表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

カボチャの馬車 【前編】




 靴も、心も、ガラスじゃない。





 秋を感じさせるヒンヤリとした空気が、開閉を繰り返す連結部分のドアからなだれ込んでくる。新幹線の貫通扉(かんつうとびら)は自動ドア。最終便に乗り遅れぬように急ぐ人々を、忙しく取り込んで座席に誘っていく。全席指定であるのぞみ号では、事前予約ではなく直前購入の客が多いからだろう。切符に記された番号を、何度も確かめながら通路を行く客の姿が目立った。

 だがこの便に限っては、きっと事前予約の客が多いに違いない。今日は日曜日。下り新大阪行きの最終便。乗客の半数以上は週末の旅行を楽しんだ行楽客で、二列シートをひっくり返しボックス席にして楽しさの余韻に盛り上がるグループの姿も見受けられた。

 残りの乗客達と言えば、休日も仕事のビジネスマンが疲れた表情で既に寝入っていたり、缶ビール片手に顔を赤らめていたり。はたまた、妙齢の女性が憂いを帯びた表情でジッと窓の外を眺めていたり。それぞれにドラマを感じさせる光景が、そこかしこに現れる。


 自分はどう見られているのだろうな……と、和泉(いずみ)はホームからわずかに仰ぎ見ることができる空を見つめながら考えた。ラフな私服姿は、勤め帰りには到底見えず。編み上げのイエローブーツにジーンズ、シンプルなデイパックだけの姿は、気張った“お出かけ”姿にもほど遠い。せいぜい一泊分程度の荷物は座席上部の荷物棚に上げられ、流行り始めのフリースジップアップを膝にかけ、連れの気配も感じさせない姿は判断に迷うはずだ。

 しかし、和泉のような乗客は他にもいる。週末を東京の地で過ごしながら、西に戻らざるをえない境遇の「仲間」たちが。

 通路を挟んで斜め向こうに座る、単身赴任の父らしき姿。彼もどこか遠い目をしながら、窓の外を眺めている。週末だけの家族とのふれあいを思い出しているのか、時折テーブルに置かれた手帳の中をのぞき込む。きっと家族の写真が入っているのだろう。

 手の中で最新型の携帯電話の画面を見つめ、なれた手付きでボタンを押す青年の姿。最先端の携帯メールでのやりとりに、青年の頬が柔らかく緩むのが見えた。どんなメッセージが届いているのだろう。和泉は、胸ポケットにしまった自分の旧式端末を思い返し、羨望の眼差しを彼に送った。

 自分も早く機種変更したい。そして、彼と同じように旅先でも文字でのやりとりができれば、時間はもっと満ち足りたものになるだろう。そう願う和泉だったが、一方でその相手が、自分ほどはマメに連絡をしてくれないであろうことに、苦笑いするのだった。


 ホームに発車ベルが鳴り響く。

 未練がましく乗降車ドア付近で繰り広げられる別れのドラマと、ダメ元覚悟で指定券もないまま飛び乗ってくる不届き者たちの挑戦を飲み込んで、ドアはゆっくり閉まっていった。

 21時18分。

 かつて『シンデレラ・エクスプレス』と呼ばれた新幹線は、出発時間と号名を変えて、東京駅を出発する。



* * *



 ビルの間から一瞬だけ見える、ライトアップされた見慣れた東京タワーを見送って、和泉は視線を窓から外した。出発して間もない車内は、ギリギリで乗り込んできた乗客達が、自分の席に向かおうと通路を行き交う。和泉の席は、9番D席。隣のE席はまだ空席のままだ。

 やがて和泉よりは年上に見える、馴れた風情の男が一人、和泉の横に立った。


「すみません、そこ、空いていますか?」

「ええ、まあ」


 その返事に男は喜色を見せたが、すかさず和泉は言葉を続ける。


「でも、のぞみは全席指定ですよ? それに、この席は新横から連れが乗ってくるんです」


 同じようなやりとりを何度も繰り返したことのある和泉は、淡々とした口調と表情で男を見上げた。ここでヘタに高圧的に出てもダメだし、かといって下手(したて)に出ると『まあまあ』と言った風情で押し切られる。全席指定であるのぞみ号に指定券も持たずに乗り込んでくる客は、押し並べて図々しいものだ。案の定、その男も忌々しげな表情を浮かべて立ち去った。彼が同じようなやりとりを前の方で繰り返し、号車を移動するのを見届けて、和泉はホッと息を吐いた。

 この列車を利用するようになって早々の頃、やはり同じようなやりとりの末に指定券を持たずに座り込んだ客がいた。あまりにも当然のように座ってきたので、和泉は正当な乗客だと思っていた。だから、新横浜に到着した後、困惑の表情を浮かべた女性が何も言わずに立ち去ったのに気付かなかったことも、彼女が車掌と共にやってきて不法占拠者が追い出されるまで、ノンビリ寝ていたのも許して欲しい。

 それがきっかけで不思議な交流が生まれたのだから、人生は面白いものだ。

 まもなく新横浜から乗ってくるであろう、その女性のことを思いながら、和泉は手の中にあった切符を胸ポケットにしまった。



 21時34分。

 新横浜で降りる客はほとんどいない。到着したホームからは、次々と最後の客が乗り込んでくる。数カ所空いていた席は次々と埋まり、上の荷物棚も空きを見つけるのが困難になってきた。車両がホームから滑るように出て行った後も空いたままのE席に、和泉は若干の不安を覚える。

 さっき東京駅で確認したメールでは、彼女は今日も乗ると言っていた。何か急なトラブルでもあったのだろうか。電話で報告するほどの間柄でもなく、それほどの用事でもないので、居なかったらそれまでのこと。それでも和泉と彼女は、相手の様子を気にかける程度には“繋がりのある同志”だった。

 やがて貫通扉が静かに開いて、覚えのある顔が和泉に近づいてきた。


「こんばんは、正木(まさき)くん。二週間ぶりやね」

「こんばんは、村木さん。お元気でしたか?」


 同じような挨拶を交わし、彼女――村木(むらき)祥子(しょうこ)さんは和泉の前を通ってE席に腰を下ろした。

 特に予定が無ければ二週間に一度、場合によっては毎週新幹線を共にする彼女。面識もあり、携帯電話の番号やパソコン通信のメールアドレスこそ知ってはいても、それ以上の繋がりのない不思議な関係。当然、名前で呼び合うほどの仲でもなく、挨拶はお互いに姓で呼び合う程度だ。詳しい身の上など、何一つ知らない。



 彼女との関係は?と、人に問われたならば、和泉はこう答える。

 『遠距離恋愛の戦友です』と。



 和泉の“遠距離恋愛”は、5年目の半ばを過ぎた。

 大学時代の丸々4年間。幼馴染みであり高校生からの“彼女”である真咲(まさき)は、今もまだ東北、(もり)(みやこ)にいる。そのまま大学に居残ってしまったのだ。

 一方、関東圏の大学を卒業した和泉は、無事に就職を果たした。採用区分は全国区であるため、勤務地が近くなる保証がないことくらい、覚悟はしていた。だが、西に配属されたのは和泉にとっても誤算だった。まだ中部圏なのが救いだろうか。それでも真咲に会うためには、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで約4時間かかる。倍以上に厚みを増してしまった“時間と距離の壁”だ。

 不安がないといえば嘘になる。学生と社会人一年生の間では、金銭的な負担も厳しい。それでもお互いに「諦める」という言葉とは無縁だった。と同時に、相手のためにどちらかが無理をする、という選択肢もなかった。

 和泉も自分の夢であった職種に就くことを優先し、真咲も自分が精力を傾けられる分野に邁進(まいしん)して行った。それをお互いに止めようとはしない。それが二人の関係だった。これまでも、これからも。


 大学時代は、ほぼ毎週通い詰めていた杜の都だが、さすがに中部圏から、そして社会人ともなると毎週は厳しい。今年からは二週間おきに通う和泉にとって、この新大阪行きの新幹線最終便は、すっかり馴染みの列車となった。

 10年ほど前、テレビCMで何度も見た光景。女性歌手の切ない歌声にのせてホームで繰り広げられていたドラマを、まさか自分たちが再現するとは思わなかった。CMで見たのは、ひかり289号。当時21時ちょうど発だった最終便は、今は少しだけ時間が遅い。延びた18分間の幸せを、多くの恋人達が噛みしめていることだろう。

 隣に座る彼女も、同じように18分間をありがたく思う一人なのだろうか。いや、彼女が“遠恋”となったのは和泉より後の話。和泉からすれば「まだ2年目」の彼女だが、世間的には「もう遠恋2年目」の恋人たち。

 和泉の隣に座る村木さんは、生まれも育ちも関西人。古都の大学に通い、そこで知り合った相手と将来を約束し、彼が転勤から戻るのを待っているのだという。


 『最長でも3年、って話やったしね。(うち)もついて行くには惜しい時期やったし』


 控えめの関西弁で、村木さんは「遠恋」を選択した理由を語ってくれた。和泉より4つ年上の彼女はちょうど仕事が面白い時期らしく、彼女の相手も和泉達と同じくお互いの社会生活を邪魔しようとは考えなかったらしい。


 『せやけど、私も“売れ残りのクリスマスケーキ”を過ぎてしもたしね。それなりに焦りはあるんよ?』


 キャリアウーマンの風情がにじみ出る彼女であるが、自分の指定席を不法占拠する相手に対し自分で声をかけるのをためらう程度の気の弱さがあった。とはいえ泣き寝入りする気は毛頭ないので、速攻で車掌に排除させていた訳だが。


 その後、

 『気付かなくてすみません、災難でしたね』

 『いややわ~、違う(ちゃう)人が座っているって、気付く方が可笑しいろ? お気遣いありがとう』

 という会話を経て、個人的資質なのか関西人気質なのか判断に悩むフレンドリーさで会話が始まり、和泉が名古屋で降りる頃には、

 『じゃあ、再来週もこの座席取るわ。正木くんも覚えといて? 6号車9番のD。窓側は(うち)やで?』

 『あ、はい……』

 ……という風に交流が始まった。


 半信半疑で二週間後の新幹線を取ってみた和泉は、無事彼女との再会を果たした。それ以来、特に理由が無い限り同じ指定席を取るようにしている。二度ほどのすれ違いを経て、携帯電話の番号とメールアドレスを交換するに至ったが、彼女と電話で会話したことは無い。


 二週間おきに、

 『いつもの席を取りました』 『了解』

 『満席だったので、7号車になりました。座席番号は同じです』 『はいな』

 『来週も行くことになりました』 『ずるい。こっちは仕事やっていうのに』

 『今週は行けなくなりました』 『裏切り者っ』

 などといった趣旨の、短い文章がパソコン通信で行き交うだけだ。

 最近登場したSMSや携帯メールとやらを使うようになれば、きっと同じようなやりとりを当日にするだけだろう。ISDN回線の公衆電話(グレ電)を探す手間が省けるだけのことだ。


 遠距離恋愛の先輩、後輩。

 和泉と彼女は、互いをそう呼び合う。そんな仲だった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ