第3話 「そこまでや」
レオンさん無双
単に気が動転しただけの失言か。はたまた、極右思想ゆえの虚勢か。
そんなもの、レオンにとってはもはやどうでもいい事だった。
この自分を、果ては悪魔全体を侮辱したこの口を黙らせる。今のレオンの思考はただそれだけに向けられていた。
胸倉を掴んでいた左手を放し、だらりと両手を下ろす。唐突なレオンの行動をに疑問を抱きつつも、それが自分の威光によるものだと勝手に解釈した天使は、更に選択を間違え続ける。
「ふ、ふんっ! ようやく自分の立場が理解できたようだな。まったく、手間かけさせやがって……。さぁ、おとなしくやられ―――ろごぉっ!?」
その言葉が終わらない内に、レオンは天使の顔面を鷲掴みにして頭を地面に打ち付ける。反動で浮かび上がりそうな天使の体も左腕の膂力だけで押さえ込み、その衝撃は余すことなく押さえられた頭部に伝わった。
「……確か、先に攻撃体勢に入ったのはお前だったな」
天使と悪魔の和平条約にはこんな一文が含まれている。
曰く、「悪魔が人間及びその魂を捕食した時、あるいは未遂の場合、天使はその悪魔に対して制裁を下す事ができ、悪魔はこれに反撃してはならない。ただし、正当な理由なくこれが行われた場合ははその限りではない」。
つまり、
「そうすると、私の反撃は正当防衛になる訳だ」
今回の場合は、不当な制裁はまだ行われていない。が、レオンは「鏡を出したのだから制裁」と条文を拡大解釈する事で、目の前の天使を殺そうとしていた。
「なっ……!?」
天使と悪魔。条約によって和平には至っているものの、それは決して和解したことと同義ではない。互いに何百年何千年と築き上げてきた溝は、そう簡単には埋まるものではない。レオンとて例に漏れることはなく、殆どの天使を毛嫌いしている者の1人だった。そして、憎悪すら抱いている相手を1人でも斃せる機会があるのならば、それをみすみす逃すほど彼は温厚ではない。
「お前は鏡を取り出し、私を排除しようとした」
レオンの右手が、より一層濃密な魔力で包まれる。
「相手を、殺そうとしたんだ。当然……」
レオンはその手を天高く持ち上げ、
「殺される覚悟は、あったのだろう?」
天使の首筋めがけ、振り下ろす―――
「そこまでや」
―――寸前で、レオンの手は止められた。
見ると、誰かがレオンの手首を掴んでいる。
「久しぶりやな、ルーデンバイア」
「ウルヴィアーラ……」
エルザード=ウルヴィアーラ。
2名を除く全天使達の総括を行う管理者にして、神を除いた天界での序列『聖光天列書』の第三位。そして、天使の中でもレオンが敵意を向けない数少ない者が、そこにいた。
「……何の用だ、邪魔するな」
「目の前でひよっこが殺られそうなんを見過ごすわけにはいかへんやろ、普通。と言うか、話の前に魔力刀解除してくれへん? なんやえらい神聖力持ってかれんねんけど。どんだけ魔力込めてんねや」
「………」
エルザードの手を振りほどいてから、レオンは魔力を霧散させる。こうしないとエルザードが手に纏う、魔力と対をなす聖なる力、『神聖力』に身を焼かれてしまうのだ。
エルザードの方も、同様の理由で魔力に素手で触れる事はできない。2人はお互いに、実体の無い鎧で自分の手を守っているような状態だったのである。彼もそれは分かっているので、再度レオンの手を掴む事はしなかった。
「おおきに。そんじゃ何があったんか、詳しく説明して貰うで」
「………………チッ」
「ハイそこ舌打ちしない。僕やって面倒なんやから」
渋々、といった感じでレオンは起きた事を説明する。話しているうちに、エルザードの眉間に皺が寄っていく。
「なるほど……そら迷惑かけてもうたな」
「全くだ。後輩の面倒くらいしっかり見ておけ」
「ジブンがそないな事言える立場や無いと思うけど……今回ばっかりは言い返せんわ。全面的に、こっちに責任があんねんし」
「と言うか、そもそもなぜこいつは単独行動をしていた? 確か天使のパトロールは、二人一組のはずだろう?」
天使は悪魔への対抗手段として鏡という武器を持っているにはいる。だが、どんな武器にも言える事だが、それをうまく扱えるかどうかは本人の力量によって決まるものだ。加えて、レオンのように戦闘に長けた悪魔もいない訳では無いので、天使が人間界のパトロールをする際は二人一組が鉄則になっているのだ。
「……コイツ、ランドルフ=ビローダレン言うねんけど、さっき『悪魔の気配がする!』言うて飛び出してってもうてん」
「……振り切られたのか? お前が?」
『聖光天列書』は、天使としての順位―――戦闘力だけでなく、追跡や気配察知、知識等を含めた総合力の強さのランクを表している。その中で上から3人目のエルザードの追随を許さずに走り去ったなど、レオンには信じられなかった。
「せやで。おまけに、ルーデンバイアの気配を感じ取ったんはこっから5キロも先の事や。ほんま、センス
だけならこれ以上のあらへんくらいなんやけど……価値観に少し問題があってな」
「少し?」
「……いや、かなりやな」
はぁ……、とエルザードは深いため息をつく。
「試験もトップクラス、実力もそれなりやったから、他より一足先に人間界研修に連れてきたんやけど……やっぱり、時期尚早やったみたいやな」
「こいつ見習いだったのか……あぁ、試験の内容もきちんと見直した方がいいと思うぞ。
どうやら、天魔戦争の詳細も知らなかったらしいからな」
「………………………………ほんまに?」
「嘘をつくメリットがどこにある?」
そんな……、と膝から崩れ落ちるエルザード。彼の仕事は他の天使の管理であり、その中には見習い天使の指導や彼らの試験なども含まれる。もちろんエルザード1人ではなくアシスタントが何人かいるが、それでも1人当たり数百問をチェックしなければならないくらいの量がある。
いくら順位が高くとも、いやむしろ順位が高いからこそ、こういった面倒事は避けられなかった。
「……ま、これも仕事やし。仕方あらへんか」
「精々頑張れよ。……あぁ、そういえば」
コレ返すぞ、と言ってレオンは、気絶しているランドルフの顔を掴んでエルザードに差し出す。ちなみに、ランドルフを気を失ったのはエルザードがレオンを止めた時だ。殺されようとしているところを助けられ、安心して緊張の糸が切れたらしい。
エルザードにそれを聞いたレオンは、ぎゃあぎゃあ騒がなかったのはそういうことか、1人で納得していた。
「レオン、天使なんてどこにも……」
ちょうどその時、天使を探しに行っていたリディア達が戻ってきた。
「あれ、天使?」
「済まん、もう見つかった。と言うかコイツの方から来た」
「……ならせめて、念話の1つくらい入れなさいよ」
「あ」
たった一文字で、リディアに天使探しを頼んだ事自体すっかり忘れていた事実を白状するレオン。リディアは、深い深いため息をついた。
「全く……」
「済まん」
「お? まーたえらい別嬪さんやなぁ、ルーデンバイア。コレか?」
エルザードが小指を立ててレオンをからかう。
「なっ、なななななな……!」
「その小指をへし折られたくなければさっさと仕舞え、ウルヴィアーラ。
……お前もいい加減からかわれている事に気付け、ヴェスティベート」
呆れた顔で言うレオン。しかし、エルザードはニヤニヤとした笑みを崩さずにレオン達を眺めている。
リディアもレオンの声を聞いてはいなかった様で、エルザードの言葉に反応して顔を真っ赤に染めている。その反応が面白かったのか、エルザードは更に続けた。
「あ、彼女やのうて嫁か! いやぁ済まん事言ってもうたなぁ」
「よ、よめ……ぽわー……」
「はぁ……」
「……あの、レオン様? やけにその天使と仲がよろしいようですが……?」
とても天使と悪魔の会話には見えない光景に、目を丸くするノエル。
実はこの2人、レオンがまだ天使だった頃からの友人同士なのである。互いに認め合い、切磋琢磨していた2人だったが、レオンの方は次第に力を求めるようになっていった。純粋に、強大な力を。
その結果、『私利私欲のために力を欲した』と見なされ、堕天したのである。
「別段悔いは無いがな。寧ろ、天使の柵が無くなって清々してるくらいだ」
レオンの言葉に嘘はない。元々あまり我慢強い性格ではない彼にとって、天界の戒律は苦痛でしかなかったのだ。レオンは、自身の堕天を『制裁』ではなく『解放』としか捉えていなかった。
「昔っから変わらんな、ジブンは」
「ふん、よく言う。お前だって似たようなものだろう」
「僕は堕天するようなヘマはしとらんし? 寧ろ、今の立場じゃ力があらへんとやってられんからな」
それもそうか、とレオンは心の中で呟く。
「ところで、そっちの嬢ちゃんは起こさんでええんか?」
エルザードがリディアを指差していう。彼女は先程のエルザードとの会話から、ずっとフリーズしたままだった。
仕方ないな……、と呟きながら、レオンはリディアの肩を揺する。
「おい、リディ……ヴェスティベート」
「………」
「ヴェスティベート!」
「……っ! ど、どうかした?」
「こっちのセリフだ。ぼーっとしていたが何かあったのか?」
「う、うぅん、大丈夫……」
明らかに大丈夫じゃないだろう、と言おうとしたレオンだったが、すんでの所でその言葉を呑み込む。本人が大丈夫と言っているのだから、あまり詮索するべきではないと考えたからだ。それ故レオンは、
「……それならいい。だが、あまり無理はするなよ」
と言うに留めておいた。
「………!!」
それが、リディアにとってどんな意味を持つかは知らないままに。
戦闘描写って難しいですね。バトル物の小説読んでていつも思うんですが、なんであんなに分かりやすくかつ面白く書けるんでしょうか。わたし、気になります!