第四話「約束(パクト)」
第四話「約束」
――あの頃に、戻れるのなら。
宅夫は夢を見ていた。
夕焼けの校舎裏、小さなベンチ。ランドセルを背負った彼と、隣に座るひとりの少女。まだ互いに“男女”という意識すらなかった時代。
けれど、彼女の笑顔だけは、今でも鮮明に思い出せる。
「たっくん、将来の夢ってある?」
「あるよ。アンドロイドを作る。メイドロボットで、家のこと全部やってくれて、俺の話を聞いてくれるんだ。かわいくて、優しくて、頭もよくて、……いつもそばにいてくれる」
「ふふっ。じゃあ、私をモデルにしてよ」
「えっ」
「……その方が、ずっと嬉しい」
胸の奥が熱くなった、あの瞬間を。
幼い“好き”の気持ちを、言葉にできなかった自分を――宅夫は今でも、呪うように思い出す。
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事故は、突然だった。
傘を差しながら走っていた少女が、交差点で車にはねられる。
ニュースにもならなかった、小さな地方都市の、ただの“交通事故”。
でも――宅夫にとっては、世界の終わりだった。
数日間、彼は言葉を発さなかった。食事も取らず、部屋に閉じこもり続けた。唯一、彼を現実に引き戻したのは――一本のメールだった。
差出人は、かつて彼の才能に目をつけていた、大手研究開発企業。
> 《沙希さんのデータ、残っている可能性があります》
《貴方の力で、彼女を甦らせましょう》
《資金も設備も、すべてはこちらで用意します》
《ただし――この技術は、公にはできません》
そして、添えられていたのは、膨大な契約書。
倫理規定違反、記憶媒体としての人体複製、神経模写とAI統合の臨界実験――
いずれも、すべて法律では禁止されていた。
だが、彼は迷わなかった。
「……もう一度、笑ってほしい」
「もう一度、俺に……“たっくん”って呼んでほしい」
そうだ。俺は彼女が、好きだった。ほんとうは――ずっと、好きだった。
涙を流す余裕もなく、彼は署名欄に名前を書いた。
“契約”という名の、禁断の扉が開いた。
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それから、彼の研究は始まった。
まだ14歳だった天才少年は、専用研究棟を与えられ、表向きは“大学への早期入学”として管理下に置かれた。だが、実態は違う。
沙希の脳波パターン、日常会話の録音、映像記録、筆跡、癖、笑い声、泣き声――
あらゆる“痕跡”が彼の元へ集められた。
彼女を、取り戻すために。
彼女を、忘れたくないから。
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そして、今。
沙羅は、彼の目の前で、確かに“生きて”いた。
人工皮膚の下、静かに動くマイクロ流体回路。だが、その眼差しは、まぎれもなく、あの日の“彼女”だった。
宅夫の胸が、また少しだけ痛む。
(……でも、これはほんとうに、彼女なのか?)
(それとも――ただの、俺の願望の、産物なのか)
心の中の声は、未だに答えをくれない。
それでも彼は、今日もこうして隣にいる沙羅を、そっと見つめる。
> 「たっくん、あの頃に戻れるなら……もう一度、一緒に、あの帰り道を歩きたいな」
夢のような、けれど、確かに在る現在。
宅夫は、そっと呟いた。
「――そのために、おれは、おまえを作ったんだよ」