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日々の隙間に咲くもの  作者: 穂乃歌
記憶の扉がひらくとき
2/10

目覚め編 中

 ──それからというもの、私は毎晩オルゴールを枕元に置いて眠るようになった。

 泥のように眠れる日もあれば、逆にオルゴールの音を求めてしまう日もあった。眠る前にネジを巻くたびに、流れる旋律は夢の中ではよりゆっくりと、深く響くように感じられた。気づけばその小さな箱は、私の生活の一部になっていた。


 ある夜、布団に横たわると、意識が落ちたように眠る。そこは夢で、縁側に祖母が立っていた。祖母の顔に柔らかな光に包まれ、ぽつりぽつりと昔話を話す。茶碗の話、近所の猫にあった出来事の話、私が幼い頃に小さな手で庭の雑草を引いていた頃のこと……。断片的な会話の端々に、春に嗅いだことのある匂いがは鼻を伝う。過去にあった光景が脳裏によぎる。


 夢の中の祖母は、優しく微笑みながら私を見つめる。

「春は音で目を覚ますのよ」


 その言葉は夢の中で囁かれると、現実の空気を震わせるように胸に残る。何かの隠語なのだろうか?

 ──次から夢では不思議な事に、祖母との会話が少しずつ増えていった。


「この音をね、ずっと守ってきたのよ」

「誰が?」と私が聞くと、祖母は首をかしげて笑った。


「音は、記憶とつながってるの。誰かが思い出すたびに、ちゃんと鳴るのよ」


 夢の中で祖母が持っていたオルゴールを私は受け取った。視線を手の中に移し、オルゴールは当たり前だが冷たくて、でも生き物のように脈を打っているようだった。

 そして、私はふと視線を祖母に向けた。


「…()()()、まだ来てないのかしら」

「あの子って、誰のこと?」と私は尋ねると、祖母はいたずらっぽく笑った。

()()()の春よ」


 目が覚めると、窓の外は淡い曇り空だった。

 ある朝、朝支度を終わらせてなんとなく引っ越してきた日に片付けていた押し入れの中を整理していた。


 そこには見た事あるような無いようなオルゴールと同じような箱が出てきた。多分、私が祖母といた夢で見たものとそっくりな気がする。


 ──確か、あの日片付けてた時にはこんなの無かった気が……。


 手に取った箱の中には折り畳まれたメモがあり、開けてみると祖母の文字で「目を閉じて聴いてごらん。春は、まだそこにいる」とだけ書かれていた。また隠語だ。この古い紙のメモは祖母が書いたものに違いないが、どのような意図で祖母が書いたのか検討がつかなかった。


 それ以来、私は時々耳を澄ます。これはただのオルゴールじゃない。たぶんこれは、記憶のどこかにしまってしまった不思議な音。


 誰かの大切な記憶を、そっと呼び起こすように。そして、春の気配を教えてくれるように。と、祖母が言っている隠語を真似してみる。


 私は少しずつ、戻ってきている気がする。あの日のまだ楽しかった自分に。もう会えない人たちと過ごした、静かな春に。


 次の日、町の図書館に向かうことにした。生前の祖母がよく通っていた場所だ。

 たまたまだった、本当にただの気分転換のつもりで向かっていた。歩く道の脇には、まだ固いつぼみを残した桜並木が続き、風が頬を撫でるたびに町の懐かしい匂いが漂う。もう何回目だろうか?こう感じるのは、都会では感じられなかった、土や草木の香り、乾いた空気、遠くで小鳥の鳴く声……。それらすべてが、心の奥底に埋もれていた感情を揺さぶった。


 図書館に着くと、木の床に反射する光、静かな空気、棚に並ぶ古書の匂いが一気に私を包んだ。ふと、視線の先に見覚えのある横顔があった。高校時代に少しだけ付き合った(ゆう)。転校を機に疎遠になって以来の再会だった。彼は本のページをめくりながら、最初は私に気づかないようだった。


 小声で呼びかけながら肩をトントンと軽く叩くと、彼は肩が少し震え、目が私を捉えた。数秒の沈黙のあと、互いにぎこちない笑みを浮かべる。会話は最初は照れくささに沈むが、徐々に距離が縮まり、控えめな笑いがこぼれた。


「まさか図書館で会うなんて、偶然だね」

「うん。最近仕事辞めて、この町に帰ってきたんだ」


 座高でも分かったが、(ゆう)はあの頃より少し背が伸びていたみたいだ。成長期終わったって言っていたのに、最後っぺが残っていたみたい。


 場所を変え、祖母の家の縁側に腰掛けながら話していた。話している中、彼は軽く肩をすくめ、遠くを見つめながら言う。

「ねえ、覚えてる?中学の頃、君のおばあさん家の裏の小さな道で遊んだこと」


 私は咄嗟に頷いた。記憶の端に置いてあった思い出だ。砂利に落ちた光、草むらで見つけた蜻蛉、祖母が作ってくれたおにぎりの塩気……。祐もまた眉を寄せ、遠くを見つめる。

「ずっと、あの時の事だけは忘れられなくてさ。君のおばあさん家から流れていたオルゴールみたいな音と一緒に、ずっと心の奥に残ってた」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。あの旋律は、私だけのものではなかったのだ。(ゆう)にも、同じ音が届いていたという事実が、奇妙な安心と不思議な不安を同時に運んできた。


 その夜、オルゴールを巻きながら私は考えた。オルゴールが誰かの記憶と繋がるという祖母の言葉は、夢の中だけではなく、現実の町のどこかにも届いているのかもしれない。もしそうだとしたら、春の音はいくつもの心を揺り動かしているのだ。


 そして偶然は何度もあるみたいで、彼に会う回数が多くなった。彼も狙ってやった訳では無いようだった。

 それは町のスーパーで、帰り道の坂で、縁側の前で。


 高校時代っていうのは、祖母の家の近く、要は地方の高校だった。両親が共働きなのだが、父の仕事の都合で転勤が発生した。その時に少しだけそこの高校に在籍していたのだ。


 本当に図書館で再会なんて思いもしなかった。再開するまでお互い、忘れていた。

 ある日、彼がふと元祖母の家を見上げ、少しぎこちない会話をしていた中で言った。


「なんかさ…この近くに来ると、柔らかくまろやかな音色が聞こえてたなって」

「……オルゴールの音みたいな」


 私は一息のんで問い返した。

「覚えてるの?よく流れてたよね」


 祐は少々驚いたような顔をし、答えた。

「うん…でもさ、まだ君が小学の長期休みでくる前に一回だけ。君のおばあちゃん家に、遊びに行った事があるんだ。そん時にも聞かせてもらったんだ。結構耳に残ってて…」


 私たちの間に、見えないものがそっと重なった。通じ合ったのかも知れない。不思議な感覚だ。

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