春馬の場合 ①母の失踪
その日、早朝に母美緒を乗せた白い車が山を下りて行くのを春馬は見た。
鮮やかな木々の緑に見え隠れする白い車が、まるで生き物のように
猛スピードで下りていく。
美緒の隣には、恋人の山下隆史が運転しているはずだ。
二人は中学の同級生、美緒とは幼なじみ。
互いに思い合っていたのに、欲に狂った大人達に仲を裂かれたのである。
その15年もの思いを誰が止めることが出来るだろう・・
(母さん・・幸せに・・)
春馬は、その光景を忘れないだろうと思った。
春馬の母藤井美緒は、15歳の時に春馬を産んだ。
父親は誰か誰も知らず、当時処女懐妊と世間を騒がせた。
美緒の母親真澄は、弱小教団の教祖の慶雲と結託し、念力の落ちた
慶雲の代理に美緒を教祖に据えたのである。
美緒の愛らしさ、親身な言葉、健気な振る舞いで、信者が爆発的に増えて
見窄らしい教会は新築されて立派になった。
そして、後継者のいない慶雲一族は、慶雲亡き後、真澄に追い出されて
実質的に教団の実権は真澄が握っていたのだ。
そんな雑事はまるで関係なく、美緒は懸命に神事をこなす毎日。
信者が落とす金で教団は潤い、真澄を始め幹部達が散財する姿が
地元の歓楽街で見られた言う。
酔いが回ると、決まって春馬の父親は誰かと言う話題になる。
処女懐妊など、世間も教団内の幹部も信じていないのに、
真澄は強行的に言い張るが、父親は慶雲に決まってる。
誰もがそう思っていた。
神に選ばれた娘
神の子春馬
他人に言っている間に、本当に真澄はそう思えてきた。