中篇
「実は、ワタクシは病気にかかっているのです」
おおお、苦しい、と胸のあたりを押さえながら、道化は苦悶の演技をしている。
「……ごめんなさい、道化さん。私、お父様から病気の人には近づいていはいけないって」
「大丈夫ですよ! この病気は移りません。特に子どもにはね」
踵を返そうとする少女を引きとめながら、道化は言った。
「……それって、どんなお病気?」
人を笑わせないと死んでしまう病気、それも子どもには映らない病気。
そんな病、少女は聞いたことが無かった。きっと医者であるお爺様も知らないだろう。
「さあてね。ワタクシの友人なんかはこの病気を『死ななければ直らない病気』なんて呼んでいるみたいですけどね」
「死ななければ……? そんな病気、治らないって言っているのと同じじゃないの?」
「正確に呼ぶならば、殺さないと直らない。『自分を殺さなければ直らない病気』だそうです」
道化の要領を得ない言い方に少女は暫し悩んでいたが、不意に思い至った。
――なるほど。冗談の次は、謎かけね。
少女は、物語の次に謎かけ話を好んで読んでいた。教養が問われる謎かけも、とんちを利かせた謎かけも、どちらも大得意だ。
「わかったわ、その病気、当ててあげる! ……と言いたい所なんだけど、さすがに解決の糸口が見えないわ。もうちょっと手掛かりをちょうだい」
わくわくしながら少女が言うと、道化は落ちていく枯れ葉を眺めるみたいに切なげに眼を細めてから、抑えた声で問いかけてきた。
「……お嬢さんは、一番恐ろしい病気っていうのは何だと思いますか?」
「うーん、一番怖いのは『黒の病』かしら。指先から真っ黒に染まってぽろぽろと崩れ去って言ってしまうだなんて、考えただけでも恐ろしいわ!」
先ほどの身体がばらばらになる想像がぶり返してしまって、少女は思わず身をすくめる。道化はその様子を今までとは少し違った笑顔で、黙って見ていた。なんだか、お菓子をねだった時のお爺様の顔に似てるな、と少女は思った。
「そうですか。それはなんで?」
「だって、『黒の病』って一度かかると治らないらしいじゃない? 一番恐ろしいのは不治の病だって、私のお爺様が言ってたもの」
「治らない病気は恐ろしいですねえ。でもワタクシの病気は直るそうですよ」
「でも、『自分を殺せば』治るんでしょ? そんなの治らないって言っているようなものじゃない」
「それでも、『絶対に直らない』のと『直るかもしれない』のではまぁーったく違います――『かもしれない』の方が圧倒的に性質が悪い」
道化は話の合間合間に滑稽なポーズを挟んでくるのだけれども、全然笑えないわ、と少女は思う。きっと、謎かけの謎が難し過ぎるせいだろう。
「なんで? 絶対に治らない不治の病の方が、私怖いわ。……一度見たことがあるの、『黒の病』じゃないけど、絶対に治らない病気にかかった人。あんなに絶望した顔、私ほかに見たことない」
あなたの病気は治りません、と告げたお爺様の顔もこれまでに見たことがないくらいに苦悩でゆがんでいたことを、少女は忘れることが出来ないでいた。
「それより、あなたの謎かけ難し過ぎるわ! なかなか解けない謎かけは素晴らしい謎かけだけど、絶対に解けない謎かけは駄作なのよ」
「あれまあ、こまっしゃくれたお嬢さんだこと! 謎かけのつもりは無かったのですが。まあいいでしょう、それでは今度は簡単な謎かけを!」
そう言いながら、道化はまたせかせかと奇妙で大袈裟な動きをした。少女には道化が笑っているようにも見えたが、それが笑顔を模したフェイスペインティングをみているのか、道化の本当の顔をみているのか分からなかった。
「それでは問題です! ……あなたの目の前には崖がある。あそこに見えるヘルツエンの大聖堂よりも高い高い切り立った崖だ」
道化の指さす先には、大きな教会の屋根がある。少女から結構距離が離れているが、てっぺんを見上げようとすると首が痛くなりそうな高さだ。
「そして後ろからはゴロツキが二三人、あなたを殺そうとして迫ってきている。あなたが生き延びるためには崖を飛び降りるしかない。幸運な事にあなたは、崖から飛び降りても怪我ひとつ負わない方法を知っている。……問題は崖を飛び降りる恐怖心をどうやって克服するかだ」
ここまで言いきって、道化は腰に片手を当て、反対側の手の人差し指を立てながら、少女を直視した。
「さて、あなたは生き延びるために、どうすれば良い」
道化があんまり迫真の語りをするので、さぞかし難問が出てくるのだろうと少女は期待していた。しかし、何だろうこれは。謎かけというよりも、偉いお坊さんがしてくる示唆に富んだお説教か何かだろうか。
少女が気を緩めふっと息を吐く。彼女の耳に、再び広場の音が聞こえてきた。どうやら、周りの音が聞こえなくなるほどに道化の話に集中してしまっていたらしい。しかし、きちんと耳に届いているはずなのに、物売りの女の威勢のいい声も、旅音楽家の調子外れの演奏も、どこかウールのカーテンの向こうから聞こえてくるみたいだった。
「そりゃあ、崖に飛び込むしかないんじゃない? そうしないと殺されちゃうんでしょ」
「でも、怖いんですよ?」
「でも、そうしないと殺されちゃうんでしょ。選ぶまでもないわ」
「……でもワタクシ、怖かったんです」
「これ、謎かけのつもり? 悪いけども道化さん、もしかしておバカさんなんじゃないかしら」
「ちなみにコレ、ワタクシの体験談でしてね。正解は『崖に飛び込まず、ゴロツキの皆様を、道化精一杯のパフォーマンスでもてなす』でしたー。いやぁー笑わせれば解かってくれるものですねえ。『お前なんか殺す価値もない』って大絶賛でした!」
「訂正するわ。道化のおじさんは、バカなんですね」
「そうです、道化のおじさんはバカで、臆病で、勇気がなくて、意気地がなくて、甲斐性もないし、友達も数えるほどしかいないし……」
道化は、自分の悪口を言う度にどんどんうつむいていき、
「約束は守らないし、お酒は弱いし、器用貧乏だし、唐変木だし、口下手だし、ぱっぱらぱーだし、間抜け、変態、あんぽんたんの頓珍漢、加齢臭も増してきて、抜け毛も酷い、お腹に脂肪も付いてきた」
最後にはしゃがみこんで、石畳の境目を指先でなぞりなぞり、
「……いいところなんて、一つもない」
盛大に溜息をついた。
「ワタクシが人に誇れるところなんて、自分を罵倒する言葉の語彙の多さくらいですよ」
「……それに、道化のおじさんは、演技も下手よね」
という少女の一言を聞くや否や、道化は地面を見つめていた頭をぐりんと持ち上げた。表情は既にいつもの、笑顔だった。
「あ、ばれちゃいました? 落ち込んでるなんて、うっそでーす!」
道化はしゃがんだ状態から跳躍すると、空中で一回転してから着地した。水鳥の羽毛が風に舞ったような、柔らかな所作だった。
「……道化さん、本当はすごい人なんじゃないの。私、本で読んだことがあるのだけど、サーカスって言うのがあるんだって。そこなら道化さんもスターになれると思うわ」
少女の言葉に、道化は一瞬虚を突かれた様な表情になると、直ぐに大声で笑い出した。あんまりげらげらげらげらと笑うものだから、少女は自分が馬鹿にされたと感じて、頬を膨らませた。
「いやぁー、お嬢さん、面白いこと言うねえ」
「……私、そんなに変な事言ったかしら」
「あれ、ワタクシ確かに言ったはずですよ。人を笑わせなければ死ぬ、と。サーカスじゃあ、人を笑わせられないじゃないですか。こんなお嬢さんに、こんなストレートに『死ね!』と言われるだなんて、思ってもいませんでしたよ」
道化は、満面の笑みだった。
「ち、違うわ、そう言うつもりじゃなくて……。それに、もうその冗談は聞きあきたわ」
なんで、こんなことに道化のおじさんは拘るのだろうと、少女は不思議がった。少女は道化と話し始めてから笑っていないはずで、それなら道化は既に死んでいてもおかしくない。
「冗談じゃありません。人を笑わせないと、私はばらばらになって死にます」
道化は言った。満面の笑みだった。




