「記憶(メモリー)の境界」
「記憶の境界」
薄暗いラボの奥で、蒼白い光が一筋、冷却シリンダーの中心を照らしていた。
ガラス越しに静かに眠る“彼女”――いや、“沙希”。
それはアンドロイドとして蘇った、かつての幼なじみの姿。
沙羅としての記録を内包しながら、沙希としての意識が呼び起こされていた。
宅夫は、しばらく言葉を発せず、ただガラス越しに立ち尽くしていた。
やがて、カプセルが吐息のような蒸気を漏らし、内部のロックが外れる音がした。
「……沙希」
冷却装置が下がると同時に、彼女の瞼が静かに開いた。
「……たくお、くん?」
その声に、宅夫は全身の力が抜けたように膝をついた。
涙が頬を伝い、床に落ちる。
「…帰ってきた、んだな……沙希……!」
沙希の表情に、かすかな困惑が浮かぶ。
だが、それも一瞬だった。彼女はそっと手を伸ばし、宅夫の頬に触れる。
「ずっと、夢を見ていたの。あなたが泣いてる夢……あの日の、あの事故の日からずっと……」
「ごめん……俺は、俺は君を……!」
「違うよ。あのときの“わたし”は、ちゃんとここに残ってた。ずっと、あなたと一緒だったんだよ」
宅夫の胸に、何かが深く突き刺さるような感覚があった。
ヴァイゼンの監視、プロジェクトの監視下――この再会すら、彼らの計画の一部かもしれない。
だが、そんな中でも彼は“それでもいい”と心の奥で呟いた。
「守るよ、沙希。たとえ、おまえがどんな存在になっても。ヴァイゼンが何をしようと、俺は……」
そのとき、ラボ内の照明が赤く染まり、警告音が鳴り響いた。
《ALERT:Subject SHA-001 認識完了。
覚醒状態フルシンクロ確認。
Project SAKI、フェーズ3へ移行。》
「……来たか。ヴァイゼンが――!」
宅夫は立ち上がり、沙希の手を引いた。
「行こう。君を、また失わないために」
沙希はその手を強く握り返した。
「うん、今度こそ、二人で逃げ切ろう――たとえ世界が敵でも」
――その瞬間、ラボの扉が爆風と共に破られた。
重装備の兵士たちと共に、ヴァイゼンの開発主任・神代が現れる。
「久しいな、宅夫君。ようやく“彼女”は完成した。だが、君の役目はもう終わりだ」
宅夫の目に宿るのは、迷いのない決意だった。
「いいや、俺はこれからが始まりだ。プロジェクト“宅夫”の本当の起動は――今だ」
そう言い、彼は胸元のパネルを強く押した。
次の瞬間、宅夫の身体から光が走り、人工神経と記憶チップが起動していく――
人間を捨てた、彼自身の覚悟がついに動き出す。