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カゴ- ノ - トリ  作者: 鳥島 楓(㊚・女)
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一章 『少女がアリスになった日』

一章『少女がアリスになった日』



「そう、逃げたの。」

「冷静だなあ、おい。相手は連続強姦魔だぞ。」

「でも、《普通の人間》でしょ。」

「は?何言ってんだ?」

「独り言よ。それにまで突っ込まれたら鬱陶しいわ、花村君。」

「あのな、・・・仮にも俺はお前より10歳上の上司だぞ?」

「人間としてのあなたの能力は私より確実に10以上はランクが下だけれど特別にため口を許すわ。」

「何を基本にだれが決めたランクだ。」

「もちろん私による私を基本とするランキングよ。」

「・・・次からは第三者機関を通すように。」

プツッ・・ツー・ツー・ツー・――――


「めんどくさくなると放り投げるのはあなたの悪い癖だわ、花村さん。」





「くっそ、サツをまいたはいいが、慌てて飛び出してきたから何もないぜ。

 適当に盗んで・・・」

「発想が獣ね。価値観って怖いわ。一度堕ちたら歯止めがかからないのね。」

「なっ・・・」

背後に女が一人立っていた。





「価値観は人それぞれって言うけど、他人に害をなすようなものは矯正しなくちゃね。」

「てめえ・・・警察か?」

「ええ。」

「へっ、馬鹿にしやがって。」

男は立ち上がった。2メートルはあろうかという巨体だ。

そしていきなり女を押し倒した。

「銃も持ってないのか?後悔させてやるぜ?」

男は女の胸をわしづかみした。

多少気丈ぐらいの女なら、これで顔色が変わる。

しかし今目の前にいる女は、笑った。

口角をあげ、不気味な笑顔を浮かべたのだ。

「気持ちいいのか?ひどい淫乱だなあ、おい。」

男も頭では分かっていた。

この女は違う。今まで会ったことのない生き物だ。

しかし男は自分の中に生まれた動揺を隠すように、

口から下卑た言葉を吐いた。

「いえ、そっちから触ってくれるなんて好都合だから。」

女が男の伸ばした腕に触れるや否や、男は黒い紐に巻き付かれた。

男は、ギリギリと自身がとれる最大限の体位まで瞬く間に縛りあげられた。

「あああああああ!!!!!」

男は数十秒後、気を失った。





「怪我は、・・・無さそうだな。」

「ええ、楽な仕事だったわ。と言ってもこれより難しい仕事なんて今までなかったけど。」

「お前の化け物みたいな力が認められて現場に配備されたのが1週間前なんだから当たり前だ。」

「化け物呼ばわりなんて酷いわ。今、私の心が傷ついた。救急車を呼んで頂戴。」

「お前の鋼のハートが傷つく言葉なんてこの世に存在しない。」


花村と呼ばれた男はそこで一呼吸置き、

「しかし、本当にすごいな。とても女の技とは思えねえ。警官3人を殴り倒して逃げた大男を一人で捕まえるとは。」

「男だ女だなんて所詮外見でしょう。」

「・・・まあな、結果を出すならば確かにどうでもいいことだ。」

男はくるりと女に背を向け、自身の車の方向へ歩いて行った。


「深く聞かないのはあなたの良い所だわ。」





鳥島楓トリシマカエデ。女。満25歳。

教習所での成績が他の生徒を圧倒しており、

特殊部隊の現場に異例の1年目からの配属となった。

現在1週間ですでに5人、逃亡犯を捕縛。

教習所に入る前は実家のカキ養殖業を手伝っていた、と本人談。



「どう思いますか?」

「どう思うも何も、近江の話じゃあ、黒い紐状の物が一瞬にして相手を縛りあげたって言うじゃねえか。明らかに能力者だろ。」

「ただの黒い紐では確証に欠けるのではー?」

「2メートルの大男を縛りあげるのは純粋に女の体じゃあ無理だ。」

「でも教習所の訓練って、基本的には身体能力重視なんですよね?」

「無理なものは無理だ。能力者だ。そう思って本気で行け。」

「(・・・大人と子供の間にもパワハラを適用するべきだわ。)」

少女はため息をついた。

能力者なんてそうそう見つかるものではない。

成績の良い現場職員を片っ端から試すこと現在5人目。

もういい加減飽きていたので、何とかはぐらかそうと思ったが、

結局強権には逆らえない。

「権力って残酷。」

そんなことをつぶやく、12の春。





唐突だが、今日の鳥島楓は早番だった。

5時には署を出て、6時過ぎには買い物を終えて家に帰っていた。

野菜を切り、鶏もも肉を10等分にする。

野菜は色の濃いものを中心に。鶏肉は凍らせた方が切りやすい。

次に、水、ポン酢、調理酒を3:2:1の比率で混ぜ、

フライパンがひたひたになるぐらいの量を作る。

まず鶏肉を煮て、しっかり火が通ってから野菜を入れ、煮汁が無くなる直前まで煮る。

焦がしさえしなければ、失敗はない。

それに卵ご飯やインスタントのみそ汁をつければ、そこそこ見栄えのする夕食だ。

鳥島楓のレパートリーは、これを含めて10品前後しかないが、

普段は署で出前を取っているので、飽きることはまずない。

そんなこんなで今日も晩御飯を終え、片づけをしている時だった。





コン、コン。


普段するはずのない音がした。

鉄の重たいばかりで鍵はかなり旧式のドアが鳴った。

自慢ではないが楓にはおよそ友人と呼べる者はいない。

住所自体は確かに上司には文書で報告してあるが、

直接訪ねてくる理由はない。

要するに、楓には嫌な予感しかしなかった。


コン、コン。


再度のノックで、楓は冷静になった。

のぞき窓で誰か確認すればいいではないか。

ドアに近寄り、小さな円形のレンズに、顔を押し付けた。


そこにいたのは猫を抱いた少女だった。





ガチャ。

「・・・どなた?」

「ああ、いらっしゃらないのかと思いました。電気がついているからといって、

 いらっしゃるとは限りませんものね。」

「・・・。」

「失礼致しました。私、猫野アリスと申します。」

アリスと名乗った少女は、フリフリの白と黒のワンピースといった、

現代にはおよそ似つかわしくない出で立ちであったが、

透き通るような白い肌、栗色の髪、そして髪と同じ色のアーモンド形の大きな瞳をもった、

まごうこと無き美少女だった。

「そう、アリスちゃん。お顔だけじゃなく名前も可愛いのね。」

「よく言われます。最近ではデブでメガネで油ギッシュでもうまさにオタクのテンプレートみたいなキモイおじさんに言われて鳥肌がたってしまいました。」

「あら、そんなに嬉しかったの?そんな感じの人、紹介してあげましょうか?」

「そんな感じの人でもお姉さんぐらいになると一応唾だけはつけとくか、まあ代打要員だなって感じですか?売れ残りだけは避けたいですもんね?」

・・・チッ。

「私はまだ25歳なんだけどな。」

「・・・知っています。」

・・・・・・。

「一応の調べはついているのかな。」

「そうですね。でも、警視庁のファイルでは欲しい情報は手に入りませんでした。まあ、貴女の所属しているのは機密部隊ですから、当然と言えば当然なのですが。」

「で、実地調査に乗り出した、と。欲しい情報って何かしら。私があなたにあげられるものなんてないはずだけれど。」

「貴女が教えてくれる気になった時に教えてくれればそれでいいです。」

少女は猫を解放した。少女の手から滑るように落ちた猫は、楓に体をこすりつけた。

「可愛い猫ね。名前は?」

「ガクっていいます。彼はとっても頭がいいんですよ。」

そう少女が言った時には既に、楓の姿は消えていた。





そこにあったのは畳2枚、それと――――

猫野アリス。

にこにこしながら座っていた。殴ってしまおうか。

「ここはどこかな、アリスちゃん。私、玄関であなたと話してたあたりから記憶がないのだけれど。」

「当然ですよ。ついさっきまで玄関で話をしていたのですから。云わば瞬間移動というやつですね。」

「・・・いい加減にしなさいよ。何をわけのわからないことを・・・。」

「やっぱり、ハズレですか。」

・・・チッ。

「わけわからないこと言ってんじゃないわよクソガキ!!」

思い切り振りかぶって、少女の頬のあたりを狙った。

一応、パーだ。我ながらなんて優しいのだろう!

が、掌に若くみずみずしい弾力は伝わってこなかった。

いや、それはそれで良かったのかもしれないけれど。

掌はアリスを『すり抜けていた。』

「いきなり殴りかかるなんて、ひどい!」

少女はいかにもな演技をした。


こういうタイプの少女は嫌いじゃない。

頭が良く、舌が回る。自尊心も強い。

こういう子どもは・・・、懐くと可愛い。

完全に思考回路がオッサンだと、自分でも思う。

さて、この少女の能力の概要は分かった。

問題はこの場所がどういう場所か、ということ。

それさえ分かれば対策は立てられるだろう。


「静かになりましたね。何を考えているんですか?」

「ゆう・・・れい・・・?」

「・・・残念です。貴女の反応は中の下、もっと冷静な人だと思ってましたが、

 私の勘違いだったようですね。」

「詳しく説明してくれない?混乱しているのよ、それぐらいわかって!」

「あー、うるさいです怒鳴らないでください。さっき瞬間移動って言ったじゃないですか。」

「だから・・・」

「まあ、一般人ですし、知ったところでもうすでにあなたは条件を満たしているので、別にいいでしょう。まず、ガクの説明から。彼は私の力の鍵です。彼の体に触れたものは何でもこの2畳の空間に引きずり込むことができます。」

「何でもって、限界はあるでしょう。」

「ええ、まあ。今まで限界までいったことがないのでおおよそしかわかりませんけど。

ガクの体に触れたものならばいつ、どこでも可能です。ただし私がはっきりとしたビジョンを持っていないといけませんけど。」

「そんな力が現実にあるなんて・・・。」

「別に信じなくてもいいですよ。で、ここがどこかって話ですけど、具体的にはよく分からないです。感覚的なものなら、脳の奥底、みたいな感じ?です。」

「脳の奥底、ねえ。私の前にいるアリスと実世界アリスはリンクしているの?」

「はい、もう眠いので寝ます。貴女は朝にでも開放します。口外しないことを条件にそこそこのお金を貰えるはずです。受け入れなきゃだめですよ?殺されちゃうので。」

「詰めが甘いわね。人の口に戸は立てられない。先人の言葉は大事にすべきだわ。」

「・・・単純に人殺しはリスクが高すぎるからですよ。証拠なんて有ろうが無かろうが完全にもみ消せる強権、なんて漫画やアニメの見過ぎです。」

「あら、なんでわかったの?確かに私、アニメはよく見るわ。アニメに限ったことではないけれど、映像作品の影響力はすごいわ。国はもっと力を入れるべきよ。」

「ああ、それで油ギッシュな友人をお持ちなんですね。もしかして本命ですか?」

「そうね、確かに彼とは大学のサークルの頃からの知人だけれど、アリスちゃんに譲っちゃう。受け取って。」

「・・・遠慮しておきます・・・。」

「彼と私は話が良く合うから、彼はきっといい人よ。」

「・・・理由が意味不明なのですが。というか・・・」

「何?」

少女がキッと睨みつけてきた。

「さっさと寝ろ、うるさいんだよ。」

「・・・寝ない。」

「はい?」

「二人のアリスちゃんはリンクしてるんでしょう?ということは実在しているアリスちゃんにとっても私は苦痛になるのでしょう?」

「だから解放しろって?馬鹿なの?1日ぐらい寝なくてもどうってことないわ。」

「うーんまあ、アリスちゃんぐらいの歳なら結構睡眠時間とらないとフラフラになるはずなんだけど、じゃ、しょうがないか。」

「・・・しょうがない?」

「まあ、十中八九解放してくれるなんて思ってなかったけど、一応相手は可愛い女の子だし、穏便に済ませたかったのよね。」

現実の少女は悲鳴を上げた。

何か黒い紐のようなものがいつの間にか体に巻き付き、徐々に締め上げている。

「あんた・・・」

「これ結構賭けだったのよ。まあ、ノーリスクだから賭けとは言わないか…。私の能力は相手の体に触れないと発動しないから。この場所の具体性について曖昧だったし。貴女の能力について一つわかったことがあるわ。この2畳の空間、確かにあなたの中のどこかみたい。」

「・・・絶対開放しないわよ。気を失っても、力は継続するから。」

「何をそんなに意固地になってるの?別にもう私に用はないんでしょう?」

「私は・・・やっと見つけたの。貴女は、度胸があって、私のパートナーに・・・相応しいわ。」

「機密部隊の隊員にちょっかい出すような危なっかしいグループなんて願い下げよ。」

「・・・お願い・・・。」

「・・・。」

少女は、泣きながら気を失った。





翌朝、少女は訪ねてきたデブでメガネの中年男に起こされた。

「いつまで寝てやがる・・・っておい、この痣は・・・。」

「・・・ええ、多分村田さんが思っている通りだと思います。」

「そうか、マゾに目覚めたのか。それは愉快だな。」

「・・・今開放するので、後はよろしくお願いします。昨日私を絞めた後からずっと黙りこんでるみたいです。おかげでぐっすり寝れました。」

「お前が猫撫で声で頼んだ方が効果あるんじゃないのか?」

「村田さんのような人が好みなんだそうですよー。」

「あなたとアリスちゃんなら、アリスちゃんかな。何か飲み物ない?自分で準備するから。」

高いけれどもかすかにオブラートがかかったような声。

そのせいでわずかに低く、神秘的に聴こえる。





「冷蔵庫に作り置きの麦茶があります。コップは台所。」

「鳥島楓、か。能力者ってことでいいんだよな?」

「さっきからそう言っていませんでしたか。」アリスはイライラしているようだ。

「アリスちゃんと麦茶って何かミスマッチなんだけど。紅茶なイメージ。」

鳥島楓。なかなかの美人だ。

外見には興味がないのか、髪はショート中分けで服装はシャツにジーパン。

しかしその大きな黒眼は魅力的で、眠そうな半開きの目が、深みを与える。

黒髪と白い肌との対比も見事だった。

「回りくどいのは嫌いだ。俺たちの組織の仲間になってくれ。そしてゆくゆくは俺の妻に・・・」

「私、顔がカッコ良くてスタイルが良くて年収2000万以上の男性が理想だから無理。」

「というか、マジで面白くないんですけど、村田さん。楓さんがフォローしてくれなかったら、筆者がこの作品放り投げるぐらいつまらなかったです。」

「・・・・・・スイマセン。」

「回りくどいのが嫌いだからっていうのも、ただ単に細かい配慮ができませんって自分で吐露してるようなものよね。そんな強引な引きで付いて来るほど自分に魅力があると思ってるの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゴメンナサイ・・・・・・」





いちいち会話形式にするのが面倒になったので、

ここで村田とアリスの所属する組織の説明をしよう。

ちなみに今から話すふわっとした概要を村田が話すのに2時間弱かかったのは、

間違いなくアリスと楓のせいである。

能力者対策室という旗あげ当初の仮名が今でも使われており、

恐らくもう変わることはないだろうこの組織は、

もともと楓が所属していた部隊と位置付け的には同じだ。

警察の下部組織で、実戦部隊として凶悪犯を取り締まる。

楓の個人情報を簡単に引き出せたのも、概ねこういった理由からだ。

ただ、能力者対策室の場合、特殊な案件のみ扱う。

能力者を使っての質の高い捜査ができるという建前だが、

小規模の組織なので手が回らないというのが現状だ。


「特に最近人手不足でな。アリスにはあまりリスクの高い仕事は回さないようにしていたんだが、状況が変わってそうも言ってられなくなった。」

「能力者以外に実働部隊はいないの?」

「いるにはいるが、能力の前じゃあ、ヘルメットも防弾チョッキも無意味だしな。」

「能力者の増員が最も有益な効果を得られる補強ってわけね。」

「そういうことだ。」

「でも、スカウティングの仕方が稚拙だわ。こんなやり方をすれば、しこりが残るのは当たり前じゃないの。」

「・・・ごめんなさい。」

少女がうつむいた。なんだよこれじゃあ責められねえじゃねえか。

「・・・まあ、アリスの要望なのは確かだが、自分のパートナーは自分で見極めたいってのは一理あると思う。贅沢言ってられないのも事実だが、実際に現場に出るのはこの子だ。仕事に関してのこの子の要求には出来るだけ答えたかった。」

「成程ね。」

と、言うしかないかな、空気的に。





「悪いけど、さっきも言ったように私には現状あなた達に対して、不信感しかないわ。

 今は良い返事は出来ない。」

「気持ちは分かるが、頼む。このままじゃ対策室は潰されちまう。対策室が潰されたら、上の連中は能力者を便利使いするだろう。対策室は、有志の連中が能力者に対する風除けとして創ったっていう側面もあるんだ。」

・・・・・・・・・・。

「成程ね。入らなければ私の力について上に報告するってわけ。」

「・・・そうは、言っていない。」

・・・・・・・・・





「・・・お、お願いします。」

少女が手をついた。まただ。なぜか時折しおらしい。猫を被っているのだろうか。

「やめなさいよ、みっともない。アリスちゃんらしくないわ。」

「カッコなんて、つけてもあなたは引き受けてくれないじゃない。」

顔をあげた少女は、既にタガが外れていた。

「何で?何が嫌なの?私があなたをはめたから?それとも私の性格?言ってくれれば直すから!お願いだから・・・!」

さすがに面食らった。

「落ち着け、アリス。こういう話は冷静にやっとかないと、後々ほころびが出たりするんだ。今ここでお前が泣き落しても意味がないんだよ。」

村田が立ち上がり、ついてこいといったそぶりを見せた。





今までいた場所は、マンションの一室だった。

マンションを出て、近くのファーストフード店に入った。

村田はコーヒーとバーガーを、楓はラッキーセットを頼んだ。

「何だ?天然アピールか?」

村田は笑いながらおごってくれた。

何が面白いんだこのブタ。

「元気がないようだが、驚いたか。」

「まあ、正直ね。アリスちゃんを置いてきたってことは、説明してくれるんでしょう?」

「まあ、な。」

村田は慎重な男だ。

話すべきことと、話すべきでないことを、脳内で取捨選択しているのだろう。

なんとなく、楓はこのまま彼らの組織に入ることになりそうな気がした。

そうしてそれは、無性に腹立たしいことでもあった。





「アリスには半年前まで、パートナーがいたんだ。」

「・・・そう。」なんとなく続きは予想できた。

「そいつがある事件でな、命を落とした。それ以来、アリスは感情の起伏が激しくなってな、時折取り乱すようになった。姉妹のように仲が良かったからな。仕方がないと言えば仕方がない。」

「ある事件って?」

「対策室内の人間が裏切った。」

・・・・・・

「かいつまんで話してくれる?」

「その時追っていた重要参考人が、その裏切った男の旧知の友人だった。そいつは3人の能力者を射殺して逃げた。その男の思惑通り、今や対策室は風前の灯、とても犯人を追うどころじゃない。」

「まあ、それはいいけど。職業柄、死とは隣り合わせだし。でもそれじゃあ、アリスちゃんが私に執着する理由は分からないわ。」

「それは、俺にもわからん。もしかしたらお前の方がわかるんじゃないか。」

・・・分かりやすいな。

「嘘ね。」

「あ?」

「あなた、何か大事なことを言おうとするとき、一呼吸置くわね。ただの癖かと思ったけど、内容を推敲して、言うべきことか、言うべきでないことか、考えていたのね。」

「・・・お前の妄想だ。疑われるのは不愉快だ。」

楓は両の掌を天井に向け、首をすくめて見せた。

「じゃあいいわ。アリスちゃんに直接聞くから。」





「アリスちゃん、お土産貰ってきたよ~。店員さんは嫌がったんだけどね~。」

楓が貰ってきたラッキーセットのオマケを見て、アリスはわずかに目を細めた。

「ご機嫌ですね。ありがとうございます。」

「昼飯買ってきたぞ。パンだが。」

「もう食べてしまったので、置いておいてください。ありがとうございます。」

少女は自分の部屋にもかかわらず、正座で二人を迎えた。

「私の聞きたいこと、分かりますよね。」

少女の目は首を横に振る男の顔を捉えた。





「アリス、当分は一人でこなしていってもらうことになる。」

「結構追い詰められていますし、口封じのお金だって相当な負担ですもんね。」

「・・・悪い。」

少女は首を横に振った。

「私こそわがまま言ってごめんなさい。最初から村田さんに全部任せていればよかったです。」

「いや、あの女は・・・。結果は同じだっただろう。」


「・・・そうですかね。それはそれで虚しいですね。」

アリスは、手の中にある楓がくれたオマケを見ながら言った。

無駄に楽しそうな顔をした米のアニメキャラクターだった。





「現ナマで100万か。確かに社会人1年目の私にとっては大金よね。」

「何買おうかな。車かな。電車賃浮くし。」

「残りは貯金?でも自慢じゃないけど私、結構給料いいから。」

「でも人生、何があるか分からないしね。車も維持費がかかるし、ここはまるっと投資信託に投げ込んで、地道にコツコツ・・・」

お金の話ばっかり。

自分の頭の中の言葉をかいつまんで披露してみました。

「お金なんてどうでもいいけどさ、やっぱり、重すぎるよ。」





「・・・それはやめてくれ。」

「じゃあ、話す?今、お腹の中にしまいこんだこと。」

「お前が対策室に加わってくれるなら、話してやるよ。」

「主導権は私にあるんだけどね。じゃあ私は話さなかったらこの話は即刻破断、さっさとお金だけ貰っておさらばってことになるけどそれでいいのかしら。」

「・・・お前の性格の悪さは筋金入りだな。」

「あなたが馬鹿なだけよ。」

村田は視線を落とした。

慎重といえば聞こえはいいが、いちいち考えるのがトロい男だ。

ま、男は大なり小なりみんなこんなもんか。

「死んだアリスのパートナーの名前は竹前恵理子。アリスの実の母親だ。」

「・・・は?」

「本名は馬原ゆりという。馬原というのは旧姓だ。」

・・・。

「アリスが産まれてすぐ、恵理子は家を出ている。理由は遊び足りないから。」

「・・・何それ。」

「恵理子は対策室に入った時には既に30の後半だったが、街中見渡してもあれほど美しい女はいない、そんな奴だった。まあ、だからといって納得できるわけではないが、あいつの性格形成に何らかの影響を与えたことは確かだ。」

「ふーん。」

「感じがな、」

「え?」

「似てるんだよ、お前に。」

「最悪。」

「恵理子ほどじゃないがお前も十二分に美人だし、人を子馬鹿にしたようなしゃべり方とか、透けて見える自尊心の強さとかな。嫌味を言っているつもりはないんだが。」

楓の嫌悪感むき出しの顔を見て、村田が言った。

「私が最悪だって言ったのはそういうことじゃないわ。私に母親役をやれって言うの?

しかも性格までそっくりだった既に死んでいる女の?比べられたら勝ち目のないバッタもんの私はみじめ極まりないじゃないの。」

「・・・その頭の回転の速さも、よく似ている。アリスも、母親に似た。」

「もういい、もういいわ。この話は終わりよ。」

「アリスは、恵理子が母親であるということは知らない。」

「・・・そう。」

「恵理子は俺たちが知る限りは最後まで自分が母親であるということを明かさなかった。あいつはあいつなりに、罪悪感のようなものを感じていたんだろう。俺達に対しても口止めをしていたからな。」

「・・・。」

「しかしそういうのは、言葉だけじゃないだろう。俺達から見ても恵理子はアリスを特別に可愛がっていたし、アリスもそれを感じていたはずだ。だからあいつが死んだとき、アリスはひどく取り乱した。」

「だから、何よ。」

「頼む、対策室のためじゃなく、アリスのために、あいつのそばにいてやってくれ。」

村田は深々と頭を下げた。

「アリスちゃんのことを思うなら、尚更私はやめておいた方がいいわ。私はあの子の母親じゃない。恵理子って人があの子にしてあげていたようなことはしてあげられない。アリスちゃんはそんな私と前のパートナーを比べて落胆するわ。」

「そんなことはない。」

「あるわよ。今は雰囲気の似ている私に幻想を抱いているだけ。その幻想が崩れたときには、今以上に不安定な子になるわ。」

「・・・・・・・。」

「話は終わりよ。」





「大丈夫。」

「は?」

「一人でできるから。」

「・・・そうか。」

お前それ・・・前も言ってたな。


「まずは簡単な仕事からだ。相手は同元庄内ドウモトショウナイ。強盗、強姦、傷害等全5件で立件されている。元プロボクサーだそうだ。」

「はい。」

「腕っぷしもそうだが、逃げ足が速い。まあ、お前を見て逃げることはないだろうから、能力でスマートに片付けよ、とのご達しだ。」

「試金石ってわけですね。」

「そういうことだ。もうすぐやつが今寝泊まりしている空き家だ。」





コンコン、コンコン。誰もいらっしゃらないのですか~。

子供の声?俺がいることは分かっていない、のか?

そもそも俺を追っているのがガキなわけないか。

じゃあ、失礼しまーす。

オイオイ待て待て。入ってくるんじゃねえよ。

小型の折りたたみ式ナイフが右ポケットにあるのを確認して、男は立ち上がった。

「おい、お譲ちゃん。人の家に勝手に入るのは犯罪なんだよ、知ってるだろ?」

小さな影がこわばるのがわかった。

「ああ、いらしゃったのですか。すいません、誰も住んでいらっしゃらないのかと思って、不躾なことをしてしまいました。申し訳ありません。」

だいぶ目が慣れてきた。少女は10歳ぐらい。

いかにもお嬢様といった感じのフリフリのワンピース。

ふわふわの長い髪。綺麗な顔立ち。黒っぽい猫を抱えている。

およそこの場所には似つかわしくない。

「私は猫野アリス。飼い猫を探していますの。この子の兄弟なんですけど。ガク、あなたもこの人にあいさつを。」

少女の手から猫が滑り落ちた。

「待て待て、いいよ、俺は猫アレルギーなんだ。ここにはいない、お前の猫は。」

「あらそう、残念です。」

しかし少女は猫を呼び戻そうとしない。猫は徐々に近づいて来る。

「いけませんわ、ガク。その方は・・・」

猫は男の足に体をこすりつけた、かのように思えたが、その前に男は足を後ろに引いた。

ドカッ

男は猫を思い切り蹴り上げた。

猫は悲鳴をあげて向かいの壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。

気を失ったらしい。

「ガク!!」

「ふざけんじゃねえ、クソガキ!アレルギーだって言ってんだろうが!!」

男の手にはナイフが握られていた。

男は靴でガクを蹴り上げた。

男は、猫には触れていない。





次の瞬間に起きたことはおよそ少女に想像できるものではなく、

男にとっては尚更そうだった。

男の背後に現れた男よりも一回り小さい影が肩に触れた瞬間、

黒い紐のようなものに縛りあげられ、男は悲鳴を上げた。

そしてその悲鳴は、数十秒後、男の意識とともに薄暗い空き家に吸い込まれていった。





村田は事後処理に向かい、現在車内で二人きり。


「何で・・・。」

「村田がね。」

「・・・・・・・?」

「あいつが逐一アリスちゃんの動向を知らせてくるのよ。どこで私のアドレス調べたか知らないけど、あの日から今日まで5日間ずっと。」

「ああ、村田さんは結構犯罪者適性あるなあ、と思ったことは1度や2度じゃないです。」

「あいつ、私のこと性格悪いって言ったけど、陰湿さは比じゃないわ。」

アリスが視線を落とした。口がもぞもぞ動いている。

まさか村田に似たのだろうか。

それだけは勘弁してほしい。

お願い神様!いたいけな少女をブタの呪いから解放してあげて!

「何?」

「アドレス・・・」

「ん?待って、聞こえない。」

アリスに顔を近づける。

顔を真っ赤にして、少女は再度言った。

「アドレス、私にも教えてください。」

まあ、実はちゃんと聞こえてたんだけどねぇ。

ニヤニヤしながら教えてあげたさ。


「おう、楓。」

「あなたに呼び捨てにされるのは生理的に受け付けないので、やめてください。」

「楓さん、声が本気トーンね。」

「金返せ。」



一章『少女がアリスになった日』終。


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