男女の友情は成立しない?だったら俺も女になる
わたしはサークル棟の入り口で、このまま入るかそれともサボって家に帰るか、かれこれ五分は悩んでいた。
まだ五月の終わりで、サークルに入ったばかりだというのに、すでに顔を出すのが気まずい出来事が起きていた。
先週、サークルの飲み会があった。その席で、わたしと同じ一年生の佐川という男子に、今度二人きりで遊びに行かないかと誘われたのだ。
「何のために?」
と、わたしは思わずマジレスした。言ってしまってから「キツい言い方だったかも」と後悔したけど、佐川くんは怯むことなく、
「何って、同級生で同じサークルに入ってる、俺ら友達じゃん? 友達同士が二人で遊んで何がおかしいん?」
と言ってきた。
佐川くんは髪を明るい色に染めて性格は明るくお調子者だったが、とにかく女好きであちこちに声をかけているという噂があった。
「ねえー凛ちゃん、いいじゃん、一回だけ、試しに行こうよー」
と、甘えるように言ってくる。大して仲がいいわけじゃないのに下の名前でちゃん付けしてくるあたりが、いかにも"ちゃらい"。
「わたし、男女の友情って成立しないと思ってるから」
「ええー? つまりあれでしょ、俺と一緒に遊びに行ったらデートになっちゃうってこと? うわー照れちゃう」
「そしてわたしは交流の浅い人とデートはしないし」
「じゃあまずは交流を深めに行こうよ友達として」
「男女の友情は成立しないので」
「キッツー! それじゃあ俺、絶対に凛ちゃんと付き合えないじゃん」
「だから、そう言ってるんだけど」
わたしができるもっとも拒絶的な表情を作って見せた。すると佐川くんの陽気な態度はあっという間に萎びてしまい、飲み会が解散するまで彼はずっと隅の方で背中を丸めていた。
そんなことがあったばかりなので、佐川くんと改めて顔を合わせるのは気まずかった。仮に佐川くんがめげずにわたしを誘ってきたとしても、それはそれで面倒くさい。
サークルに行かない理由はいくらでも思い付く。しかしそれにしても、わたしはあのとき佐川くんの誘いを受け入れるべきだったとは思わないし、佐川くんのせいでわたしがサークルに行けなくなるというのも間違っているような気がする。
結局わたしは無駄に足を止めて悩んだだけで、最終的にはサークルに顔を出すことを決断した。
サークル部屋には知らない女子が一人だけいた。わたしは拍子抜けして、その知らない女子に会釈して椅子に座った。一体誰だろう。新入部員が来る季節はもう過ぎている。誰かの連れだろうか……。
しかしその女子はわたしを見つけると、ぱあっと顔を輝かせた。
「凛ちゃん!」
それは知り合いを見つけたときの顔だった。知らない相手からそういう反応を返されてわたしは戸惑う。
その女子は茶色の髪をふわふわにウェーブさせていて、ナチュラルメイクで顔の良さが際立っている。着ている服もかなりセンスが良さそうに見える。一級のモテ女子、という感じだ。わたしとは接点がありそうにないタイプ。
そんな人と知り合いなら忘れるはずはないと思うのだが彼女の顔にはまったく見覚えがない。
自分の記憶力の弱さよりも、一級女子のことを忘れているという自分の無礼さの方に焦りを覚えつつ、わたしは曖昧に挨拶を返した。
「えー、なんか他人行儀じゃない?」
女子はずいとわたしの方に近づいてきた。
「あの……すみません、わたし、人の顔を覚えるのが苦手で……」
「あはは! ごめんごめん。いじわる言ったね。覚えるも何も、この顔で凛ちゃんと合うのは初めてだし」
『この顔』……? メイクのことだろうか。
「私、佐川だよ。佐川昴。先週の飲み会で一緒だったじゃん」
佐川といえば、わたしに執拗に言い寄ってきたあの男子の顔しか思い浮かばない。他に「サガワ」なんて人、いただろうか……?
「で、どう? 男女の友情は信じてなくても、女同士なら遊びに行くのはアリでしょ? 私と遊びに行こうよ」
それは飲み会のときに佐川くんと話したことだった。
私はにわかに混乱した。
「その……女装ってこと?」
わたしがかろうじて言葉を発すると、佐川くんはしばらく考える素振りをしてから、
――わたしの手を掴むと、佐川くんの服の裾の中に入れた。
わたしの手の先に、ブラジャーと、柔らかい膨らみが当たった。
「――ね、本物でしょ」
佐川くんはそう言って笑った。
「どう……やって……?」
わたしは声を絞り出した。
「悪魔と契約したの」
「『悪魔』……?」
「別にそんなことはどうでもいいでしょ。それよりも」
佐川くんは両腕を広げてわたしを抱擁した。
「なに……?」
「友情のハグ。女同士なんだから友情は成立するでしょ」
佐川くんは香水をつけているようだ、とわたしはそのとき気がついた。
女の子の匂いと女の子の体温がわたしを包んでいた。
「ん~」
そして佐川くんはわたしの首筋に唇をつけた。
「ちょ、ちょっと!」
「へーきへーき。友達同士のスキンシップの一環」
「……そもそもわたしと佐川くんは友達じゃないと思う」
「あー! この期に及んでまだそんなこと言うの?」
佐川くんは両手でわたしの頬を挟んだ。
目の前に、どえらい可愛い女子の顔があった。
「どうすれば友達って思ってもらえる?」
「どう、って……」
「キスしようか」
「はあ!?」
「友情のキス」
「友達同士でキスなんて普通は――」
しない、と言い切れるだろうか。
高校時代、クラスの陽キャ女子がふざけてキスしてるところを写真に撮ってた光景を見たことがある。
でも……だからって……。
佐川くんは、わたしの返事を待たずに唇を押し付けてきた。
彼女の唇は、柔らかく、そして甘かった。
「……しちゃったね」
彼女は嬉しそうに笑った。わたしはどきりと心臓が跳ねた。
「これで私たち、友達になったでしょ?」
「そうなの……かな……」
「ここからもっと進んで、私たち『親友』にならない?」
「え――と、あの、それって」
「私のアパート、すぐ近くだから。そこで、ね」
彼女はわたしの太ももを優しく撫でた。ぞくりとした感覚がわたしの背筋を駆け上った。
これが、わたしと彼女の『友情』の素敵な始まりだった。




