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日々の隙間に咲くもの  作者: 穂乃歌
記憶の扉がひらくとき
3/10

結び編 下 Fin.

 その夜、ポツポツと窓を叩く雨音に目を覚ました。

 カーテンの隙間から街灯の明かりがにじんで、部屋の中はぼんやりと明るい。時計を見ると、まだ午前二時を少し回ったところだった。眠りは浅く、胸の奥に溜まった言葉が、どうしても外に出たがっている。


 寝返りを打ってスマートフォンを手に取る。

 私はメッセージアプリを開いた。画面には、寝る前に話していたやりとりが残っている。

「ねえ、祐。明日って、時間ある?」

 そう聞いた私に、彼は「あるっちゃ、あるかな?午前なら空いてると思う」とだけ返してきた。そのありきたりな文が、胸を軽くした。


 会う約束を取りつけたはずなのに、どこかから込み上げてくる不安は消えない。私の気持ちが、彼に伝わってしまったらどうしよう。と逆に、伝わらなければ、この宙ぶらりんな関係はどこへ行くのだろう。


 スマホを置き、しばらく天井を見つめた。

 彼と出会ってからのことを、自然と思い出す。最初はただ高校の同級生だった。昼休み時間に交わす小さな雑談、学校の帰り道での何気ない会話。けれどその積み重ねが、私にとってはかけがえのない日々だった。


 「好き」という言葉を使わなくても、気持ちはきっと伝わる。そう信じて高校時代を過ごしてきた。けれど季節が巡るたび、心の奥で芽生えた感情はますます膨らんでいく。

 学生時代でこの気持ちを終わらそうと、割り切っていたのに…。見ないふりをしても、もう隠しきれない。


 枕元のカレンダーに視線を落とす。三月の終わり、もうすぐ春。桜のつぼみはふくらみ始めている。

 彼と話す明日が、ほんの少しでも特別なものになればいい──そう願いながら、私はようやく重くなる目を閉じた。


 夢を見た。祖母の隣には祐がおり、二人とも縁側微笑みあっていた。こちらに目線が注がれている事に気づき、祖母は私に視線を向けて言った。

「ようやく見つけたのね。よかった。

あなたの春…正確には音が、祐くんを連れてきたのよ」

 私は発する言葉を失って、ただ頷くだけしか出来なかった。


 翌朝。雲間からのぞく淡い光が、部屋をやさしく照らしていた。

 眠気を引きずりながら身支度を整え、外に出ると、雨上がりの空気が思いのほか澄んでいる。街路樹の葉から滴る水が光を反射し、道のあちこちに小さな輝きを散らしていた。


 待ち合わせのカフェへ向かう道すがら、心臓の鼓動が早まっていく。

「おはよう、よく眠れたか?」

 先に着いていた彼が、注文を済ませていた模様だ。カップを片手に手を振っていた。その笑顔を見ただけで、胸の奥の痛さは少しやわらいだ。


 テーブルにつくと、会話はいつもと変わらない。趣味のこと、互いの近況。どんな話題でも、彼と話していると時間がゆっくり流れる気がする。


 窓際の席から差し込む光がふと、彼の横顔を照らした。その瞬間、胸が痛むほどに格好いいと思った。

 この気持ちを、もし口にできたなら──。


 けれど言葉は喉でつかえて、口元がキュッとなり、どうしても出てこない。代わりに私は、頼んだ飲み物カップを両手で包み込むように持ち上げ、深呼吸をした。


「ねえ」

 私の声に、彼がカップを置いてこちらを見た。

 その穏やかな眼差しに、胸の奥がじんわりと熱くなる。言葉にすれば、きっとこの空気は変わってしまう。けれど黙ったままでは、何も始まらない。


「どうしたんだ?」

 彼が首をかしげる。その仕草すら、私の目には愛おしく映った。


 けれど、口を開こうとするたびに心臓が跳ね、声が消えてしまう。

 一瞬の沈黙を埋めるように、店内のBGMが流れる。カップを握る指先に力がこもる。


「あっ……ごめん、何でもない」

 結局、私は視線を落として笑ってごまかした。


 彼は少し不思議そうに笑い返す。それ以上追及しないところが、彼らしい。そんな優しさに救われると同時に、少し苦しくもあった。


 会話は私の都会の話に戻り、時間は穏やかに流れていく。外の光はだんだんと強くなり、窓辺の街路樹の枝先には、小さな芽が陽を受けて輝いていた。


 ──その姿を見た瞬間、胸の中で何かがほどけた気がした。


「ねえ、来週の休み、桜見に行かない?うちの庭にある桜、で良ければだけど…」

 気づけば、自然とその言葉が口をついていた。


 彼は驚いたように目を丸くし、それからすぐに笑顔になった。

「いいね。いつかあそこで花見出来ないかなって思った事あったし、あそこ何かと落ち着くんだ。」


 返事を聞いた途端、胸の奥に温かなものが広がった。たったそれだけの会話なのに、距離が一歩近づいたように思えた。


 話し終えてカフェを出ると、雨上がりの町はすっかり明るくなっていた。アスファルトに映る青空が、まだ少し濡れた靴先を包み込む。

 横を歩く彼の足音が、不思議と心地よいリズムに聞こえた。


「別れ際にごめんね?ちょっと(うち)に寄って行かない?」

「え?う、うん…?」と困惑した様子で返事する彼に、絶対伝えたい事が一つあったからだ。


 祖母の家…引っ越す時に家の名義を自分に変えたから、(うち)だけど。彼に寄ってもらって部屋から玄関外にオルゴール持ってきた。


「このオルゴール()を、覚えていてくれてありがとうね。……もし…もしだよ?この音が好きだったら、あなたにもらって欲しいな」

 彼はほのかに頬を赤らめて、少し戸惑いながらそれを受け取った。微かにだが、木箱が震えたように感じた。


「んじゃ、また来週。楽しみにしてる」

 そう言ってオルゴールの木箱を鞄にしまった後、彼が私を見る。その笑顔に頷きながら、私は心の中でそっと呟く。


 ──きっと、今日のことを忘れることはないだろう。


 思い切って気持ちを告げることはできなかった。けれど、こうして約束を重ね、()()を一緒に迎えられることが、今はただ嬉しい。


 春はもうすぐそこまで来ている。膨らんだつぼみが花開く日を待つように、私の想いもまた、静かに芽吹き続けている。


 それが、私にとっての“春”()なのかもしれない。

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