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堅岩拳剛

 

 突然の訪問者を見送ったあと、堅岩は心の中で呟いた。


「そんなに簡単に説得されるわけにはいかない」


 例え次期スポーツ庁長官や可愛い教え子の依頼だとしても、頭越しに決められた筋の通らないことに同意するわけにはいかなかった。何故なら、教育は堅岩の人生そのものであり、不可侵の領域だからだ。それを土足で踏み込まれるような今回のことは許せなかった。政治家や役人が勝手に決めたことをハイハイと聞くわけにはいかない。己の信念を曲げるわけにはいかないのだ。

 しかし、2人の説得に何故か心が動かされているという不思議な感覚を否定することもできなかった。堅岩は訪問者が出ていったドアを見つめて、大きく息を吐いた。


        *


 その週末、堅岩は自宅に籠って、飛鳥と三角の言葉を何度も反芻した。気になって頭から消えなかったからだ。ソファに座り、腕組みをして、彼らの言わんとすることを考え続けた。


 う~ん、


 唸ってから立ち上がって、机の引き出しから1枚の紙を取り出した。それは、教育文化省が作成した『教育委員会制度の概要』だった。そこには、教育委員会制度の意義が記されていた。

 ①政治的中立性の確保 

 ②継続性、安定性の確保 

 ③地域住民の意向の反映


 紙を裏返した。具体的な業務内容が記されていた。

 『学校教育の振興』

 『生涯学習・社会教育の振興』

 『芸術文化の振興、文化財の保護』

 『スポーツの振興』


 スポーツの振興の下欄に記された4項目に目を凝らせた。

 ・指導者の育成、確保

 ・体育館、陸上競技場等スポーツ施設の設置運営

 ・スポーツ事業の実施

 ・スポーツ情報の提供


 う~~ん、


 また唸った。残念ながらどれも十分な取り組みができていなかった。首を振るしかなかったが、それでももう一度紙を裏返して、教育委員会制度の意義をじっくりと読んだ。

 『個人の精神的な価値の形成を目指す』

 『子供の健全な成長発達』

 『学校運営の方針変更等の改革・改善は漸進的なものであること』

 『地域住民の意向を踏まえる』


 う~~~ん、


 個人の精神的な価値の形成、子供の健全な成長発達、そのどちらも期待するレベルにはほど遠かった。現在の学校運営を続けている限り、この意義の達成は難しいのかもしれないと思った。


 う~~~~ん、


 堅岩の唸り声は深夜になっても消えることはなかった。


        *


 翌日も朝から部屋に籠った。飛鳥の言葉を思い返しては胸の内で何度も反芻した。


「才能のある子供をできるだけ早い時期に発掘して、能力を伸ばしていくことが必要です。同時に、社会性を身につけさせ、自分で考え抜ける精神力を鍛えなければなりません」

「荒廃した学校の立て直しが喫緊の課題であることは承知しています。しかしいくら手を打っても、校長を始めとした教職員の意識が変わらなければ問題解決には繋がらないのではないでしょうか。既存のシステムを温存したままで虐めの問題を解決するのは難しいと思うのです。だからこそ抜本的な対策が必要なのです。教育長のお立場は十分理解していますが、ここは柔軟に考えていただけないでしょうか。どこが主導権を握るかというレベルを超えて、オール夢開市で取り組んでいただけないでしょうか。スポーツ庁も全面的に支援させていただきますので」

「教育特区を活用したスポーツ専門中学校を成功させ、虐めのない学校運営を実現させると共に、日本スポーツ界の未来を切り開きましょう」


 目を閉じると、三角が体の前で両手をぐっと握って発した言葉が再び蘇ってきた。


「堅岩先生、チャンスです。スポーツ教育に、いや、公立中学校教育に大きな一石を投じるチャンスです。それも、この夢開市で始められるのです。こんな幸運、一生に一度有るか無いかです。先生!」


 う~~~~~ん、


 長い唸りを発したあと、息をいっぱい吸い込んで天井を仰いだ。呼吸を止めたまましばらく動かなかったが、それも続かず、何かを吐き出すように大きく息を吐いた。

 それから、ゆっくりと頭を下げ、テーブルの上に置きっぱなしの紙に目を落とした。そしてボールペンを握り、そのままじっと紙を見つめ続けた。


 少ししてボールペンを持つ手が動き、『学校運営の方針変更等の改革・改善は漸進的なものであること』という文章の中の『漸』という漢字の上で止まった。

 ごくりと唾を飲み込んだ。自分の決意を確かめるような音だった。


『漸』という字にメスを入れるように、ボールペンで〈さんずい〉を消した。

『斬』という字になった。

 そして、『進』を二重線で消して、その横に『新』と書き加えた。

漸進(ぜんしん)』が『斬新(ざんしん)』になり、意味が変わった。『少しずつ進歩すること』から『発想が独自でそれまでにまったく類のないさま』へと一変した。

 斬新の文字に赤いボールペンで丸を付けた。その瞬間、堅岩の覚悟が決まった。熟慮を重ねて決意を導き出した目が、公立中学校教育の将来を見つめていた。



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