第4話 「こっちのセリフじゃ、ド阿呆が!!」
こぼれ話的な。
一方その頃。エルザードはノエルの正面に立ち、彼女の顔を凝視していた。
「………」
「………」
「………」
「……何?」
「……マイア=アステルム?」
「…………!!!」
エルザードがぽつりと呟いた名前に、ノエルは目を見開く。なぜならその名は、彼女もよく知っているものだったから。
「やっぱり、マイアなんやな」
「………エル……ザード………?」
天使が堕天し悪魔化するとき、稀に記憶障害が起こる事がある。そのほとんどは軽微なものであり、魔界時間で2~3日もすれば思い出すのだが、ノエルの場合はかなり重度の障害だったのだ。
しかし、彼女の目の前にいる天使によって、彼女の記憶にかかった錠は解き放たれる。
ノエル=アリークレット。本名―――もとい前名、マイア=アステルム。
彼女はかつて『聖光天列書』の第七位に名を連ねた実力を持つ、歴とした上位天使だった。
「いきなり連絡取れんなったから、どないしたんかと思たら……まさか、堕天してる上にルーデンバイアのとこにおるとはなぁ」
「エルザード。私は……」
「わかっとる。マイア自身のせいで堕ちたんやないっちゅう事くらいはな」
マイア=アステルムという天使は、間違っても堕天するような行動を起こすタイプではない。以前リディアが言っていたように、マイアの性格が原因というわけでもない。それは、エルザードが一番よく知っていた。
となると、マイアを堕天させた犯人がどこかにいるはずだ。エルザードは、どんな手を使ってでも探しだしてシバく、と決意した。
「ま、それは追々調べるとして……マイア。ジブン、天界に戻る気は―――」
あらへんか、とエルザードが言おうとするも、ノエルは遮るように首を振る。
縦ではなく、横に。
「私はノエル=アリークレット、もうマイア=アステルムじゃない。そんな天使は、もうどこにも存在しない」
理由が何であれ一度悪魔と化した者を天使に戻すには、極めて厳しい審査が必要になる。そしてそれは、エルザードはおろか『聖光天列書』第一位であろうと、その権力でどうにかできる類いのものではないのだ。
普通なら、エルザードだってこんな提案はしない。たとえ冤罪で堕天した天使が目の前にいたとしても、『残念やけど、僕の権限ではどうすることもできひん。諦めて、悪魔として生きてや』と言って終わりである。だが、相手がマイアとなれば話は別だ。エルザードはマイアが望んだならば、彼女が再天使化するために手段を選ぶつもりは毛頭無かった。
なぜなら彼女は、エルザードの行方不明になっていた恋人なのだから。
「別に天界が嫌な訳じゃないの。
ただ、私は新しい居場所を見つけたから。だから……ごめんなさい」
一緒に行けなくてごめんなさい。
貴方の申し出を断ることになってごめんなさい。
ノエルの言葉にはそんな意味が込められており、エルザードはそれを正しく受け取った。
戻る気はないと言外に告げるノエルに、落胆の色を隠しきれないエルザード。
「……さよか。ま、気ぃ変わったらいつでも言うてや」
だが、これもマイア……もとい、ノエルの決めた道。彼女の思いを尊重するべきだろう。エルザードは自分にそう言い聞かせ、無理矢理納得した。
「うん……ありがとう」
「気にせんでええ。マ……ノエルが悪いわけやあらへんねん。
気長に待っとるわ」
天使の自分と悪魔のノエル。
心からマイアを愛しているエルザードにしてみれば、もはやそれは些末な問題だった。
だから、今は引き下がろう。
お互い、立場的に相容れぬ存在になってしまったが……いつかまた、楽しく暮らせる日々を夢見て。
「ほな、僕らはこれで失礼するわ」
一頻り世間話を終えると、エルザードはそう言い出した。
もとより、天使と悪魔は敵対種族。条約上では敵対関係は解消されたということになっているが、実質は「停戦中」というのがお互いの共通認識だ。そのため、あまり長い時間一緒にいるのは好ましいとは言えなかった。
「あぁ。……いや、ちょっと待て」
「なんや?」
「今回の件、全ての責任はその天使という事でいいな?」
レオンに非がないことは、誰の目から見ても明らかだ。にも拘らず確認をとりたがるのは、天界議会に属する天使達―――特に『聖光天列書』第二位や第四位―――の性格の悪さを知っているため。あとは、彼の性格ゆえのものだった。
もちろん、その辺りはエルザードも承知している。わざわざ理由を訊き返す事もなく、
「当たり前や。万が一グダグダ文句言う奴がおったら、僕の権限でねじ伏せるから、安心し」
と言った。
いくら天使と言えど、彼らは決して1枚岩ではない。エルザードのように悪魔と表立って敵対せず、共存を目標とする穏健派もいれば、悪魔は速やかに排除すべし、という強硬派も一定数いるのだ。その強硬派の面々を黙らせるほどの権限を持っているのが、エルザード=ウルヴィアーラという男だった。
「くれぐれも頼んだぞ」
「任しとき。……ほな、達者でな」
「あぁ、お前もな」
気絶しているランドルフを軽々と肩に担ぐと、エルザードは立ち去ろうとする。すると、その衝撃が原因か、ランドルフが目を覚ました。
「……ぅ……あれ、ウルヴィアーラさん……? っ! そうだ、悪魔は!」
「ん? 気づきよったんか。ほんなら……」
ドゴォッ!!
肉を打つ音が響く。それは、エルザードがランドルフの頬を思いきり殴り飛ばした音だった。
「痛った……何するんですか!」
「こっちのセリフじゃ、ド阿呆が!! 和平条約無視して攻撃仕掛けたのはジブンらしいな。一体どういう了見や? あ゛ぁ゛!?」
「っ、そ、それは……」
「とにかく、それ相応の罰は覚悟するんやな。少なくとも、今後30年は受験資格の剥奪決定や」
「そんな!」
「当たり前やろが!! ジブン何仕出かしたか分かっとんのか!?」
条約の一方的な違反。
それは、停戦中と言っても差し支えない状態の両陣営にとって、第2の天魔戦争の引き金にもなりうるものだ。今回は相手がレオンだったためエルザードが仲裁に入ることができた。が、もし他の悪魔が相手だったなら確実に開戦していたことだろう。エルザードは改めてその可能性に戦慄し、自分達の運の良さを実感した。
だからこそ、この見習いの暴挙を許すことはできない。
「ジブンは一体何がしたいんや? 天魔戦争か? 話に聞くだけでも凄惨なあの悲劇を、また繰り返したいんか?」
「それは……その……」
天使に戻るのを待たずしてエルザードによる説教タイムが始まる一方。レオンは2人に背を向け、悪魔界に帰ろうとしていた。
「行くぞ」
「よろしいのですか?」
「アイツはああなると長い。……知っているだろう?」
元恋人なら、という意思を込め、レオンはノエルに視線を送る。だが、ノエルは首を横に振った。天界での2人は所属している組織が別だったため、ノエルはエルザードが激昂している姿を見たことは無かったのだ。
「……ウルヴィアーラは昔から、頭に血が上るとなかなか冷めないタイプでな。言っていることは正論な上、大体は圧倒的に相手が悪いから、それに関してとやかく言う事はできないんだが」
「そうなのですか」
「まぁ、こちらが絡まれている訳でもない。後はアイツらの問題だ」
口は挟まん方がいいだろうな、と言いながら、レオンは転移術式の準備を始める。
それを見たノエルもレオンの正面に回り、術式構築の補助をし始めた。本来レオンには補助など必要ないが、数ある悪魔術の中でも転移系は特に複雑で、構築にも相応に時間がかかってしまう。しかし、補助があれば格段に作業スピードは上がるのだ。さっさと帰りたいレオンは、ノエルの助力を素直に受け入れた。
「………」
しかし、この時はまだ誰も気づいていなかった。
彼らの下へ、着実に悪意が忍び寄っている事に。
現在の『聖光天列書』一桁順位の内訳は、穏健派4、強硬派5で強硬派が若干有利です
ちなみにマイアは穏健派でした。