美緒の場合 ③知りたい、でも聞けない?
成り行きで恭介と暮らし始めた美緒、いつの間にか
互いに美緒、恭介と呼び合う親密な仲になる。
恭介はまるで主夫のように、家事全般をこなしていた。
彼の自家製のパンを焼く香ばしい匂いで、朝は目覚める美緒。
夜は、美緒の好みを知りつくしたかのような味付けで
晩御飯を作ってくれていた。
まさに上げ膳据え膳、美緒にとってはバラ色の日々。
今まであんなにグルメで夜な夜な食べ歩いていたのに
寄り道もしなくなった。食べ歩きブログは更新が止まったままだ。
フカフカのベッド、居心地のいい清潔な部屋。
もう彼なしの人生は考えられないとさえ思う。
『あれ、美緒、最近痩せた?』
事務所の控室で同僚の美也子が覗き込んだ。
そう、恭介の作るご飯を食べていると
美緒は健康になったのか、お通じもよくマイナス10Kも痩せた。
『それに、何気にキレイになった。さては男?』
『う~ん、それは想像にまかせるわん。』
美緒は嬉しくて、顔がにやついてたまらない。
しかし、まだ彼の事を何も知らない事に不安を感じないわけでない。
その為、預金通帳は会社の事務机鍵のかかる引き出しに閉まってある。
そのうち、『俺、遊んでばっかもいられないね。』
と言い出し、朝夕に新聞配達のバイトも始めた恭介。
『もっと、ちゃんとした所で働けばいいのに・・』
『ああ、そのうちね、今は美緒の世話をするのが楽しいんだ。』
そう言って、女を喜ばせるせりふがすらっと口から出る。
きっといつでも居なくなれるよう身軽にしておくつもりなのかと
美緒は不安になってしまうのだった。
一度心配で、歯医者に行くと抜け出して恭介の様子を見に行った事もある。
その時、ダテメガネをかけて、帽子を深くかぶり、そそくさと自転車で夕刊を配る
姿を見ていると、きっと人に知られぬよう働きたいのかもと思ってしまった。
誰かから逃げてる、姿を隠したい・・?その理由は何なんだろう?と思うのだ。
なのに、美緒は恭介に何も聞き出せないでいた。
言うと彼が煙のように失せてしまう気がして怖かった。
そして、あの日、彼を捜す貼り紙を見てしまった。
疑念がより深くなる。
あの貼り紙に書いてあった『樋口雄太は』本当に自分の知ってる恭介なのか?
いや、その名前の方が偽名なのか?
知りたい、でも聞けない、聞くのが怖い・・
どうぞこのままの日々が続いて欲しい・・祈る気持ちだった。
しかし、その貼り紙を見た日以降、誰かの視線がずっと
付きまとうような錯覚を覚える美緒だった。