風杜様は見ている
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悪いことしたら罰が当たるよ。
嘘ついたら閻魔様に舌抜かれてしまうよ。
といった話を聞いたことはないだろうか。
きっと誰しもが、こういった悪いことしたらその仕返しが来るといった話を子供の頃に聞いたことがあるだろう。
これは大概は子供が悪いことをしないように、子供を怖がらせるために作った話である。
しかしながら、こういった話は時に事実であったりする。かつてあった過ちを繰り返さないために後世へ残していった警告だということがある。
これから話そうとしている舞台は、都会から離れた山の中にある小さな村、風杜村。その村に言い伝えられている言葉は以下の通りである。
風杜様に粗相はしないようにじゃな。特に風杜様をお祭りしておる神社でじゃわな。万が一、風杜様に粗相してしもうたら、すぐにでも謝らないといけないんじゃぞ。さもないと恐い目に会ってしまうんじゃからな。
これは土地神信仰が深く根付く風杜村に、ある一人の少女の家族が越してきたことから始まる物語。
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「さぁ、着いたよ」
「ここが、風杜村なの?」
「そうだぞ、ここはお母さんの生まれ故郷なんだぞ」
「ふふ、私とあなたが二人で初めてここに来たのは夏祭りの時だったかしら」
「あぁ、そうだったな。ちょうど今から10年近く前の話だな」
「あの時のこと今でも覚えているわ」
「ねーねー、お母さん。お腹すいた」
「はいはい、今用意するね」
一台の白い乗用車が鬱蒼と生い茂る森々を潜り抜けて、少し開けた場所にたどり着き停車した。その中から大きな荷物を抱えた大人の男女一組と一人の少女がにこやかに会話をしながら出てきた。
彼らの名前は、男の方が宮島群司、女の方が群司の妻:祥子。そして少女の名前はその一人娘:佳那といった。
群司と祥子は30代前半で、お互い同じ会社で知り合った。それから紆余曲折へ経て晴れて結婚し、すぐに子供を授かった。それが佳那だ。二人にとって佳那は幸せの象徴であり、目に入れても痛くないぐらいの宝物だった。祥子に似てかわいらしく、周りの子供たちと比べて群を抜いて美しかった。
佳那は大切にかわいがられて育てられた。
「さーて、ここが我が家となるわけだな」
「ふふ、私にとっては久しぶりよ」
「そうだな。ほんと、いい場所だよな」
この風杜村は一番近くにある街からでも車で1時間かかるようなそんな田舎だ。周りには自然がわさわさと村を覆っており、空気が澄んでいる。
宮島一家がこの村に移り住むことになったのは佳那の体質が切っ掛けだった。
佳那は元々体が弱く、しょっちゅう様々な病気にかかっていた。
それに加え喘息をもっており、病院の先生から療養することを進められていた。
夫婦は一大決断をして都会から田舎へ移り住むことにした。
場所は祥子の故郷:風杜村。
「ねー、お母さん。あれなーに?」
「うん?」
祥子は佳那が指さす先を見た。
そこにはひときわ大きな木があった。
「あれはね…………」
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そこには、とっても大きな木がありました。
真っ青な空まで届くような、見上げても見上げても一番上を見上げることができない、そんな大きな木がありました。
たくさんの葉っぱを付けて、空を持ち上げているように枝を張り出していました。
足元には大きな根っこがもっこりとうねっていました。
私は初めこれが何かわかりませんでした。
木、には違いないのでしょうが、私の知っている木ではありませんでした。
だから、私はお母さんに聞きました。
お母さんはこう答えてくれました。
“これはね、この村のみんなを見守ってくれている神様なんだよ”
私はそれを聞いてすぐに言葉を返しました。
これは神様なの、と。
すると、お母さんはにっこり笑ってこう言いました。
“そうよ。木の姿をしているけれどね、私たちに危険がないように守ってくれている神様なんだよ”
私はこれが神様だと聞いてじっとその木を見つめました。でも、私にはこれが神様のように見えませんでした。
“佳那、この神様はね、私たちのことを守ってくれる。でもね、もしも神様に粗相をしてしまったらすぐに謝らなければいけないのよ”
私には『粗相』という言葉がわかりませんでした。
“そうね、例えば佳那が誤って他の子の物を壊したとするじゃない。これが『粗相』よ。不注意や軽率さから過ちを犯すことよ”
ふーん、と私は思いました。
“まぁ、間違ったことしたりしたら謝るのは当たり前だよね”
そうお母さんは言っていました。
私は、その言葉がどこか悲しげに聞こえました。
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それから、一か月が経ちました。
風杜村での生活も慣れました。都会と違って色々と不便だけれども、周りにいっぱい自然があって楽しいです。
この村には全部で10人くらい私と同じ子供がいて、みんなと友達になりました。一番大きな人で亮介お兄さん。みんなのまとめ役です。
でも、亮介お兄さんは都会の大学に行くだとかで勉強に忙しいようでいつもは遊んでくれません。
そんな時は二番目に大きな、健太郎お兄さんがまとめてくれます。健太郎お兄さんは同じ年の瞳お姉さんのことを秘かに好きなようです。でも、なかなかその思いを伝えられていないようです。
私は、その中に入り込むことができました。初めはお人形さんだとか言われていましたが、今では佳那ちゃんと呼ばれています。
お父さんお母さんもこの村で頑張っています。お父さんは、私にはよくわからないけど何か難しげなお仕事をしています。お母さんは、村の人と一緒に畑仕事をしたりしています。二人とも一生懸命やっていますが、どうもお母さんは他の村の人からあまりよく思われていないようです。表立っては和やかなのですが、どうもあまり気持ちいいものではないです。
ここに来て一か月は経ったものの、私はどうもあの木のことだけは慣れることはできません。
大人達が言うには“ご神木”というそうですね。または“風杜様”ともいうそうです。
みんなはそれが当たり前のように受け入れているけど、私にはあの木が私のことを睨み付けているようにしか思えないのです。
外にいるときも、家の中にいるときも、眠っているときも。
四六時中私のことを監視しているように思えるのです。
そのことをお母さんに言ったら笑われました。その後で何やら真剣そうな表情でそっぽを向いてしまいました。何かあるのでしょうか。
とにかく私にはあの木が不気味に思えます。
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そんなある日。
私はいつものようにみんなと遊んでいます。
今日は日差しが強くて、私は麦わら帽子を頭に乗せていました。女の子たちはみんな何かしら帽子をかぶっていました。
今日の遊びはかくれんぼです。鬼ごっことかだと疲れてしまうのですが、かくれんぼなら私にも勝てる遊びです。ルールは隠れる人は村の中だけで隠れること。そして、鬼は村の中心にあるひときわ大きなあの木のところで10秒数えること。これがこの村のかくれんぼのルールです。
鬼は勘介君です。私たちはみんな散り散りにいろんなところへ隠れました。私は千夏ちゃんの家の裏手にある物置に隠れました。ここはひんやりしていて隠れやすいんです。
しばらくして、誰かがだだって走ってくる音がしました。私はもしかして、と思いました。すると、がらがらっと音を立てて物置の扉が開けられてしまいました。目の前には勘介君が嬉しそうに笑っています。
どうやら鬼に見つかってしまったようです。
私は勘介君に連れられてあの木の前まで行きました。そこにはすでに捕まった凛子ちゃんがいました。
勘介君は私と凛子ちゃんしか見つけていないようで、他の子を探しにまた走り始めました。
私は凛子ちゃんの隣に腰を下ろしました。
すると、急にびゅうっと風が吹き付けました。
その風のせいで私の麦わら帽子は飛ばされていきました。
宙をひらひらと飛ぶ麦わら帽子を追って私は走り出します。思ったより風が強くて麦わら帽子は木の裏側まで飛んでいきます。
あと少しというところで、私は足元の何かにぶつかって転んでしまいました。痛いです。
私が転んだあとを見るとちょうどそこにはまだ芽吹いたばかりの小さな木が折れていました。どうやら私が転んだ拍子に折れてしまったようです。
私は目的の麦わら帽子を掴んでどうしようかと考えていると、凛子ちゃんの声が聞こえました。
私は凛子ちゃんの方へ向き、そちらへ向かいました。その折れてしまった木を振り返ることなく。
そして、その後はかくれんぼを楽しんで、夕方になって家に帰りました。
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今日の晩御飯はカレーです。
かくれんぼで適度に疲れた体が栄養を欲していました。
「ほらほら、がっつかないの」
お母さんがそう言えども、お母さんの作る料理は美味しいのです。お父さんも大絶賛していました。
「今日も楽しかった?」
お母さんのその言葉に私はうんと頷きました。
たしかにここは不便だけれど、前住んでいたところよりも毎日が楽しいです。
「そう、それは良かったわ」
お母さんはそう言ってにっこり笑いました。
私はお母さんのその笑顔を見ながら晩御飯を平らげた。
「佳那は最近調子がいいな。やっぱりここに来たからなのか?」
「そうかもね。だってここは空気が澄んでいるものね」
「ははは、僕もここに来てよかったと思うよ。たしかにあそこで会社を辞めるのは勇気が必要だったけど、今思えば辞めてよかったと思うよ」
「そう、私もよ」
「君も故郷に戻れてうれしいだろ?」
「そ、そうね」
その時お母さんが見せた影のある微笑みが目に留まりました。
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その夜。
私は一人ベッドの上でしんしんと寝ていました。
お父さんお母さんはまだリビングで起きているようです。
私はふと目を覚ましました。
窓から外を見上げると、まんまるのお月様が綺麗に輝いていました。その下をあの木がにょきっと生えているのが見えました。月に照らされ黒々としたシルエットを見せるその木は今もなお私のことをじっと見つめているように思えました。
その木の影はだんだんと大きくなり、いつしか私の目の前にいました。
「えっ?」
私は思わず声を漏らしました。
さっきまであそこにあったのに。
どうしてそこにあるの!
木からいくつもの蔦が私の方へ伸びてきました。
私は必死にそれから逃げようとする者の足が何かに縛り付けられたように動きません。
「いやっ!」
いつしかその蔦は私の体へ巻き付いてきました。
私がもがいて抵抗しても、まったく止めてくれません。
「あっあ」
そして、私の目の前は真っ暗になりました。
“風杜様に粗相はしないようにじゃな”
“特に風杜様をお祭りしておる神社でじゃわな”
“万が一、風杜様に粗相してしもうたら、すぐにでも謝らないといけないんじゃぞ”
“さもないと恐い目に会ってしまうんじゃからな”
“これはね、この村のみんなを見守ってくれている神様なんだよ”
“そうよ。木の姿をしているけれどね、私たちに危険がないように守ってくれている神様なんだよ”
“佳那、この神様はね、私たちのことを守ってくれる。でもね、もしも神様に粗相をしてしまったらすぐに謝らなければいけないのよ”
“そうね、例えば佳那が誤って他の子の物を壊したとするじゃない。これが『粗相』よ。不注意や軽率さから過ちを犯すことよ”
“まぁ、間違ったことしたりしたら謝るのは当たり前だよね”
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そして、朝が来ました。
昨日の夜見たあの光景はなんだったのでしょう。
特別に何か起きたことはありませんでした。
ただの夢だったのでしょう。
それにしても、あれは怖かったです。おねしょしていないようで安心しました。
私は、ベッドから這い出てリビングへ向かいました。リビングからはパンのいい匂いがします。きっとお母さんがトーストを焼いてくれています。
「ん?」
なんだか今日はいつもより何かすっきりしています。なんででしょうか。
「お母さん、おはよ」
「佳那、おはよう」
お母さんが朝ご飯を出してくれるのを、テーブルについて待っていることにしました。
「ほら、朝ご飯よ…………っ!」
がたん、とお母さんは朝ご飯を盛り付けた皿をテーブルの上へ落としました。お母さんの顔は驚愕と恐怖に歪んでいました。
「どうしたの、お母さん?」
「嘘よ、なんで!? なんでなの!?」
お母さんは尻餅をついてヒステリックに声を上げました。
私を見て、何があったのでしょう。
「ふぁーあ、どうしたんだ? いきなり大声を上げて」
お父さんがリビングへ入ってきました。
お母さんは以前として私の顔を見て頭を抱えています。
「祥子、なにがあったんだ? 佳那、わか…………!?」
お父さんまで私の顔を見て驚きました。
私の顔に何かあったのでしょうか。
私はその場を後にして洗面所まで走っていきました。
洗面所にある鏡を見て、私はぽかーんと口を開けてしまいました。
「えっ…………?」
そこには私と似ている男の子がいました。
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あれから8年が経ちました。
あの日の出来事を今でも覚えています。
“風杜様へ粗相をして謝らなければ罰が当たる”
私の場合、あの時風杜様の子供を折ってしまったことに謝りもしなかったからだろうと思います。
実はお母さんも同じことがあったそうです。
私と同じ歳の頃、風杜様へいたずらしてしまったそうです。
その時、“少年”だったお母さんは一夜にして“少女”へ姿を変えられてしまったそうです。
そんなお母さんはこの村で高校生まで過ごし、大学進学と同時にこの村から出ていったそうです。正直私の体のことがなかったらこの村へ帰ってきたくなかったそうです。事情を知る村人からは憐れみの目で見られるのが正直耐えられなかったと言っていました。私もよくわかります。
そんな私も男の子としてこの8年を過ごし、ようやくこの村から出ることになりました。
私は今だからこそ言います。
“間違いをしたら謝るのは大切なんだよ”