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第一章(5)


Light Side of 菅原陸


まだ太陽の光も差し込まない薄闇の中、菅原陸は目を覚ました。

最初に驚いたのは、昨日のことを鮮明に覚えていたことだった。男に殺されそうになったことも、死んだはずのクラスメイト――樋野紗也羅がそれを狩っていたことも、そして最後に交わした会話の内容も。


どうやら自分は紗也羅の言葉に反することが出来たらしかったが、それが嬉しいのか寂しいのかは分からなかった。でも、紗也羅だって本心から忘れてほしいと思っているわけではなかっただろう。

昨日の夜、陸なりに色々なことを散々考えた末の結論だった。


目覚まし時計を見るとまだ朝の5時だ。いつも二度寝して栞に力尽くで起こされる陸からすると驚異的な時間だが、何だか頭が冴えてしまって眠れそうにない。

「……走るか」

部活の大会も近い。せっかく早く起きたのだから自主的な朝練なんて粋なことをしてみるのもいいかもしれない。


片づける暇もなく寝てしまった影響で、カバンの中に押し込められていた学校指定のジャージを着る。入れっぱなしのノートを見て数学の宿題をやっていないことを思い出したが、今からやるなんて気力はまず起きないので直ちに記憶から抹消してやった。


1階に続く階段を降りているとギィギィと床板が軋む音が響いた。随所に設けられた小さい明かり取り窓からは、まだ濃い青さを湛えた空が見えた。

リビングにはやはりまだ誰もいなかった。遠慮がちにテレビの電源を入れると、早朝からやっているニュース番組が映し出された。


最近はずっとこの一帯でおこっている通り魔事件の話題で持ちきりになっている。

今も有名大学の教授とかいう人物が、殺人事件を起こす人間の精神状態についてとか何とかを専門用語満載で説明しているが、聞く気にもなれなかった。


洗面台に立つ。鏡に映る自分に、昨日の紗也羅の寂しげな表情が重なって見えた。冷たい水で顔を洗い、再び鏡を見ると幻影は消えていた。

「……よし」

頬を軽く二度叩いて、陸は玄関に向かった。


靴置場のスニーカーは、片方は脱ぎ散らかされひっくり返り、もう片方は踵を踏みつぶされているという少々凄惨な状態で転がっていた。面倒くさいのでそのまま足をズボッと入れる。いい加減靴を揃える癖をつけろと母親に言われていたが、どうも習慣化しない。


ドアノブに手をかけた時、外から複数人が何かを言い合う声が聞こえた。こんな早朝から何事だろうかと首を捻る。

――さよなら。

陸にそう告げて暗闇に消えた少女の声と、断片的に漏れ聞こえるそれが見事に重なった。


慌てて外に出てみると、案の定紗也羅はそこにいた。真っ黒なスーツに、手には赤い傘。昨日と全く同じ出で立ちだ。隣には優と呼ばれていた少年もいる。

紗也羅は困惑に揺れる目を見開いた。


「……樋野?」

これが合図だったかのように紗也羅がものすごい勢いで陸に背を向け駆けだした。何故逃げるのか分からない。

「待って!」

「追わないでやってくれないか?」


急に呼び止められ、走り出そうとしていた陸は前につんのめるような恰好になった。何とか体勢を立て直す。

「いきなりごめんね。えぇーっと……菅原くん、でいいのかな?」

困ったように紗也羅の走り去った方向を見つめていた優だったが、陸の視線に気づくと人懐っこい笑顔を浮かべた。


「あっ、はい。菅原陸です」

「ならいいや。名乗ってくれたんだからコッチも名乗らないとだよね。オレは優、ヨモギハラユウ。よろしくね、陸くん」

まるで前からの知り合いのように優は気さくに陸に話しかけてきたが、よく見るとその目は紗也羅と同じ、どことなく悲しみを湛えた色をしていた。


「よろしくお願い……します」

運動部に所属している所為か、どうしても年上には丁寧口調になってしまう。

「それにしても、まだオレ達のこと視えてるんだね、すっげえびっくり」

陸をまじまじと見つめていた優はあくまで軽い口調で言った。


「昨日樋野も言ってたんですけど……オレが貴方達を視るっていうのはそんなに不思議なことなんですか?」

「不思議不思議、だってオレ達一応死んでるからね」

いきなり核心に触れてくるようなことを、しかも優はさらりと口にした。


「えっ?」

「姫のクラスメイトだったっけ?なら分かると思うけど、姫もオレも、昨日一緒にいた璃佳って女の子も、皆この世には存在しないはずの人間だよ」

こうして会話している状態でそんなこと言われたって理解しかねたが、紗也羅のことを引合いに出されては納得するしかない。


「……一つ、聞いていいですか?」

「いいよー。答えられないこと以外なら何でも答えるよ」

「なら。その、貴方達は俗にいう幽霊とかゾンビみたいなものなんですか?」

陸の質問に優は申し訳なさそうに笑った。そうやって目を細められると、優が何だか猫みたいに見えると陸は発見した。


「そういう分かりやすい言葉で説明できればベストだったんだけどね……。生憎オレ達のことを単語一つでずばっと簡潔に説明することは不可能なんだよなぁ。まず生きてるか死んでるかの線引きすら怪しいからね」


「……でも、さっき自分で『死んでる』って言ってたじゃないですか」

優はうーん、と唸りながら腕組みをして黙り込んでしまった。ずっと気になっていたことが分かるかもしれない、陸は緊張しながら続きを待った。


暫くして優は口を開いた。

「微妙なところなんだよな。オレ達は論理上間違いなく死んでいるし、事実身体はとっくのとうに灰になってる。今のオレ達は『魂』だけの存在なんだ。魂だけが強い思いでこの世に繋ぎ止められてる――」


唐突に優が陸の額に指を押しつけてきた。しかし触れられた感覚は無く、そのまま腕ごと陸の身体をすり抜けてしまった。一瞬驚いたが、不意に紗也羅のスーツの袖を掴もうとしてそれが出来なかったことを思い出す。


「ほらね」

そう言われたところで、すぐに「はい」と言えるはずもない。陸が困惑していると分かったのか、優は更に続けた。


「……実際のところ、オレだってよく分からないんだ。オレ達はただ『雇われた』だけだから」

「雇われた……?」

詳しいことは分からないが、きっと雇い主は白髪頭が目を惹いた八神という男だろうと思った。


「そう。雇われたら雇った側のニーズに応えなきゃいけない。そうすればそれに応じた対価を得ることができる。そうだろ? その対価を、オレ達は欲してる。生者でも死人でもない今の状態から、完全な生者に戻る為の対価を――」


そこで優はふっと言葉を切り、少し寂しげに微笑んだ。途端に悲しみが色濃く目に反映する。陸がどうしたのだろうと思って話しかけようとした時、それを手で制して言葉を継いだ。

「ごめんね。オレ説明下手だから、途中で何言ってるか分からなくなっちゃった……っていうのはまぁ嘘で、詳しいことは姫に聞いてほしいんだ」


「樋野に?」

優がこくりと頷く。

「姫――紗也羅はさ、君が真実を知って拒絶されてしまうのが恐いんだよ。だけど、君には知る権利がある。だからどうか、知りたいと望むなら紗也羅の存在を受け入れてやってほしいんだ。本当はオレが全部話したっていいんだけど、君だって直接聞けた方がいいだろ? 紗也羅が今どんな状況に置かれていて、何を求めているのか、を」


そう語る優の目は穏やかで、どこまでも深い慈愛に満ちていた。年齢はそんなに離れていないはずなのに、どうしてこの人と自分とこんなにも違うのだろうかと陸は思った。


樋野紗也羅は、文字通りの優等生で友人も多かった。クラスメイトも快活な印象しか抱いていないようだったが、陸は気づいていた。

紗也羅の顔に時々暗い影がさすことを、悲しげな顔で微笑むことを。

そして、その理由を知りたいとも思っていた。

ちょうどいい機会じゃないか。


「分かりました」

「そう言ってくれて安心したよ」

優が底抜けに明るい笑みを浮かべる。この時初めて、陸は悲しみを背負うこの少年を年相応に見ることができた。


「そういえばさ、陸は何か部活やってるの?」

優が陸の学校指定ジャージを指さした。もう言うべきことは言い終えたらしく、陸に向けられているのは純粋な興味だった。

「あぁ、バスケットボールをやってます」

優の目が目当ての玩具を見つけた子供のように爛々と輝いた。


「マジか! オレもバスケやってるんだよね。バスケいいよね! オレもまたみんなとバスケしたいなぁ……」

優はシュートの真似事をしながら微笑んでみせた。しかし、その笑顔がどこか引き攣っていることを陸は見逃さなかった。


それを境に沈黙が二人の間に落ちる。

優も話を切り出そうとはせずどこか遠くを見つめている。この空間を嫌だとは思わなかった。むしろ心地よいとすら陸は感じていた。

どれくらい黙っていたのだろうか。沈黙を破ったのは栞が窓を開く音だった。


「お兄ちゃん?道路なんかに突っ立て何してるの? 朝早く起きてるってだけでも可笑しいのに、それじゃあまさに不審者! って感じだよ」

自分と違って早寝早起きという典型的な健康生活を送っている栞はいつも6時前には起床している。もうそんな時間になっていたのか。


「別に朝早く起きたっていいじゃねぇか。あと兄貴を不審者扱いするな」

「変なのー。そういえば、今日は朝ごはん当番あたしだからさ、せっかくだしお兄ちゃん手伝ってよ」

菅原家では朝ごはんは栞と母親が交替で作っている。どうやら今日は栞が担当の日らしかった。いつも遅刻に危険信号が点滅するまで寝ている陸はそこら辺をいまいち把握していなかった。


「分かったよ、仕方ないな」

そう言いながらも優の方をチラリと見やる。優は少し寂しげな表情をしながら、「妹? 可愛いじゃん」と笑っている。

「それじゃ、オレはここら辺で。あー、今日の授業世界史と物理のダブルヘッダーじゃん。寝るな、絶対」

後半は相手を必要としない個人的な呟きらしかった。優の姿がどんどんと遠ざかっていく。呼び止めたかったが栞がいる手前それは出来なかった。


「ほら早く、今朝はハムエッグと野菜スープ作るんだから!」

急かされ仕方なく玄関のドアを開けた。


――知りたいと望むなら紗也羅の存在を受け入れてやってほしいんだ。

どこまでも穏やかな響きを持って陸に向けられた言葉が脳裏に焼き付いて離れない。

物事は形からだと栞に手渡された妹と色違いの青いエプロンを渋々身に着けながら、陸は考えあぐねていた。


優は自分達を『強い思いに繋ぎ止められた魂だけの存在』だと言っていた。彼らを繋ぎ止めるものとは、一体なんなのだろうか。


「ほら、ぼぉっとしてないでさっさと玉ねぎみじん切りにする! これじゃあ、あたしがやった方が早いよ全く……」

思考の渦へ身を投じようとするたび栞にせっつかれて集中できない。いちいち器量の悪さを批判するくらいなら手伝わせなければいいのに。


心の中で悪態をつきながらも、陸は目の前に転がる玉ねぎとの格闘を優先することにした。




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