京で講和会議を開き、対馬を日本の領土と渋々認め、賠償金20兆円を支払った。


 2016年台湾州澎湖諸島で中華民国漁船と日本連邦国海洋警察庁巡視船が衝突、中華民国漁船の船長は逮捕された。

 この事に対し中華民国政府は日本連邦国に対し澎湖諸島は我々中華民国の領土であると発表し、引き渡すように要請した。

 講和条約を破棄する内容に日本連邦国政府はその要求を拒否、現地海上保安庁の巡視船の警備体制を強化し、東西冷戦移行減り続けていた国防費は再び上昇に転じた。

 2020年、東京にて東京オリンピックが開催され、日本は世界4位のメダル獲得数となった。


 2024年10月14日、アメリカの旅客機がシベリア上空に誤進入したのをロシア連邦防空軍戦闘機が撃墜、アメリカが報復攻撃でウラジオストクの空軍基地に巡航ミサイル攻撃を行ったのである。

 ロシア及びアメリカ政府は核戦争も辞さないと態度を強固にし、アメリカ•ロシア•イギリス•フランスの国際連合常任理事国兼核保有国以外の国家が中立を宣言した。

 そして両国は10月20日に核ミサイルをそれぞれ1発ずつ発射、ワシントンD.C.とモスクワが核の炎で焼き尽くされ150万人以上もの人が亡くなった。

 アメリカ及びロシア政府間での水面下の交渉により2024年12月31日まで一時戦闘を中断し、両国家間の旅行客や大使館職員の帰国させる事を決定し、世界中の国家が海外に居る自国民に対し即時帰国命令を出した。

 こうして世界は核戦争へと突き進んでいったのである。



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