副団長と陰陽の体躯
さあ、今日もさわやかな朝がやってまいりました。
他の吸血鬼はまだ睡眠に入ったころの時間でしょう。
え?私は朝日や日光はそんなに苦手ではないのですよ。吸血鬼個体で差がありますからね。というより朝日が怖かったら確実に納期が間に合わないというのです。我が家は納期に追われる職人一家ですから、幼少期から日光の英才教育を受けているのです。ですが、私もたまには深い眠りについてみたいものですね。
私の朝の日課をお教えしましょう。
この箱をご覧ください。ここには様々なボタンやレース、リボンなど仕立には欠かせない小物が置いてあるのです。きらきらしていてきれいでしょう?
朝にこの宝石箱のような小物入れを眺めるのが私の日課です。こうやって眺めているととても幸せな気持ちになります。この小物たちは私の宝物、子供同然なのです。
おや? 何やら今日目につくボタンやリボンが紫色の物ばかりに感じます。
なんだかとても嫌な予感がします。
目に留まる物が紫ばかりの時は大抵ロクなことが起きない一日になるのです。
底知れぬ不安を感じたので箱を閉めると、一瞬強い風の音と共に店のベルが揺れました。
「やあ、信愛なる我友、リシャールよ」
店内に芝居がかった低い声が響きます。
ドアの前に立っていたのは長身の男でした。
「ダ、ダレス様……ようこそおいで下さいました」
私は冷汗をお気に入りのハンカチで拭いお客様を迎え入れました。
彼はBlood ROSEのもう一人の副団長のダレス・サヴァラン様です。
Blood ROSEでは団長1人、副団長2人、幹部3人の組織構造なのです。
葡萄色の艶やかな髪はリボンで結わえてあります。底知れぬ不安の正体はどうやらダレス様だったようです。
彫刻のような美しく彫深い顔立ち。細く長い四肢にがっちりとした厚い胸板。そのスタイルは一言でいうと“完璧”なのですが、彼はいささか……いや、お客様にこのようなことを言うのは失礼と思いますが、センスがないのです。それはもう壊滅的に。
本日も何世紀前に作られたか聞きたくなるようなレースの入ったシャツをお召しになられています。我店にあまり来てほしくないお客様を1人上げるとしたらダレス様でしょう。
勘違いしないでください。私はダレス様という吸血鬼自体が嫌いなわけではないのです。ただ、ダレス様には流行とかセンス言った観念が皆無なのです。
ダレス様のファッションを見ているとなぜか胃がキリキリします。これが職業病なんですかね。
「今日も仕立を頼みたいんだ」
茶目っ気たっぷりにウィンクします。私は震えあがります。これは恐怖の震えです。
ああ、本日こそはどうか無難なものを注文されますように。
「ええ、今注文用紙をお出ししますね」
私は繕い、精一杯微笑みます。
「書くことは少ないぜ。今着ているようなシャツで、レースを違う形にしたようなデザインにしてほしいんだ」
「はっ?」
「だから、このシャツと同じようなデザインでレースだけ変えたいんだよ」
いやいやいやいや、ダメです。できません。なんで袖がパフスリーブなんですか? というかこれデザインしたのはまさか私の先代では? とすると幾百年前のデザインですか?
私の頭の中ではぐるぐると思考が回ります。
もし新しいシャツを仕立てたとします。きっとダレス様のことだから私が仕立てたと言って回るでしょう。
……絶対にいけません。我が家、フォックス家の名誉に関わります。
「おーいリシャール? 注文書勝手に書いたからここに置くぜ」
ハッ! ダレス様の字で綴られた注文書が私のデスクの上に置かれています。
ダレス様はかなりの常連で、もう注文の仕方などを理解されていて勝手に受注するのが大半なのです。目を離した隙に注文書は完成しています。
私は注文書を書き上げたら絶対に断らないという信念があります。つまり今回もしてやられたということになります。
「あのう、やっぱりデザインの方なのですが少し手直しした方がいいかと」
「なんでだ? このデザイン最高だろう? この前も褒められたぜ」
彼がこのデザインを着こなしているのはその恵まれたプロポーションにあると思うのです。普通の人が着たら仮装大会になってしまいますよ。
というか副団長という役職の方のセンスを口出しなんてできないと思うのです。
私が頭を抱えていると店のドアが開きます。
「ダレス、やはりここにいたか」
そこには小柄な少年が立っていました。彼はダレス様の相棒のケイ様です。
東国出身のケイ様は他の吸血鬼よりも小柄で、顔立ちも雰囲気も少し違います。
紅梅色の髪がサラリと揺れて綺麗です。
そのミステリアスさとケイ様の特異能力が相まって、Blood ROSE内で最も人気な吸血鬼で一位二位を争います。まあ私調べなのですが。
「ケイ様いらっしゃいませ。本日はご注文ですか」
私の顔も自然に和らぎます。同じ吸血鬼とは思えないくらい凛としていて美しいです。
「ああ、また夜会に行くことになったのでな。ドレスを一着頼む。音楽会なのでなるべく落ち着いた色味の物がいいな」
ドレス……この言葉に聞き間違いはありません。
吸血鬼は特異能力を持つ者がいます。ケイ様の特異能力は“陰陽の体躯”――ケイ様は小指を噛むことによりどちらの性別にもなれるという力を保持しています。
元は男として生を受けたので、本当の性別は男という見解になっているのだと過去にお聞きしたことがあります。
男同士で夜会に行くのは浮いてしまわれるので外では女性……ダレス様の妻として偽装夫婦生活しているのです。
ケイ様はいつの日か、自分が女でこんなのが夫になるくらいなら一生独身の方がいいと低く言っていました。
私もまったくもって同感でございます。
「かしこまりました。デザインはどうしましょう?」
「それなら先程カユと相談しておおよそのデザインを決めてきた。我は服飾には疎くてな」
渡された紙をみるとカユ様が書いたらしい絵が載っていました。
さすがカユ様です。シンプルのなかに華やかさがある朝焼けの百合を思わせるようなデザインが描かれています。
「なんだよー。俺がケイに似合うやつ選んでやるのにさ」
「断る。いくら我でもお前が選ぶやつは着れぬ」
ケイ様、賢明な判断にございます。
「ははは、それではこちらの注文をお受けしますね。それでこの胸元のリボンなのですが、ストライプのものとシンプルな物どちらにいたしましょう?」
私は小物入れから見本のリボンを持ち出します。
「リボンか……我はシンプルな方が好きなのだが」
「かしこまりました」
私が注文書に詳細を書き込んでいた時です。
「お!このレースが付いたリボンなかなかいいじゃねえか」
ダレス様がモスグリーンに淡い黄色のレースが付いたリボンを取り出します。
ああ、それは本日の早朝に入ったばかりの女性用のリボンなのですが。
「これ、売ってくれよ」
ダレス様は器用に片眉をあげます。これは“いいえ”が許されない顔です。
「ダレス、それは女物のリボンだ。何に使うのだ?」
「髪留めだよ。次の夜会のジャケットがグリーンだからちょうどいいだろう?」
ケイ様は勝手にしろ、とため息を吐かれました。
「あ、あのそれはいつかケイ様にドレスを仕立てる時にと仕入れていたのですが……」
「だったら問題ない。俺の方が似合うからな」
吸血鬼は寿命というものがあまり関係ありませんがダレス様といると寿命が縮まっている感覚に陥ります。
そして髪にリボンを巻いたダレス様が口の端を上げます。
「な、リシャール。いいだろ?」
こうして私は宝物の一つを手放すのでした。
ああ、お願いです。神様、お月様、ルーザ様。
ほんの少しでいいのです。ダレス様の趣味をよくするか来店頻度を減らしてください。
なんだかとっても胃が痛いのです。