第一章(6)
前回の投稿から4ヶ月近く経ってしまいました。
その間にちょこちょこと改訂をしたつもりです。設定とかも多少変更しました。
よろしければ前に読んだことのある方も、最初から読んでくれるとちゃんと話の流れが分かるのではないかと思います。
では。
Dark Side of 樋野紗也羅
「あっ、サヤちゃん」
後ろから声を掛けられ紗也羅が振り返ると、すぐ後ろに羽山璃佳が立っていた。相変わらず流れる黒髪とそれに負けない綺麗な顔立ちをしており、女の紗也羅ですら目を奪われてしまう。
「お仕事お疲れ。今日も大変だったね」
そう問いかける声に感情の起伏が乏しいのも、璃佳の特徴の一つだった。「うん、お疲れ様」
答えながら、紗也羅は璃佳の顔をまじまじと見た。
璃佳を見るたびに疑問に思う。彼女がどうしてここにいるのだろうか?
右目に眼帯をした無機質で整った顔からは、生への執着や『後悔』の欠片があまり感じられなかった。派遣社員の中では珍しいタイプだが、璃佳が自分や優と互角レベルの力を持っていることは紛れもない事実だ。
一体璃佳は、どんな『後悔』を抱えているというのか……。
「……どうしたの?」
黙り込んでしまった紗也羅を不審に思ったのか、璃佳の形のいい眉が微かに歪んだ。
「あぁ、何でもない」
社訓の一つに『後悔の不可侵』というものがある。
派遣社員たちの過去や、抱えている後悔についての干渉を禁じたものだ。破っても特に処罰は無いのだが、派遣社員は脛に傷やら腹に一物を持っている者ばかりだ。言われなくても自分の過去を露呈するようなことはほとんどしない。
よって、派遣社員たちはお互いの過去についてほとんど知らない。その前に派遣社員間の交流が恐ろしく少ない。紗也羅達がこんな風に言葉を交わしていることの方が異端であるくらいだった。
――彼らはどんな思いを抱えて派遣社員になり、そして死んでいったのか……。
顔も知らない他の派遣社員の訃報を聞く度、そのことを考える。
憐れむ気持ちよりも、彼らは弱かったから死んだのだ。強くなければ生き残ることが出来ないと思うことの方が多かった。
「そういえば昨日の子、サヤちゃんのクラスメイトだっけ。まだわたし達のこと視えてるの?」
璃佳がどこかのんびりした口調で訊いてきた。まるで紗也羅が陸のところを訪れたことを知っているみたいだ。
「……うん。八神は一時的なことだって言っていたけど、実際のところどうなのかは分からない。まず、何であいつにあたし達が視えるのかすら分かっていないからね」
「そうなんだ。びっくりしたね、まさかわたし達のことを視認できるなんて……」
口調は全く驚いていなさそうだったが、璃佳の心にも多少の困惑が広がっているはずだ。
派遣社員は言わば魂だけの存在だ。肉体が無いのだから、普通の人間が視認することなど不可能なはずなのだ。
それなのに何故、陸には自分達が視えるのか。その疑問が昨日から紗也羅の中をぐるぐると回り続けていた。
「一瞬あいつが『残留思念』って可能性も疑ったけど、それなら見て分かるはずだろ? あいつはれっきとした一般人だ。ただ……そうなるとますます分からなくなってしまうんだよ」
そこまで言って紗也羅はふっと息を吐き出した。結局何も分からないままじゃないか。
「考え過ぎない方がいいと思うよ。きっと八神さんが考えたって分からないことなんじゃないかな」
璃佳が労わるように言った。それもそうかもしれない、と紗也羅も思い直した。
「そうだね。とりあえず、そんなこと考える前にあたし達は『残留思念』を狩らなきゃいけないんだよな……」
そんなやりとりをしていた紗也羅と璃佳の間を、制服に身を包んだ少女たちが楽しげにおしゃべりしながら通り過ぎていく。時計を持っていないから詳しい時刻は分からないが、もうすぐ学校が始まる時間らしかった。
「……優に悪いこと言っちゃったな」
不意に璃佳が呟いた。昨日去り際に言ったことをまだ気にしているらしかった。
普段の冷静沈着な仮面の間からちらりと覗いた少女らしさを垣間見て、紗也羅はちょっぴり嬉しくなった。
「言ってることは正論だったよ。あたし達はあくまで同業者で、生温い友情を共有していい関係では本来ないからね」
璃佳は悲しそうな顔をして俯いた。長い睫が影を落とし、憂える深窓の令嬢といった風情だ。
「でもね、言った後に気付いたの。一人じゃこんな所生きていけない。やっぱり誰かとの繋がりって必要なんだな、って」
言い終えてから璃佳は口角を上げて微笑んだ。
「それもそうだね」
「うん。だから今の関係を大事にしようって思った。サヤちゃんも、八神さんも、……そして優も」
「大切な人のカテゴリに入れてもらえて光栄だよ」
気持ちを素直に言葉にしてみた。璃佳は珍しげに紗也羅の顔を眺めている。
「サヤちゃんも時々は素直になるんだね」
「わ、悪いかよ。素直になっちゃあ」
あたふたしている紗也羅を見て、璃佳は首を横に振りながらくすくすと笑った。
「……もう学校の時間か」
不意に紗也羅が呟いた。いつの間にか制服を着た少年少女の人数が増えていた。そうだね、と璃佳も答える。
「わたしもそろそろ学校行こうかな」
そう言った璃佳の目が一瞬、鋭い光を帯びた。それは紛れもなく、生き返りたいと心の底から願う一人の人間のものだった。
「……ちょっと安心した」
無意識にそう呟いていた。璃佳が「何に?」と首を傾げながら訊いてきた。
「何でもないよ。んじゃ、また会った時にでも」
璃佳は怪訝そうに顔をしかめたままだったが、頷いて手を振ってきた。紗也羅も手を振り返して人込みの中へと入っていく。
紗也羅の通う、白と水色のセーラー服の少女が目立ち始めた。
その中で一人真っ黒なスーツを着ている紗也羅だけが浮いているように見えた。自分がまたこの制服に袖を通す日を強く思い描く。
だらだらと続く長い坂を上りきると、市立桜ヶ丘中学校の校舎が見えてくる。
学校名の由来にもなっている大きな桜の樹が校門のすぐ脇に立っている。季節が季節だから今は枝の先に茶色い葉をいくつかつけているだけだが。
ここに入学した日のことを思い出した。校門の前で、父が写真を撮ってくれたのだ。
『笑って』と言われて、紗也羅としては精一杯自然な笑みを心掛けたつもりだったのに、現像されたものを見ると思い切り引き攣り笑いになっていた。
そういえば弟の覚は、それを見て大笑いしていたし、母は面白そうに目を細めてその様子を見守っていた。
全部、自分の大切な思い出。
――あの家に、あたしはもう一度帰るんだ。
左手で拳を作ってきつく握りしめた。
桜の樹に真下まで来る。風で葉がカサカサと震える音がした。幹に触れようと手を伸ばしたが、結果は分かっている。ごつごつとした感触などないまま、手は幹の表面をすり抜けてしまった。
一度自分の手をまじまじと眺めてから、思いを振り切るようにして紗也羅は歩き出した。
下駄箱は登校してきた生徒でごった返していた。あちこちから「おはよう」やら「昨日のドラマ見た?」という会話が聞こえてくる。
2年3組29番――紗也羅が使っていたスペースに、今は何も置かれていない。上履きは母が持って帰ってしまったはずだ。それに今は土足で歩こうがどうしようが関係ない。
下駄箱を素通りし、図書室の横にある階段を上っていく。すれ違う生徒を避けるなんてことはしない。皆、自分の身体をすり抜けていくから。
3階まで来たところで一度足を止める。2年生の教室があるフロアだ。此処からも生徒達の笑い声が聞こえてくる。暫くの間、紗也羅は目を瞑って様々に混ざり合った話し声を音として聴いていた。
「……昨日のドラマ、か。あれ続き気になってるんだよな」
談笑に加わることが出来ない紗也羅は一人ぽつりと呟いた。そして自嘲じみた笑顔を浮かべてから、また階段を上り始めた。
『この先立ち入り禁止』と書かれた札など意に介さず進んでいくと、目の前に南京錠の取り付けられた厳つい扉が見えてくる。いつも鍵がかけられ生徒は入ることを禁止されているその扉を難なく通り過ぎると、雲ひとつない秋晴れの青い空が広がっている。
学校の屋上。
普段入れなかった分最初はわくわくしたが、実際にはただのコンクリートの地面が広がる殺風景な場所だ。吹奏楽部が朝練で演奏する音が、辛うじて彩りを添えている。
白くペンキで塗られた柵に近づき、下を眺める。遅刻を何とか回避する為にダッシュで登校してきた生徒たちが見えたが、無情にも最終登校時刻の8時25分を知らせるチャイムが鳴っってしまった。もうすぐ朝のホームルームが始まるのだろう。
教室に行く気はまだなかった。
紗也羅はふぅと息を吐き出すと、硬いコンクリートの地面に横たわった。冷たいとか痛いという感覚はない。ただただ青い空をまばたきもせずにじっと眺めていた。
不意にあの女の子の顔が浮かんだ。
――あたしは、あの子と分かり合うことが出来るのかな?
瞬間、唐突に紗也羅の目の前の景色が青空から真っ暗闇に変わった。急いで辺りを見回すが、手近には何も無く、ただ黒が広がっているだけだった。
「……え?」
自分の手がやけに滑っていることに気付いた。恐る恐る見ると、手の平は血で真っ赤に染まり、腕全体は傷だらけになっていた。急いでスカートで血を拭おうとしたが、いくら拭いても手にこびりついた紅は消えない。
不意に背後でゴボリと音がした。振り返ると、地面から湧き上がるようにして異形の化け物が這い出てくるところだった。
「『残留思念』か」
足元に例の赤い傘が転がっていた。素早くそれを拾い上げ、開く。一瞬にして三日月型の刃煌めく死神の鎌に変化した。残留思念が完全に出てくる前に鎌で切り裂く。辺りに血が飛び散り、残留思念は完全に消え去ってしまった。
「しょぼいじゃん」
紗也羅がそう言った瞬間、水から飛び上がるみたいに四方八方から残留思念が飛び出してきた。周りを完全に囲まれる形になった紗也羅は鎌の柄を握りなおすと、きっと前を見据えた。
地を蹴って大きく飛び上がる。まず目の前に居た残留思念の肩から心臓にかけてをすっと斬った。しかし倒れるのを待っていたかのようにまた別の残留思念がその場所から這い出てきた。
「何だよ、これ」
殺しても殺しても、残留思念は留まることなく湧いてくる。流石の紗也羅も気味が悪かったし、自身も反撃によって少なからずダメージを負っていた。
『苦しいでしょ?』
断末魔の中を掻い潜って聞き慣れた声が聞こえた。紗也羅を取り囲む残留思念の先に、女の子が楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。紗也羅は残留思念を狩るのに必死で問いかけに応じることが出来なかった。
『ねぇ、苦しいでしょ?』
女の子は尚も訊いてくる。
「黙れ!」
答えた所為で注意力が散漫になったのがいけなかった。バリッという不穏な音が耳元で響き、左肩に鋭い痛みが走る。
視線の先に、左腕は無かった。
すぐ傍にまで迫っていた残留思念がバリバリと何かを噛み砕いている。その口の端から、黒いスーツの布が見えた。
――喰われた!
動揺が一気に紗也羅の中に広がる。右腕一本で何とか鎌を持ち直すと、自分の左腕を喰った残留思念に斬りかかった。
『今まであんたが殺してきた『残留思念』も、こういう苦しい思いをして死んでいったんだよ。その気持ちが少しでも分かったかしら?』
女の子がやけに神妙な口調で言った。紗也羅は片手では狙いが上手く定まらないことに苦戦しながら歯をぐっと食いしばった。
『ほらほら、そのままじゃ負けちゃうよ? いいの?』
劣勢に追い込まれた紗也羅を女の子は楽しそうに眺めている。無性に腹が立ったが今はそれどころではなかった。
金属特有の甲高い音が響き、鎌は宙に舞った。
「くっ……!」
それを待っていたかのように残留思念は一斉に紗也羅に襲い掛かってきた。全てが嫌にスローモーションに見える。
『……あんたにお似合いの末路だね』
女の子の声が聞こえたのを最後に、視界は完全にブラックアウトした。何が起こっているのかも分からない。
「……嫌だ、嫌だ! 死にたくないんだ!」
「三平方の定理とは――」
「塩酸を扱う際に注意することはですね――」
風に乗って耳に届く教師の声が紗也羅の意識を現実に引き戻した。どうやら寝てしまっていたらしい。視線を落とすと、左腕はちゃんと付いているし、傷など一つもなかった。手はまだ微かに震えているが。
「……いつもこれだよ」
紗也羅は小さく舌打ちした。寝ないように注意してはいるのだが、やはり本能には抗えないらしく、しかも必ず悪夢を見ると決まっていた。今の夢は、「あの子と分かり合うのは無理だ」と紗也羅に語っていたのであろうか。
上手く力の入らない身体に鞭打って紗也羅は立ち上がった。今さっきの悪夢を振り払いたかったし、陸が居るからという理由で教室に行かないのはどうも癪だった。
ふらふらとした足取りで階段を降りていく。何度も足を踏み外しかけたが、動いているうちに視界も意識も明瞭になってきた。
さっきは通り過ぎた3階の踊り場に立つ。少し先に2年3組の教室はある。社会の授業だろう、必ず眠くなると悪名高い教師の声が聞こえてきた。
後ろの扉が開いていた為、そこから中へ入る。
黒板は日本史用語でびっしりと埋め尽くされていた。あれじゃ見る気にもならない。しかも教師は羊を数えているのかと思うほどスローテンポで喋っている。撃沈している生徒が大半で、中には教科書を読むフリをして漫画を読んでいる奴もいた。
やる気ねぇな、と小さく呟いて紗也羅はクスリと笑った。それから自分の席に目を向けた。
窓際一番後ろの自分の席には、花瓶に活けられた一輪の菊が置かれている。いつもそれを見るたび怒りがこみ上げ、壊してしまいたい衝動に襲われたが、壊すことはおろか触れることすら出来ないのだ。
自分の『死』を、これが象徴しているように見えた。それを知ってか知らずか、菊は大きく伸びをするように咲き誇っている。紗也羅は思わず溜め息を吐いた。
椅子に座ることはできないので、立ったまま授業を受ける。白いチョークで埋まっていく黒板をじっと眺める。教師は半ば捨て鉢な状態で教科書片手に授業を進めていた。あんたの教え方が悪いんじゃないかな、と紗也羅は心の中で言ってみた。
後ろを見ると、紗也羅が死んでから既に3回目の更新がされている学級便りが掲載されていた。話題は先日行われた体育祭のことが主だった。リレーのアンカーとして走る、菅原陸の写真も掲載されていた。
~♪
突然紗也羅の携帯から着信音が聴こえた。いつもなら気にすることはないのだが、今回ばかりは違う。案の定、真ん中辺りの席でうたた寝していた陸が弾かれたみたいにビクッと起き上がり、その拍子でシャーペンを床に落とした。
「おい菅原、どうした?」
教師が陸に言った。クラスの隅からクスクスと笑い声があがる。元凶である紗也羅は何だか申し訳ない気持ちになった。
「あっ……すみません。何でもないです」
そう答えて陸はシャーペンを拾い上げる。一瞬、視線が後ろに居る紗也羅に向けられた。紗也羅は意識的に顔を背けた。
ものすごく居づらい雰囲気だったが、授業中に抜け出してはいけないという変な意地が働いてとりあえず教室には居た。度々向けられる陸の視線を避けるのに必死で授業はまともに聞いていなかったが。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴るのと同時に後ろの扉から廊下に出た。スーツのポケットから携帯を取り出す。陸の安眠を妨害してしまったメールの送り主は誰だったのだろうか。
『from: 蓬原優』
差出人表示にはそう書かれていた。
「あいつかよ……。今度会ったらシメてやる」
開いてみると、絵文字がふんだんに使われたビビットな文章が目に飛び込んできた。
『姫、元気ぃ? 今どこにいる? えっ、オレはどこにいるかってぇ? 自分の高校で授業を受けてまーす! 何と、鬼門と言われた世界史で寝なかったんだぜ! オレすごくね?』
ご丁寧に授業風景を写メで添付している。見知らぬ人の後頭部見たってこっちは何も楽しくないと紗也羅は思った。しかも風景の大半は優の無意味なピースサインで隠されてしまっている。
「何だよ、これ。こっちはお前の所為で教室居られなくなったんだよ、まったく」
優のメールはいつも色を使いすぎで目に悪い。即刻消去してやろうと思ったが、本文にはまだ続きがあった。
『……ところで、今朝のことの続きだけどさ。陸は姫のこと心配してるみたいだったよ。あいつなら大丈夫だよ。本当のこと教えてあげた方がいいと思うけどな』
そこで本文は終わっていた。削除ボタンを押し、「本当にこのメールを削除しますか?」という機械の質問に躊躇いなく「はい」と応じた。
「何かと思えば、そんなことかよ」
――姫のこと、心配してたよ。
携帯をポケットにしまいながら、メールの本文の一部を思い出した。
「……心配なんて」
しなくていいのに。後に続くはずの言葉は、口の中で消えてしまった。鏡を見なくても、自分が苦々しい表情をしていることが分かる。
「どうしような」
陸がいる以上、教室には行けない。仕方ないからまた屋上に行こうか、せっかくだから3年生の授業を覗いてみるのもいいかもしれない。
結局校内をぶらぶらと散策しようという結論に達し、紗也羅は歩き出した。
そのローファーが床を叩く音は、決して響かない。




