エピローグ 「そんな……馬鹿な……」
後日談。
あの日から、悪魔界の時間で10年の歳月が経った。
結局2度目の天魔戦争は起こらなかったものの、天使と悪魔の和平条約は破棄。これにより、今まで抑圧されてきた鬱憤を晴らすかのように悪魔達は人間を襲い、彼らを取り締まるべく天使達の行動も激化していった。対立の時代の、再来である。
「リディア……」
大好きだったよ、レオン。そう言い残して彼女は逝った。
鬱陶しい。喧しい。いつもいつもそう思っていたはずだ。だが何故か、彼女の死は、レオンの心にぽっかりと穴を空けた。
あるいは、自分もリディアの事が好きだったのかもしれない。
いつも面倒事を持ってくる厄介者。表面上はそう思っていても、心の奥底―――それこそ、レオン自身ですら自覚し得なかった場所では、彼女の存在が「当たり前」になっていたのかもしれない。レオンは、今さらながらにそう思った。
「………」
リディア=ヴェスティベートの消滅に対し、天使達がとった行動は次のようなものだった。
1つは、彼女を消滅させたランドルフの処刑。堕天よりも重い罰「魂壊」……文字どおり、魂の枠組みそのものを壊すという天界が始まって以来初の極刑が課せられた事から、いくら相手が敵対勢力とはいえ今回の件は庇いきれなかった事が窺える。尤も、黒幕である(とエルザードは確信している)パヴェーラやアングリアスも判決に賛成していたため、最初から使い捨ての駒としか見られていなかったようだが。
もう1つは、エルザード=ウルヴィアーラの堕天だ。その場にいたにも拘わらずランドルフの暴走を止められなかったとして、その管理責任を負ったのである。レオンは知らない事だが、実はこれはエルザード自身の意思によるものだ。腐りきった天界への嫌気、旧友に対する義理、それに自己嫌悪……他にもいくつか理由はあるが、彼自らが多方面に根回しをし、望んで悪魔に身を堕としたのは間違いない。特筆することがあるとすれば……エルザードが堕天したその日。『聖光天列書』の一桁順位から、エルザードを含め6人の天使の名前が消えた、といったところか。
ちなみに、外部から強制的に堕天させられた訳ではないためか、エルザード……エルザード=アステルムは悪魔化した時点で既に上級悪魔となっていた。
「レオン様」
傍らにいる女悪魔、ノエルが主に話しかける。彼女はこの10年で下級悪魔への昇格を遂げていた。
「……レオン様?」
「……あぁ、すまない。何だ?」
「本日は、どこで狩りをなさるのですか?」
レオンが転移術式を構築する姿を見ての質問だったらしい。だが、
「残念ながら、今日は狩りはしない」
「? では、何を?」
ノエルの問いには答えず、術式を起動するレオン。2人の身体を術式が認識し、人間界へと転送する。
「……っ! ここは……」
到着した場所は、エリアE-A-J-Tのポイント105。人間界での呼称は「よもぎ公園」。……リディアが、亡くなった場所である。
「人間が死者を弔うために建てる、『墓』という石碑は知っているな? この国では毎年この時期になると、子孫は里帰りして墓を清め、祖先の霊を迎えるという風習があるらしい。
お前は知らなかったかもしれないが、私は毎年来ているんだぞ? ……まぁ、さすがに墓は建てられなかったが」
悪魔にとって人間は下等生物であり、ただの食料だ。だがレオンは、この島国に住む人間特有のこの風習を、何故だか少し気に入っていた。
2人はリディアが消滅した辺りに向かい、目を瞑る。
「……あら、先客? せっかくご飯にしようと思ったのに」
不意に、レオン達の背後から声をかける者がいた。和平条約が破棄された今では、悪魔同士によるトラブルを防ぐ意味も兼ねて、「先に狩りを行っている場合、後から来た者はそこで狩りしてはならない」という不文律がある。要は、早い者勝ちルールだ。声色からして女性と思われる悪魔は、その事で残念がっていた。
しかし、レオン達は食事をするためにやって来たのではない。ノエルはそれを説明するべく、後ろを振り返った。
「あ、いえ。私達は―――え?」
しかし、その言葉は最後まで続かない。
「嘘……!」
言葉を失うノエル。隣にいるレオンも、何事かと振り返る。そこにいた女悪魔は―――
「そんな……馬鹿な………!」
170cmに届かぬ程の身長。大人びた顔立ち。黒く艶やかな髪。
「「リディア(様)!!?」」
―――消滅したはずのリディア=ヴェスティベートに瓜二つだった。
「リディア? 誰よそれ。私に名前なんて無いわよ」
しかし、女悪魔は否定する。その一言で、ようやくレオン達も我に返った。
「……あぁ、済まない。昔の知り合いに似ていたものでな。
気を悪くさせたなら謝罪しよう」
「別にいいわよ……それにしても、リディアだっけ? どっかで聞いた事があるような……………………ぁ」
しばらく考え込んだのち、何かを思い出したように顔を上げる女悪魔。その表情に若干の怯えが混じっているのは、ノエルの気のせいではないだろう。
「ねぇ、ちょっと訊きたいんだけど……もしかしてあんた、レオン=ルーデンバイア?」
「そうだが?」
やっちゃったぁーっ! と顔を両手で覆う悪魔。まだ下級悪魔になったばかりの彼女からしてみれば、レオンは条約破棄の原因となった悪魔の内の1人。格上な上に超有名人、おまけに悪魔からすれば英雄も同然なのだ。最近生まれた悪魔が気安く話しかけられる存在ではないのである。
幸い、当のレオンはそんな事は微塵も気にするような性質ではなかったが。
「……レオン様。1つ、お願いしたい事があるのですが」
不意に、ノエルがレオンに話しかける。彼女はまだ前置きしか言っていないが、お願いの内容は大体の想像がついた。
当然だ。なぜなら、
「奇遇だな、ノエル。私も、1つやりたい事が出来た」
レオンは一歩前に進み出ると、女悪魔に問いかける。
「おい。お前、さっき名は無いと言ったな。という事は、誰か主がいるという訳ではないのか?」
「え? えぇ……じゃなかった、はい。私は、誰にも拾われずに生きてきましたので」
「そうか。なら、1つ提案があるんだが」
「?」
「……私のもとへ来る気はないか?」
この10年で、随分と性格が丸くなったレオン。リディアの死、というきっかけがあったとはいえ、自分から眷属を作ろうなどと考えたのはこれが初めてだった。当然ながら、内心で彼自身が一番驚いている。
女悪魔は少し考える様子を見せるが、やがてレオンに向かって跪き、頭を垂れた。
「……あなた様に名を頂けるのでしたら、是非に」
「そうか、分かった」
レオンは女悪魔を眷属とするため、彼女につける名を考える。
(名前は……決まった。
姓は……あいつから、貰うことにしよう)
そしてレオンは、女悪魔に向かって高らかに―――まるで、いつかのリディアのように『名付け』た。
「お前の名は、ジルダ。今日から『ジルダ=ヴェスティベート』を名乗るがいい!」
リディアの忘れ形見である、ノエル。そのリディアによく似た、ジルダ。
これから先、何があろうと2人を守る。大切な家族を二度と喪わないように。再び悲劇を起こさぬように。
上級悪魔、レオン=ルーデンバイアは堅く誓う。
もう一度、幸せな日常が来ることを願って。
エンジェル・ラヴァー外伝
Episode of Leon デーモン・ラヴァー Fin.
ここまで読んで下さってありがとうございました。