香里の場合 ⑥そして3年後、事件が起きる
結婚しても、私達は寝室を別にしていた。
清彦さんの実家である古い一軒家に住んだが、
夜寝る以外は、リビングで食事をし、テレビも観るし、一緒に過ごす。
まるでシェアハウスの住人のように互いを尊重し生活する、そんな感覚だった。
戸籍の上では夫婦、でも互いに最も信頼しあえる友人として
暮らすよきパートナーだったのだ。
しかし人間の欲はきりがない。結婚できただけでも勲章ものなのに、
私は無性に子供が欲しくなった。それは本能に近い気がする。
そして無理を承知で、清彦さんに頼み込んで
人工授精することにしたのだ。
最初は、『もう、別の人のでもいいじゃない。』と逃げ腰だった彼だが、
出生を複雑にするのはよくないと私が押し切った。
こんなに優しい人の赤ちゃんが欲しい。心底そう思ったのだ。
『ああ、もう死ぬかと思ったわ~ッ。』
彼が、ヨロヨロと倒れ込むように踏ん張って、
絞り出した精子で、見事妊娠にこぎ着けた時は、
二人で泣きながら喜んだ。
そして春頃、私は男の子を産んだ。清彦さんは喜んで、
永久と名付けた。
『母親に見せてあげたかったわ~~。そう思うと泣けてくる。』
そう言って、感涙にむぜぶ清彦さん。
永久に、私達家族が幸せに・・・祈りに似た思い。
(私達、家族になっていくんだ・・・)
ささやかな希望に満ちていた。
そして平穏な毎日が過ぎ、永久が2歳になったある日、
保育園に迎えに行くと永久がいなくなっていた。
家族の代理だと言う女性が永久を連れて行ったらしい。
(まさか、誘拐????)
ウソ!!ごくごく平凡な私達が、どうして???私は生きた心地がせず、
慌てて彼に電話した。治療中の彼を無理につないでもらった。
『清彦さん、永久が、永久が・・・』
『どうしたの、香里さん。』
『永久がいないの、誘拐されたかも知れない。どうしよう~ッ!?』
『ええ~ッ???』
保育園で、私達は永久を連れて行った女性の印象を
保育士の先生に聞いた。
30代後半で、痩せ形、背が高く、顔立ち派手めの美人だったと言う。
それを聞いた、清彦さんは顔色を失う。
(どうしたの?顔見知りの人???)
不吉な予感・・彼が人に恨まれる根拠はあるのか?
『心当たりがあるの・・。黙って、私に任せてくれる?』
彼はそれだけ言うと、一目散に駆けだす。
私はその後ろ姿を見て、もう帰ってこないのではと不安になる。
その日、彼は帰って来なかった。