美緒の場合 ②ありふれた毎日
その野口恭介に知り合う迄の美緒の人生は極々平凡な物だった。
厳格な両親に育てられ、親の期待を裏切らずにそれなりの成績、それなりの大手企業に就職。
実家から遠い勤務先を選び、その為に一人暮らし。
でも親元を離れたときは正直ほっとした。
(ああ、これで私は自由~~)
晴れやかに、伸びをしたのがつい昨日のようだ。
市内の携帯電話の販売店で働き、温厚な性格で人間関係も表向きは良好。
しかし地味な性格なので、可もなく不可もなく目立たない。おしゃれも控えめ。
男性にも縁が遠かった。
(何気に寂しい・・・)自由はあるが寂しい・・。
その憂さを埋めるために食べ歩きに走ったのかもしれない。
ハードな仕事の後は、一人分のご飯を作る気がせず、夜な夜な食べ歩いた。
料理の上手だった母親の影響で、舌の肥えた美緒はグルメを気取り、
給与の3/1以上が食費に消えた。
体重がドンドン増えて、ますます縁遠くなった気がする。
でも、食べているときは幸せだった。
しかし、酔った上での今回の過ちはまた事情が違う。
得体の知れない男が家にいる。
あの調子だとおいそれと出ていきそうにない。
(どうしよう~~)
その日、仕事でくたくたになって帰宅。
『お帰り~~。』
彼はにこやかに出迎える。ドアを開けるといい匂いがした。
夕飯が出来ているようだ。メニューはハヤシライスのよう。
部屋もきれいに片づいている。ベランダには洗濯も干されていた。
美緒は自分の部屋なのに、落ち着かない。
『いつも外食なんだね、何にもないんでびっくりした。慌てて買いに行ったんだ。』
男は、テーブルの上に皿を並べ、ご飯をもりつけルーをかけた。
いかにも美味しそうな香りがする。
『・・・・』
『さ、食べよう。お口に合いますかどうか・・・。』
『・・・いただきます。』
そして一口食べて、腰が抜けるほど驚いた。
今まで三つ星レストラン、有名レストランと数々食べてきたが、そのどれをも
凌ぐ程美味しい。野菜の持ち味がいかされた奥深い味。
『あなた、元シェフなの?』
『まさか・・・見習い程度に手伝ってたくらいだけど。気に入ってくれたのなら
毎日作るよ。』
『・・・・』
いかん、いかん、スキを見せては・・・と思うが、すっかり
彼の料理の虜になってしまった美緒は、そのままずるずると男をいさせてしまったのだ。
彼の名前は野口恭介。
年齢は26歳と言う。後から思うと彼の話全てが疑わしいが、その頃の美緒は、
困惑しながらも、ありふれた毎日を変える小さな事件くらいに思っていたのだ。
しかし恭介は
子供のように童顔で小柄なのに、底知れぬ闇を抱えてる気がする男だった。




