第九話
男が振り返ると、艶やかな黒い長髪がゆらりと揺らぎ、その端正な顔立ちがあらわになった。リリシアやグランゼーノのようなきらびやかな顔というよりも、静謐な美しさが感じられる顔立ちで、瞬き一つがリリシアの心を魅了する。顔だけは良いグランゼーノ王子と比べてもリリシアには随分と美しくかっこよく感じられた。
「どうぞ。初めましてアルベルト・アルバインです。今回あなたの処刑を担当する者です」
やはり自分を処刑するらしいその男アルベルト・アルバインは、リリシアの元へ近づき、手を差し伸べてきた。ただ、もはやリリシアにとって処刑などどうでもよく、興味はすべて処刑人のアルベルトに注がれた。もちろん手は握る。しっかりと。
近くで見ると、アルベルトの顔がより美しく感じられたが、ただその吸い込まれるような漆黒の瞳からは何とも冷たさを感じた。アルベルトの表情には感情が宿っているようには見えなかったが、みんなが合わせようとしないその瞳から自分の視線を離せなかった。いや、離したく、そらしたくなかった。
なにこれ、なにこれ、なにこれ! これは恋ってやつ? 一目惚れってやつ? ゲームには出てこなかったよね? 私の初恋は今ここで発動されちゃったの? もう私処刑されるのに? 私を処刑する男に恋しやったわけ?
アルベルトに対する感情は、これまでに経験したことがないほどの胸の高鳴りは、ただ単純にアルベルトの顔がいいからではなく、絶対的に恋であり、前世を含め、恋などしたことのないリリシアにもこれは恋だと確信することができた。
だから、リリシアは混乱していた。
自分は処刑される、処刑するのは目の前のアルベルト。でもそんな処刑人アルベルトに恋をしてしまった。すぐに死ぬのに、初めての恋を。
けっして、リリシアは処刑と初恋という両極端の現状に置かれたから、そのはざまで混乱しているわけではない。
混乱はすべて恋によるもので、生まれて初めての恋、初恋はそれだけ衝撃的なものだった。頭の中はすべてアルベルトのこと、体の中ではアルベルトへの恋心を動力に血液が加速し、熱を持った。顔はほてり、頭はぼんやりと思考が薄れていき、視界からはアルベルト以外がだんだんと霞んでいくのにアルベルトだけが視界の中で輝きを増す。アルベルトを見れば見るほど恋心が大きくなり、これではどうしようもなくなるから目をそらしたいのにもっと見ていたい。アルベルトの手を握る自分の手の熱がアルベルトに伝わっているんじゃないかと恥ずかしいのにもっと握っていたい。叶うことがないのはわかっているのにもっと近づきたくて、もっと触れたい。体にも心にも。
処刑される未来がもはやリリシアの心を揺さぶる隙はなく、自分でも笑っちゃうくらいにアルベルトへの恋心に染まった。
とどまることを知らず大きくなる恋心は矛盾を生みリリシアを悩ませ、何があっても永遠に実ることはない恋心は欲求をあらわにしリリシアを苦しませ、そして初めての恋心は訪れる未来に対するリリシアの恐怖心を塗りつぶしてくれた。
だから、リリシアは覚悟ができた。
恋が成就しなくても、これ以上触れることができずとも、アルベルトへの恋心は本物で、この気持ちが処刑されるその時まで消えるようなものではないことは、今の時点ではっきりとわかるから。
だから、だから、だから……死へ向かうにはそれだけで十分だった。
好き、、、好き、、好き、好き好き好き好き好き……。
差し伸べられた手から離さず握っていると、
「リリシアに触るな!」
父によってその手は振りほどかれた。怒鳴るようにアルベルトの手を払った父の顔には厳しいものがあった。振り払った後もアルベルトを睨みつけている。
「陛下、お願いです。何とかリリシアをお助けくれませんでしょうか」
その隣では涙を流しながら母が国王に懇願している。
「しつこい。貴様らも相応の身分であるから、我の寛大な心で処刑をリリシアだけにしてあげているんだ。リリシアが犯した罪は本来ならミッシュバルク家の者、全員を処刑してもおかしくはない重罪だ。これ以上、国王である我の判断に意見するなら、お前ら二人にも死刑を科すぞ」
リリシアは、もう二人に無理をさせたくはなかった。転生したとはいえ両親を思う気持ちは体に残っている。これ以上、国王の機嫌を損ねると父と母も危ない。
「お父様、お母様。もう大丈夫ですわ。頭を上げてください。私は天から与えられた運命を受け入れます」
できるだけ両親の心労を考えて、リリシアは気丈にふるまった。
「お父様、お母様。今までありがとう。グランゼーノ王子、皆様、それではごきげんよう」
リリシアは、ドレスの裾を持ち上げ、一礼した。
この部屋を出たら待っているのはそれこそ死だけ。
父と母とももう会えないかもしれない。
そう思うとほんの少しだけ恐怖とそして寂しさが顔をのぞかせたが、
でも──
大丈夫、わたしには恋があるから。
「では、参りましょう」
リリシアは処刑人アルベルト・アルバインとその他四人の男たちに連れられるよう、貴族たちの視線を浴びながら、夜会会場をあとにした。




